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映画版スカイ・クロラ:ササクラは皆を送り出すお母さん説

先日Prime Videoでスカイ・クロラを観ました。
2008年に公開された押井守のアニメ映画で、原作は森博嗣の同名小説。

原作小説・映画ともに好きで、映画はレンタルして5回ぐらい観ている。

この記事では、映画化するときに年齢・性別が変わった整備士ササクラ(笹倉)について、自分の思うところを書き残します。


空を飛ぶ子どもたちの日常


https://eiga.com/movie/1956/


主人公は10代後半の姿のまま年を取らない存在「キルドレ」で、民間軍事会社に所属して基地で生活しながら、戦闘機に乗って空で戦っている。

彼らが従事するのは、大人たちが仕組んだショーとしての戦争で、民間人を助けたり領土を奪還したり、指導者に忠誠を誓ったりといった目的はほとんどみられない。

企業に属するパイロット同士が空で戦って散っていく。一般市民はそれを新聞やテレビで眺めて、彼らと自分を比べることで平和のありがたみを実感し、平和な社会を維持するように心がける、という構図がある。

主人公は戦争の悲惨さを周りに訴えるわけでもなく、淡々と戦闘機に乗り、煙草を吸い、スクーターに乗ってドライブインに行き、コーヒーを飲んでミートパイを食べたりする。

大人にならず、空を飛んで殺し合いをしている点は特殊だが、それも含めて繰り返される日常が描かれている。

映画版のササクラ

記事の前置きが長くなったが、腕の良い整備士、ササクラの映画での立ち位置が気になって、他の人の考察を読んでいた。

原作では男性で、技術者としての側面が濃く描かれているが、映画では女性になっている。灰色の髪を後ろでまとめた、背が高くて貫禄のあるおばさん。


原作から入った人や技術者のササクラファンの中には、原作の改変が受け入れがたいという意見もあったし、私も初めて映像を観たときには戸惑った覚えがあるのだけど。

何回か観るうちに、映画のササクラにも良さがあるように思えてきた。

特に、クサナギの機体が不時着した後、弱ったクサナギが基地に担ぎ込まれた場面で、ササクラが彼女を抱え上げて「毛布を持ってこい!」と叫びながら施設まで走っていく場面が好き。

戦闘機に乗るのに特化したように身軽なクサナギと、パイロットを抱いて地上を走れるほど(物理的にも精神的にも)しっかりと地に足のついたササクラの差が印象に残っている。

倒せない父と、皆を送り出す母


主人公のカンナミと同室のトキノが一緒に出かけたとき、当人の聞いていないところで、トキノがササクラを「ママ」と冗談交じりに呼ぶ場面がある。

皆の機体を整備して送り出すからママだ、という説明があった。

(娼館の女性をドライブインに呼んで待ち合わせるとき、偶然やってきたササクラに見つかって睨まれ、当人が去ってから「ママに睨まれた」と冗談を言う場面だった)

それに加えて、映画の終盤、主人公は絶対に倒せないとされる敵「ティーチャ」に向かっていく。ティーチャは敵対勢力の戦闘機乗りで、機体に黒豹のマークがあり、キルドレじゃない大人の男だという。

彼は飛び立つときに “This is my war. I kill my father.” と口にしていて、日本語で「ティーチャを撃墜する」と字幕がついていた。

映画版では、ティーチャが父、ササクラが母のような要素が原作小説よりも濃く描かれている。血の繋がりを超えたイメージとしての父/母。

ティーチャ:絶対に倒せない存在。大人の男。象徴としての父親
ササクラ:皆を空に送り出して帰りを待つ。象徴としての母親
主人公含むキルドレ:永遠の子ども。心を空に吸われている

原作の技術者ササクラを映像で観たかった人には残念だと思いますが、パイロットの間の「みんなのお母さん的存在」が具現化したのなら、あの姿が自然なんだと思います。どっちも好きですよ。


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