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救いと信じること

昨日、毎週楽しみに観ていたドラマが最終回を迎えた。ここ数年、自分自身が吐き出したかった思いを代弁してもらえたような救いのあるドラマだった。

いわゆる社会通念といわれるものとどう向き合って生きてゆくのか、そして他者との関係性に生じる加害性について、とても深く考えさせられた。

でも何より胸を突いたのは、主演の長澤まさみさんが清々しい涙とともに口にしたひと言だった。

「希望って誰かを信じられることなんだね」

希望がなんたるかを、あらためて教えてもらえたような気がした。

ここ数年、コロナ禍の影響なのか、私個人の問題なのか、希望よりむしろ絶望を感じる回数の方がはるかに多かった。でも、だからこそ気付かされたのだと思う。

私にとって希望とは、たとえば「大きな夢を叶える」といった類のものではなく、そのセリフのように、ただ誰かを、何かを、信じて生きていられることなんだと。正直、今の私にはそれ以上に価値あるものがわからない。

たくさんお金を稼ぐとか、人より優れた能力をもつとか、何かで成功して多くの人に認められるとか、私には縁遠いものだし、むしろ周りの評価や賞賛ほど重苦しくてうっとおしいものはないような気がしている。そこに自分自身が絡め取られたら、自分自身でいられなくなるような。ずっと人を疑って生きていくんだろうとも思う。

自分自身がなんたるかは私自身で決めて生きていきたい。

最後に脚本家の渡辺あやさんのインタビューで、思わず膝を打ちたくなるよう内容があったので、少し長いけど紹介したい。

   映画「逆光」(2021年)を一緒に作った(主演俳優で監督の)須藤蓮くんがすごくいいことを言っていました。「成長するというのは、今の自分じゃないもっといい自分になることだとイメージしていたけれど、本来の自分にかえっていくことなのだ」と。

 言い得て妙だと思うのです。年を取るごとに私たちは、自分にとって有益じゃない人の言葉とかをどんどん自分に取り込んで、本当は全然欲しくないのにほかの人が「これを持っていたらいいよ」というものを追い求めてしまったりしてしまう。

(中略)

 別にいらないわけですよ。私は自分が作りたいものを作って楽しめたらいいので。賞狙いでこんなことやらなきゃとか、いらん努力なのです。

 でも、ついフラッとしてしまう。視聴率とかね。いろんな評価軸みたいなのにソワソワしている人たちを見ると、自分も頑張らなきゃいけないのかなって巻き込まれてしまう。
「エルピス」脚本家・渡辺あやさん 6年越しの脚本に込めた危機感と覚悟、東京では書けないこと 
(東京新聞 2022年11月7日)


成長することは本来の自分にかえっていくこと。まさにそうだなと思う。私は40代になって10代の私が心から大切にしたかったものを守っているような気が最近すごくする。

あの頃より武器を携えた私が、もう一度自分の人生にリベンジしているような感覚。

欲しいものも欲しくないものも何一つ変わらない。

あの頃の私に声をかけられるなら、ただひと言、「もっと自分を信じてあげて」と伝えたい。でも、きっと未来の私も今の中年の私にそう声をかけたいと思うのかもしれない。

そう、私は私の人生を生きていくんだな。他人の人生など生きられない。

そのことの意味がようやく理解できたような気する。








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