日記(ハマるドラマ、友達がクビになった話など)
久しぶりにリポビタンDを買って飲んだ。疲れている。
昨日の夜から左目が充血し、痛む。寝ながら読もうと楽しみにしていた漫画『僕の地球を守って』を諦めて寝る。
朝5時半に起きて、最近ハマっているNHKドラマ「燕は戻ってこない」を録画で観る。桐野夏生さんの原作ドラマなのだけど、テーマは代理出産。現代における「生命」の扱いについて描かれていて、同時にその裏側にある女性の貧困や格差、人間の優劣だとか、そういった現代社会が抱える闇がじわじわと胸にせまる感じ。これは原作をぜひ読みたい。
人に優しくすることの難しさをつくづく感じている。
なんていうか、物事の大半は人間の都合でできているから、こちら側の人間が綱を強くたぐりよせれば、あちら側の人間に不都合が生じ、人間模様はまるで綱引きのようだなと思ったり。
人に優しくするって、体力がいるものだし、今の世の中においてコスパがいいものではないし。でも、それじゃあ、救われないよなと思う。
人間、いつまでも若くて元気なわけじゃないんだぞって。人が与えてくれる優しさのカケラに救われる、何にももたない、何にもできない自分というものがこの先の未来に待っているかもしれない、というか確実にそういう未来が私にはある。
個人主義を貫いて生きる心地よさもあれど、人は持ちつ持たれつ、結局生臭く生きていくんだろうから。
※
友達から「仕事、クビになった」と連絡がきて、最近の彼女の不運続きのキャリアを思って「お告げだわ、それ」とよくわからない返信をする。「確かにそれでよかった」と返事が届く。彼女は20代前半から知っているけれど、頭がよく、何をやらせてもそつなくこなすし、語学も堪能で、20代のある時期はそれなりによいお給料をもらって働いていた。そのとき彼女が「なんかもういいやって、結局、こんなもんかって思ったんだよね」と話していたことを今でも覚えている。
そういえば、昔、私がちゃらちゃら遊び歩いているのを横目で見て、「あんたみたいな女はリリーフランキーがエッセイに書く、ダメ女の典型だ」と電車の中で罵られたのを覚えている。「その言い草、なに?」と思ったけど。独特すぎるわ。
近所の喫茶店で、私から見て明らかにおばあちゃんに見える女性が、年金暮らしの合間にアルバイトをしているらしく、おばあちゃん同士の話を聞いていても、働くことの悩みは尽きないようだ。これが人生なのか? とわかったような気持ちになったりするものの、やっぱりよくわからん。
最近、ようやく文学フリマで買った「文集・バイト」(生活綴方出版)を読み始めた。それぞれの方のバイトにまつわるエッセイが収録されているのだけど、その中でもとりあえずビールさんのエッセイの一文にうんうんとうなずく。
いや、むしろ私の場合、人生そのものが人間の着ぐるみバイトだよって。
自分の人生には何かしらの意味があって欲しいと願っていた時期もあったけれど、最近は、どうやら意味はないらしいぞと気づき、腰をかがめて新聞を細々読んでいたら、「なんか、そういうばあさんになるんだな」と夫にボソリと言われて、自分で妙に納得してしまった。そのうち、古文書とか読み始めて、杖ついて図書館に
通っていたりして。その知識をもって何者かになりたいとかじゃなく、ただただ学ことが楽しくて、それこそが人生の豊かさというか、私の中に何を残したくて、身近な人に何を残せるのかということなんだろう。めちゃくちゃ小さくてせまい世界ではあるけれど、その半径数メートルをなめたらいけないなと、つくづく思うのですよ。
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