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見る前に飛べ

特に言いたいことなぞなくてもnoteを始めた理由は、現代が間違いなく「雄弁」の時代だからです。

自分はこういう人間だ、こういうことができる、こういうものが好き、こんなことがやりたい――。
こうしたことをSNSで発信することで、実際にチャンスを掴む機会が増える時代です。

しかし私は、喋りすぎると実はあまり物を考えていない人間だとボロが出ることもあり、どちらかといえば寡黙でいようとしていました。
寡黙な方が少し賢そうに見える気もしますしね。
とはいえ、何も発信しなければ何も得られないのも事実で、あと、飲酒すると饒舌になり結局ボロが出ているからです。

映像の仕事でも同じことが言えます

もしかして今の時代、映画やCMといった映像作品は、今や完成品を発表するだけでは不十分なのではないか――。
そんな疑問を持ったりします。

作品の発表と同時に「メイキング映像」や「制作の裏側」を公開し、SNSやyoutubeではスタッフがいかに手間と技術を要したかを伝えることで、作品の価値がより高まる時代になっています。
「おいおい、いきなりCGメイキングを見せられたら興ざめじゃん」なんてもう誰も思わないんですね。

ミュージックビデオ(MV)のような作品では、スタッフの愛情や努力がSNSで表現されることも少なくありません。それが結果として、MVそのものへの「尊さ」を高めているのです。

映像作品が持つ「メタ構造」

そのように、現代の映像作品は、もはや「メタ構造」を避けられない存在になっています。
以前は、映像作品はそれ単体で完結していました。監督名や出演者名などの付随情報はありましたが、それ以上のものは少なかったのです。

しかし今では、作品の周りに多くの情報が付加されます。

  • どんな手間や技術が必要だったのか

  • どれほどの制作費がかかったのか

  • 出演者やスタッフがどんな思いを込めたのか

  • 実際見た人はどんな感想を持ったのか

視聴者は、こうした情報を含めて作品を楽しむことが当たり前、というかそこから避けられない時代になりました。
アイドルのMVを見るファンは、制作費やメンバーの露出量を推測し、運営の力の入れ具合や推されているメンバーの存在感を感じ取るのです。その推測が正しいかどうかは関係ありません、ただ、そうした視点からは、もう誰も逃れられないのです。

映像作品という概念が変質したかもしれないことに、私は賛成も反対もなく、ただ、「そういう時代になったのだな」と受け止めるだけなのですが、
とはいえ、多弁が苦手な私も、映像作品の質を可能な限り高めるという職責を担う以上、この「雄弁の時代」に向き合う必要があるのだと感じるようになったというわけです。


はい、ところであなたは、私が今のところ毎記事、noteを始めた理由を言い訳みたいにグチグチ書いていることに気づきましたか?

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