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双極性障害 / 闘病記録【2018年】躁鬱病の診断を受ける前からの貴重な記録


こんにちは。
私は双極性Ⅱ型障害と診断されています。いわゆる躁うつ病です。
症状改善のため、主な症状の一つである『気分の波』を毎日記録しています。


この記事を書く目的の一つは症状改善のため。
そしてもう一つは、
「双極性障害の気分の波って実際どんな感じなの?」
「どんな風に治っていくの?」
など、双極性障害について興味がある方への何か参考になれたらと思って書いています。

この記事でまとめる2018年のデータは、私が双極性障害と診断を受ける直前からの記録なので、自分としても貴重なデータです。

過去ブログで書いてきた2018年分の記事をまとめます。


●各月に載せている図(睡眠覚醒リズム表)の読み取り方●

  • 一番上の行が1月1日、一番下の行が1月31日です。

  • 中央の水色のグラフが「気分の波」を表しています。
    (左がうつ、右が躁。-2,-1,0,+1,+2の5段階で点を打って、それをつないだ線です)

基本的にはこの水色のグラフだけ見てもらえば十分だと思います。



それでは、よろしくお願いします。




1月:双極性障害かも…?


私は24歳のときに「うつ」の診断を受けたことがあります。
それから数年経った27歳の当時、私は、うつは過去の過ぎ去ったことで、自分が精神病だと思いもしていませんでした。

しかし、大学時代から私を知り、医療に従事している友人が、ときどき「病院に通っているの?」と訊いてくるのです。私はなぜだか分からず、内心疎ましくすら思っていました。
後に、彼女のおかげで私は自分の精神病に気づくことになります。彼女は命の恩人の一人です。


27歳。
「自分は双極性障害かも?」と考え始めたころ。

すぐ精神科を受診したかったのですが、住んでいたのは道東のはじっこ。
いちばん近くて大きな町(当時は釧路)の精神科を予約しようにも何週間も待たねばなりませんでした。

ちょうどそのころ友人の一人が休職していて、「心療内科のすすめで記録を付けている」と聞き、私もとりあえず睡眠覚醒リズム表※をはじめてみました。(以下「リズム表」)。
※日本うつ病学会が配布しているもの

△人生ではじめて自分の「気分」を記録した。


リズム表を見てみると、だいたいが鬱側ですね。
『鬱エピソード』の最中だったと言えるのではないかと思われます。


びっくりですが、当時私は、こんな状態だったのに自分は“病気”だと思ってすらいませんでした。


このころの言動や感覚は、過去に鬱の診断を受けたとき(24歳/会社員時代)に似ていました。
体が熱があるときのようにだるい。不安、焦り。人がいるところを避けて、ひとり座ってぼんやりとしている…。




2月:精神障害者になった日

2月5日。やっと精神科の受診日がきました。
(結局受診したのは、精神疾患を気づかせてくれた友人が紹介してくれた心療内科)

心療内科は札幌だったので行くのに丸一日かかりましたが、それでも構いませんでした。まさに、藁にもすがる思いでした。

そして、念願の双極性障害の診断を受けることができました
先ほどのリズム表を持っていったのも良かったのか、一発で診断をもらえて、本当に嬉しかったです。

この日は、記念すべき『私が障害者になった日』であり、それは『苦しさから抜け出すスタート地点に立てた日』でもあります。

2月の睡眠覚醒リズム表を見てみると、波は、ひどいときには枠からはみ出したりしています。
"記憶が無くなる"とか、"頭イっちゃった感覚"、とかも書いてあるところがありますね。

突発性難聴になったりもしていました。
友人に話すと「それストレスだよ」と言われて、ようやく『ストレスがかかっている』と自覚するようになりました。

しかしこれでも不思議と「つらい」という自覚はあまりなかったですね。
(いつかこの現象について書きたいと思いますが、「つらい」という自覚の無さは発達障害も影響していたんだと思います。)

ちなみに、鬱の渦中では、私はとにかく頭の中が「どうしたらいいか分からない」ばかりになります。
つらいんでしょうが、「つらい」という言葉を当てはめていいのかも分からなくなってしまいます。


双極性障害の診断を受けたその日から、双極性障害の治療薬である気分安定薬(私はラミクタール/ラモトリギン)の服用がはじまりました。
てんかんにも処方される薬です。

リズム表を見ると、薬を飲みはじめても、気分の波が相変わらず大きいままです。
でもこれは、まだ薬が効果を発揮する量(200mg/日)まで増量できていなかったためと思われます。





3月:楽になるのは、苦しい


慣れない『双極性障害の治療』に、救いを得たようでいながらも、かなり混乱していた時期でした。

私は身体の症状も強かったので、早く楽になりたくて仕方なかったのですが、同時に薬の副作用や周りからの目など、不安でこわくて、怯えて過ごす毎日でした。
(たとえば、重篤な副作用が出て、救急車で運ばれるようなことになったらどうしよう。。。職場に迷惑をかけてしまうし、親が私を連れ戻しにきてしまったら大好きな北海道に居られなくなる…などとネガティブスパイラル。)

心身ともに、双極性障害だと診断される前の『何だか分からず苦しかった頃』とはまた違った苦しみの中にいました。


この月から、睡眠覚醒リズム表を自分の使いやすいように自作してみました。

自分の『過食嘔吐』と向き合うために、食事の記録を付けたかったからです。
右端に【食事】の欄を足し、表をA4の紙いっぱいに広げて、たくさん書き込めるようにしました。

3月は、まだラミクタールを増量の途中です。

気分の波は、枠からはみ出しているくらいひどいところが見られますね。





4月:「普通ってこんなに楽なんだ」

4月20日頃、ついに気分安定薬ラミクタールが「薬が効き始める量(私の最大量)」の 200 mg/日になりました。

薬を飲み始めから約2ヶ月半経っていました。

2カ月半でも、ラミクタールの増量過程としては最速に近いと思います(途中でトラブルなどによる減速はなかったので)。ラッキーでした。


薬の効果がリズム表にも現れてきている感じがしますね。

心なしか中旬ごろから、気分の波はだんだん穏やかになっているように見えます。


ラミクタールが 最大量の200 mg/日 になったころ、すっ…と、「あ、なんだか楽だな」と、まず体の楽さを感じました。

脳のノイズや、頭がキツい感じがすっきりしました。
いつも熱があるときみたいなだるさがあったのですが、それも軽くなりました。

「“普通”ってこんなに生きるの楽なんだ」
と、びっくりしたし、嬉しくて、感動したのを覚えています。

同時に、「私、つらかったって思っていいんだな」と認められるようになりました。





5月:いっときの平穏

引き続き、安定傾向が見られました。
日が伸びて、暖かくなってきたのも良かったのかもしれません。

しかし下旬からはまた不安定になってきてしまっています。

下の方に貼ってある付箋に、「月末:躁になりかけ?心配になる」というメモ書きがあります。

不安は的中します。





6月:エネルギーは上にも下にも向かう

また強い波が出るようになっていきました。


黄色の蛍光ペンで印をしてある日は、『激鬱』だった日です。

このように鬱で激しく落ちるときもありましたが、躁もちょいちょい出やすくなっていました。
(見えにくいですが、躁っぽかったところには『✨』とか『♪』が書いてあります。)

6月って、北海道は、山菜が出るんですね。
そして、気候も、めっちゃ気持ちいい。

私は、そんな6月がますます好きになっていました。
空や緑を見るだけでテンション上がっちゃう。

北国の6月は、陽もすごく長いです。
お日様エネルギーさんさんです。
なので、私もつられてエネルギーが湧きすぎてしまっていたんだと思います。

有り余るエネルギーを上手くコントロールできなかったため、躁にも鬱にもつながってしまいました。

簡単に躁になって、そのあとキュッと落ちる。

この6月の不安定さは、気候の影響が大きそうです。





7月:大荒れに

大荒れです。

荒れたのは、おそらく、先月に引き続きエネルギーの湧く気候だったのと、仕事のストレスでした。


仕事の影響(ストレス)として考えられる出来事として、たとえば職場の方からの私の将来へのアドバイスがありました。
牧場特有の、距離の近い人間関係が悪い方にいってしまっていたのかもしれません。
すでに将来に不安ばかりの私は、混乱するばかりでした。

そしてもう一つ、牧場ではこの時期1年でいちばん気合が入る作業、牧草の収穫が1週間ほどあります。
そのときも私は、かなりストレスを感じていたと思います。
(黒歴史なのですが、簡単に言うと、牧場はめっちゃ忙しいのに、そして私は力になりたいのに、お呼びはかからない。私の部屋は牧場の中にあったので、トラクターがブンブン忙しく走り回る音が間近に聞こえます。私はそんな部屋の中で、どうしたらいいか分からず自分を責めながら過食をするばかりでした。)



またこの頃、主治医からは私は波を抑えるのに自力では限界になっていると判断されたのかもしれません。
波が大きいときの頓服薬(抗精神病薬や抗不安薬)を本格的に使い始めました。

リズム表を見ると、頓服薬を使いはじめたのに全然波が収まっていない感じがするのは、頓服薬の使い方が下手だったためだと思っています。

抗精神病薬や抗不安薬って、だいたいが『ぼーっとさせる』働きをするそうなのですが、必要以上に飲みすぎると、体が重くなりすぎてしまうのです。

失敗談として私は、楽になりたさすぎてもう投げやりになって、プチODというか、頓服薬を適当に多く飲んだんですね。
そうしたらもっとキツくなってしまって、でも仕事の時間が迫っていて…となって、ついには、人生ではじめて、切る系の自傷をしてしまいました。

切ったことで気持ちはスッと落ち着きましたが、ショックでした。

このときの波は、私史上、数える中に入るやばさでしたね。





8月:しんどい

激しい波が続きます。本当にしんどかった。

体調欄に、「息苦しい」「狭い(視野が狭い感じ)」「ふらふら」「ふるえ」といった表現がたくさん書かれています。

よく生きてた。





9月


9月4日、牧場長に、退職することを伝えました。気持ちがスッと楽になりました。

そして9月6日、胆振東部地震による北海道の大停電が起こりました。



いろいろなことがありすぎました。





10月:安定してきた?

ようやく、安定の兆しが見えてきました。

この10月は、過食嘔吐することもありませんでした。

中旬くらいからブログを書きはじめます(初投稿は10月27日)。
ブログを書くのが楽しい、と書いてあったりもして、ブログの存在が私のメンタルにプラスになったようです。

今もブログを書くことは私の精神衛生上とてもいい感じなので、これからも続けていきたいです。





11月:嵐の前の、嵐


また不安定さが増してきます。

理由の1つは、月末に退職・引っ越し、というビッグイベントが控えていたことです。

大きな変化の前後は波が大きくなりやすいと言われますが、まさにそれが起こりました。
(現在の夫ともこの月に付き合いはじめましたが、それも大きな環境の変化)

モザイクがかかっていますが、左側の赤い書き込みは『人と会った時間』です。
毎日のように人と会っていますね。

私は人付き合いにストレスを感じやすいのに、こんなに人の刺激を受けていたら、波が大きくなってしまうのも仕方がないわ、と思います。


下旬には「疲れすぎて感覚ない」と書いてあったり。

限界突破して、そのまま駆け抜けてる感じでした。






12月:限界突破したまま駆け抜ける

12月も、荒れがちでした。

途中、点線で飛んでいるところは記録が出来なかったところ、つまり余裕なさすぎたところです。

12月は、当時の夫の社宅に居候、からの、実家への帰省がありました。

実家では、家業の手伝いを毎日のようにしていたので、疲れを取る暇もない状態が続きました。

もう忘れてましたがコタツをひっくり返したようです(笑)

そして、クリスマスの日、また夫が待つ北海道に戻りました。

行ったり来たり。
忙しすぎでした。




まとめ

以上で、私の2018年のまとめでした。

波も大忙しでしたが、ほんとうに、濃かったなあ……。


仕事も、人間関係も、まさに激動で負荷が大きすぎる感じでした。

よく生きのびました。



2018年は、双極性障害になったショックをまだ引きずっていたとも言えます。
「症状改善」に必死でしたから。
リズム表の書き込み具合からも、闘病へのエネルギーのかけっぷりが伺えますね。


「双極性障害としての生き方に適応してゆくこと」は、「今までの生き方を変えること」と同じ。
それはときに痛みを伴うものでした。


しかし、私に障害者の看板が付いたことで、得たものもたくさんありました

障害だからといって差別したり嫌なことをしてくる人もいないと知ったし、現在の夫にも振られなかった。

双極性障害と向き合おうと思って始めた発信活動(Twitterやブログ)も、自分の精神衛生によかったし、
書けば書くほど、自分に対する自信も持てた。

こうやって記事を書ける、データも残せましたしね。


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2018年、無事生き延びられたのは、否定せず受け入れてくれた周りの人たちのおかげです。

改めて、感謝申し上げます。


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▽次の年へ


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