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先生の娘ということ

 話を進める前に、ひとつはっきりさせておくことがある。私は先生の娘であることを理由に母を恨んだことはない。

ちょっと自由がきかないなあ、くらいは頭をかすめたことがあるけれど母を誇りに思っている。こんな風に育ったのは明らかに育て方(育たれ方?笑)が大成功だったと思うので同じ境遇の方がいらっしゃったらぜひご意見お聞かせ願いたい。

「いつも母がお世話になっております」

 受け答えができる歳になってから、幾度となくつかった言葉だ。自慢気にもならず、謙りすぎず、例え知らない人でもにこやかに。ちょうど良い笑顔はいつの間にか身についていた。

 先生と呼ばれる職業はたくさんある。教師、医者、代議士、インストラクター、占術、武闘家、作家、エトセトラエトセトラ。その中で私の母はスタジオを構える振付師だ。他にも本業はどれ? と頭を捻らずにはいられないほど様々な仕事をしていて、名刺に入りきらない資格の多さで多忙を極めている。(それでもぱったり仕事がなくなった原因のコロナは許さないので、後でnoteに書くかもしれない)

 先生、と呼ばれっぱなしの母は私が同じスタジオでレッスンを始めるときにこう決めたという。

娘だからといってひいきはしない】

 これがまた社員もびっくりな徹底ぶりだった。

母の決めごと

①レッスン時間外で個人的な指導はしない

「先生、とびこちゃんに教えないんですか……?」「教えないよ」「スキップ、一人だけできてないですけど」「教えない」「……あ、はあ」

 なんとワタクシ、小学生になるまでジャンプもできなければスキップもできなかった。親心として、一般的に他の子ができていて自分の娘ができなければ心配するだろう。でも母は「そのうちできる」といって放っておいた。(あ、勘違いのないように言っておきますがレッスン中に手は尽くしたそうです……イエス不器用なちびとびこ)

②実力通りの立ち位置にする

「あ、真ん中に並んでいる子が先生の娘さんですね?」「いえ娘は端っこです」「えっ」「端っこです」「……あ、へえ」

 これもよく聞いた会話だった。発表会などで並ばせるとき、一番上手な子もしくはお気に入りの子を真ん中にするだろうと考える。まして自分の娘がいて、一緒に舞台に出るのだから当然真ん中は娘さんだろう、と観客の皆様は思うわけだ。残念、前述の通り不器用オブ不器用だったちびとびこは長年端っこで修行を積んだのだ。さらに上手な子が同期にいたので、よくその女の子が娘だと間違われていた。(その節は大変ご迷惑をおかけしました……)

※実際、舞台構成を考えると両端に同じ実力の人を置いたり、必ずしも真ん中が上手いとも限りませんが一般的イメージで書いてます、あしからず。

③家からでたら皆平等

「せんせえ~」「せ、先生?!」「え?」「とびこちゃんも先生って呼ぶの?」「だって今はママじゃないから」「……あ、え?」

 こちら、玄関開けたらサ〇ウのごはん並みに「玄関降りたらママは先生」と身体に染みついた習慣であり、気持ちの切り替えにも大切な役目を果たしてくれる決まりごとである。

 子どものころ、母に教わったのはひとこと。

「レッスン中はママじゃない、先生だからね」

単純だったちびとびこは「わかった!」と返事をして、かれこれ二十年疑問を持ったことはない。

うちは一階がスタジオ、二階が住居といったよくあるスタイルで、周りに生徒さんがいるときはどこにいても「先生」と呼び敬語で話す。外部のレッスンについていくときは母の分の荷物も持つし、ドアも先に開けて待つ。先生の娘ではなく古株のいち生徒として動く。これは強制されたわけではなく、母を「先生」と呼ぶことで私のなかで勝手に根付いたふるまいだ。(唯一、社員しかいないときはママ呼びOKである)

かわいそうだ、という人もいる。立派だね、という人もいる。だけど私にとってママと先生は別であり、かわいそうでも立派でもなく当たり前でしかない。

先生の娘が嫌になった日

 ただ一度だけ、先生にママをやってもらったことがある。衣装替えのとき、小さい子は主にお母さんに手伝ってもらうが私は常に祖母だった。母は先生、ママじゃない。幼くても理解していたから文句は言わなかった。しかし、お母さんと一緒に着替えている同世代を見て無意識に「いいな」と思っていたのだろう。

とある演劇団体との合同舞台で、祖母の小さなミスにワンワン泣いて周りを困らせた。十歳だった。はっきり気持ちを言葉にできなかったが、今思えば先生の娘であることにふと疲れたのだ。「とびこちゃん、お着替え先生と一緒にしようか?」自主公演ではないから先生の出番は少ない。見かねた母が提案すると、私はケロッと元気になり楽しそうに着替え始めたという。「十歳はまだまだ子どもだね」と家に帰って母は笑ったが、長い舞台人生のなかで私が母と着替えることができたのは、そのたった一回だった。

 思い返せば、辛かったこともたくさんある。例えば同世代の誰かがスタジオを辞めるとき、他の子にはプレゼントをあげたのに私にだけはくれないなんてこともあった。(仮にも先生の娘によくやるなと今なら思う)

またバブルが弾けた世の中で、華やかに見える舞台稼業は羨まれる格好の的だ。学校では思い込みからの嫉妬や八つ当たりはしょっちゅうあって、それも同級生からではなく親から直接「とびこちゃんちはいいわね、贅沢ね」などとチクチクさされた。幸い同級生自体はいい子が多くて学校生活に支障はなかったけれど、鈍感なちびとびこにもはっきり分かる嫌味ばかりだった。大人になったいま、子どもだって「あ、いま良くないこといわれてるな」くらいは察せるということを心に留めて行動している。

 ああ、オトナも子どもに当たるんだな、事実なんてどうでもいいんだな、ということを何度も経験して。いくら母が私を特別扱いしなくても、周りからは特別な子に見えるのかな、私はそういう星の下に生まれたんだなと悟って生きてきた。母もそれを分かっていたし、大人になった後で「確かにかわいそうだったよね」といった言葉をもらったこともあった。(突き返した)

まとめ

 先生の娘だから、我慢した。いじめられた。一緒にいても母をママと呼べなかった。仲間外れにされた。オトナの嫌な部分が見えてしまった。先生の娘だから。

でも、

 先生の娘だから、母といる時間が多かった。たくさんの経験ができた。守ってもらえた。助けてもらえた。まっとうに生きてこられた。仕事中の母を間近で見ることができた。母と舞台にたつ、喜びを知った。

 母が先生だったから。先生のときはママとは呼べず、特別扱いもなく、皆と同等に厳しくても。母がママになったとき、しつこいくらいにぎゅうっと愛をくれたから。

「いつも母がお世話になります、娘のとびこです」

 メリハリのあるママと先生のもとで、にこやかに挨拶できる「先生の娘」として、私はこれまでもこれからも生きていくことができるのだ。


(2020.12.10「先生の娘ということ」)



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