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露出にいたる病|短編小説|5,679字
性的あるいは暴力的な描写は一切ありません。
また本作品はフィクションであり実在の人物とは関係ありません。
先客
それは雲ひとつない満月の夜のことだった。
工藤春美は、その月と街灯が照らす明るい夜道を歩いていた。
足には青いジーンズ、上半身にはTシャツの上にゆったりとした厚手の黒カーディガンを羽織り、美容院で整えたばかりのセミロングの茶髪を揺らしていた。まだ10月の初旬であるにもかかわらず冷たく感じる夜風は完全に秋を感じさせるもので、春美はもう少し暖かい格好をしてくればよかったと少しだけ後悔した。
一般論で言うならこんな世の中に女一人で出歩くのは危険かもしれないが、幸いなことにこのあたりは多くの街灯が設置されており街の治安もいいことで有名だ。少ない数とはいえ防犯カメラも設置されていることもあり、このあたりでいかがわしい犯罪があったという噂は聞いたことがない。もちろん過信は禁物だが。
そんなことを考えながら春美は歩みを進めていた。自分の中では安全だと思っているにも関わらず、こうやって夜道を歩く度に一々そうした身の安全について考えてしまうというのは人間の性なのか、あるいは防犯意識を忘れない堅実さ故か。
*
そんな春美がこんな夜中になぜ出歩いていたのかというと、近所のコインランドリーに向かうためだった。彼女の右肩には大きめのエコバッグが下げられており、その中にはたくさんの洗濯物を入れていた。
家に洗濯機が無いわけではなかったが、ここ1週間ほどずっと忙しかったこともあって彼女の部屋にはたくさんの洗濯物がたまっていた。それだけのたくさんの洗濯物を一度に処理するなら大型の洗濯機・乾燥機が利用できるコインランドリーが最適だというのが晴美の出した答えであった。
男性を含む多くの人間が利用するコインランドリーは抵抗があるという女性は多いが、春美はそうしたことは気にならないタイプだった。それでも、そうした恥じらいがあったほうが女らしいんだろうと考えてしまうのは女性の性なのか、あるいは乙女な女子への憧れか。
そんなどうでもいい雑念が頭の隅をよぎりながらも歩みを進めていると、春美が定期的に利用しているコインランドリーにたどり着いた。
*
コインランドリーには一人の先客が居た。どうやら遠目からすると男性のようだ。
春美は一瞬だけ心の中で躊躇したが、このコインランドリーに防犯カメラが設置されていることを思い出し、気を持ち直して入店した。
その男性と思わしき人間は、茶色く長い冬物の大きなコートを羽織っていた。確かに今夜は少し涼しいが、冬物のコートを着こむほどに寒がりなんだろうか。それにコインランドリーの店内なのだから冬物のコートを着たままではさすがに暑いくらいなのではないだろうか。
春美がそんなことを考えながら男をそっと観察していると、茶色いコートの隙間から薄汚れた肌がちらりと露出した。
(嘘……この人、露出狂だ……!)
春美は激しく動揺しながらも、その胸の奥では半ば期待に似た高揚感に包まれていた。それは怖い思いをすると分かっているのに、それを期待して肝試しや遊園地のホラーハウスに入るときの感情にも似ていた。
遭遇
春美がその”性癖”に目覚めたのは東京の大学に入ってから2年目になるちょうど二十歳のことだった。
それは大学のコンパで飲んだ帰りの日のことで、ちょうど今夜のように満月が明るい夜だった。春美は電車を乗り継いで自宅の最寄り駅についてから、アルコールによる酔いで心地よいこともあって、普段は寄ることがない自宅までの道のりから少しだけ外れた大きな公園を通過しようとしていた。
その時に出会ったのが灰色の大きなコートを羽織った男、もとい”露出狂”だった。
*
春美はあまりの恐怖に腕で肩を抱きかかえるようにして固まってしまったが、その男は見せるものを見せてしまうと、そのままゆっくりと立ち去った。
春美はそれからしばらく間そのまま呆然と立ち尽くしていたが、夜風に揺られているうちに少しずつ現実に意識が戻ってきた。
その直後の春美の胸を埋め尽くしたのは、圧倒的な怒り、そして嫌悪感だった。
「ありえない……サイテー。気持ち悪い。社会のクズ」
夜の誰もいない公園でそうやって吐き捨てるようにつぶやいた後、自分が帰宅途中であったことを思い出し、自宅へ帰ることにした。
*
それから数日間はその出来事を思い出すだけで腹が立った。コンパ帰りで酔っていたはずなのに、その出来事は明確に春美の目に焼き付いており、夜中に一人でいるときにフラッシュバックのように蘇った。二十歳の純真な乙女にはショックすぎたのだと春美自身は思うことにした。
しかし、それからしばらく経つと自分が別の感情を胸にこさえていることに気づき始めた。
(なんで露出なんてするんだろ……やっぱり楽しいから?)
そんな風に、あの夜に露出狂がどのような心理であのような行為をしていたか考えるようになった。
他者の気持ちや感情を理解しようとするのは、たとえ相手が犯罪者であっても決して悪いことではない。犯罪者の深層心理を理解することで、犯罪を未然に防ぐ行為や仕組みにつながることもあるし、実際に犯罪に遭遇したときにも安全な対処を出来るようになる。
*
しかし、春美の考えはそれだけに留まらなかった。
(なんでだろ……もう一度……見てみたいかも)
酷い目にあったと思っているのにその行動を繰り返してしまう人間は稀にいる。DV被害にあった女性は、その男と別れたあとも何故かまたDVを行う男を選んでしまうことも多いし、自分ではやめるべきだと思っているのに背徳感のある行動をやめられない人間も多い。
それからというもの、春美は夜に自宅に帰る時は必ずあの大きな公園を通るようになった。
そして、あの時の露出狂に再び出会った際、春美は怖がったフリをしながらも冷静に相手を観察していた。男は前回と同じように満足して立ち去ったが、春美が実のところ怖がっていなかったことを知ったら”がっかり”していたかもしれない。
その夜、春美はその”性癖”に目覚めてしまったのだと自覚した。
対決
(どうしよう……コインランドリーで露出狂なんて信じられない……)
そう考える春美の胸はドキドキしていたが、わずかな高揚感に包まれていた。これからこの男はどうやって”見せつけて”くるのだろう、そんな何が起こるか分からないことに対する期待が入り混じっていた。
春美は自分が思わず足を止めてしまっていることに気づくと、自分が動揺していることをさとられないように、その男とは離れた洗濯機に移動して、利用する洗濯機やメニューを選んでるフリをした。
大丈夫だ、これくらいなら不審というほどでもない。それに露出狂なら今頃私がそれに気づいてるかどうかを楽しんでいるに違いない。
*
そんな風に考えて春美はいくばくかの冷静さを取り戻すと、自分の洗濯物を洗濯機に詰め込んでスタートのスイッチを押した。もちろん、その間もその男に細心の注意を払っていた。それは襲われたときに逃げるためでも身を守るためでもなく、露出に驚く乙女を演技しながらしっかりと観察したいという邪推した気持ちからであったが。
(それにしても、防犯カメラが設置されてるのになんて大胆なんだろう……)
春美は男から離れたイスに座って、待ち時間を潰すために持ってきたミステリ小説をカバンから取り出すと、栞の挟んであったページを開いて読書にふける”フリ”をし始めた。もちろん、ページに印刷された文章は一切頭に入ってこなかったが。
(さぁ、いつでも来い。あんたの望むような恐怖に怯える女を演じてやる)
*
しかし、それから3分経っても男は行動を起こさなかった。
3分というのは短い時間のように聞こえるかもしれないが、ターゲットとして狙える女性が一人だけというこの絶好の機会を露出狂の人間が逃すはずがない。それが春美の経験則だった。
(なんで、こいつは”見せつけて”こないんだ?)
春美は、自分がターゲットとしては不足であるとこの露出狂が考えているのではないか、そんな推理が頭の片隅によぎり始めていた。
実のところ春美は露出狂がターゲットをどれだけ選ぶかということについては無知だった。そもそも、会おうと思っても露出狂にはめったに遭遇できるものではないし、露出狂だと明確に判明するのは”見せつけられた”後だから知りようが無かったのである。
*
(こいつ、もしかして私に魅力がないと思ってるのか?)
春美は自分で言うのもあれだが、容姿にはかなり自身のある方だと自覚していた。いわゆる美人とまではいかないが、かなり可愛らしい雰囲気を漂わせていたし、こういった日常生活においても最低限のオシャレは心がけていた。まぁ、本当の乙女ならコインランドリーなんかに来ないだろうが。
(くそ、それならちょっと仕掛けてやるか……)
そうやって心の中で決意すると、春美は羽織っていたガーディガンを脱ぎ捨て、それをキレイに畳んでから自分の隣にそっと置いた。これで春美の上半身はTシャツだけになり、そこから色白い腕をのぞかせる格好となった。屋内とはいえさすがに肌寒く感じる格好ではあったが別に耐えられないような寒さじゃない。
そして春美はその格好で歩きだすと、コインランドリーに設置された雑誌コーナーで読み物を物色するフリを始めた。男との距離は2メートルちょっとで、それは確実に男の視界に入る場所だった。露出狂が露出した女性に興味を示すのかは分からなかったが、自分が若い女性であることは十分にその男に認知させられたはずだ。
(これでどうだ?)
目覚め
しかし、それでもその男は行動を示さず、春美はだんだんとじれったくなってきた。
(くそ、こうなったら意地でも露出させてやる!)
春美に自覚はなかっただろうが、それはまるで現代版の『北風と太陽』だった。春美の行動は『太陽』に近いと言えたが、その強情な気持ちは『北風』そのものであったが。
「ふー、暑い暑い……」
そんな心にも思っていないことを小声でつぶやきながら、Tシャツを右手ではためかせて涼むフリをした。そして、わざと男から一席しか離れていないイスに座った。
(ちょっと露骨だったかな……でも不自然すぎるってほどではないはず)
*
これでチェックメイトだと勝利感に酔いながらしばらく待っていたが、それでも男は動かない。
(こいつ、もしかしてホモか? ターゲットは男なのか?)
春美は今更ながら不安になってきた。
しかし、男が読んでいる雑誌に目を向けてみると、そこには下着姿の女性がたくさん載ったページが開かれており、それはその男が”ノンケ”、つまり異性愛者であることを示す十分な証拠だった。
(なんだ、やっぱり女が好きなんじゃん! だったら早く露出しろよこのやろう!)
春美はそれからも自分がか弱い女性で、いかにも露出狂に驚いて恐怖する可憐な乙女で、あなたのターゲットには最高にピッタリですよという雰囲気を醸し出す努力をし続けた。
男が一度、その胸の肌を露出しつつあるコートの辺りに手をかけた時は勝利を確信したものの、単にコートを整えるだけの仕草だったようでまたしても春美は落胆した。
*
そしてついに春美は耐えられなくなってしまい、その男に声を掛けた。
「あ、あの……今日は暑いですね!」
「はぁ、そうですか」とやる気なさそうに男。
(こいつ、私の苦労も知らないで!)
「そのコートさすがに暑くないですか?」
通常、こうやって誘導するのは悪手だと春美は考えていた。
露出狂は女性が恐怖に立ちすくむあの様子を見るのが楽しいわけで、ターゲットから脱いでも大丈夫というアプローチをされるのは好まないはずだ、それが春美の露出狂に対する分析だった。しかし、ここまで来たからには意地でも脱がしてやろうという思いが勝っていた。
*
すると「い、いえ! それほどでもないですよ」と明らかに男は動揺していた。
(よし、こうなったら作戦変更だ! こいつを露出狂だと指摘して動揺させてやる!)
「あれ、そのコートの中って……」
男はその言葉を聞いてさらに動揺を重ねる。もはやその姿は怯える子犬そのものだ。
「は、裸! あなた、露出狂じゃないですか! きゃー、変態!」
(勝った……!)
*
春美はもはや当初の目的を忘れてその勝利を味わっていた。一方で、自分がなんでこんな演技をしているんだろうという冷静な意識もごくわずかに残ってはいたが。
防犯カメラが設置されている手前、さすがにすぐに襲ってくることは無いと思っていたが、相手が激昂して迫ってくることくらいは予想していた。なにしろ相手は露出行為に至っていなかった段階だったわけで、それを糾弾した春美のほうが名誉基礎で訴えられてもおかしくないのだ。怒らないはずがない。
男はしばらく呆然として口をパクパクさせていたが、ゆっくりと言葉を発し始めた。
「す、すみません……」
(え?)
「あのお恥ずかしい話なのですが、私は浮浪者……いわゆるホームレスでして。たまにこうやってランドリーを利用することもあるのですが、その時はその……全部まとめて洗濯しないと”もったいない”ものでして」
春美は混乱する頭でその言葉の意味を咀嚼すると、自分がとんでもない勘違いをしていることに気づき頭が真っ白になり、次の瞬間には顔を真赤に紅潮させていた。
「あ、あの……さすがにその格好は寒くありませんか?」
呆然として動けなくなっていた晴美であったが、男のその声で現実に戻された。
「あ、そそ、そうですね、はいっ! なんか勘違いしてすみませんでした!」
なんとか絞り出すように謝罪の言葉を発すると、イスにおいてあったカーディガンを手に取り、逃げるようにしてコインランドリーの店内から抜け出した。
Tシャツ1枚で冷えた体に今夜の夜風はあまりにも冷たかった。
*
晴美がしばらく時間を潰してからコインランドリーに戻るとその男は消えていた。まぁ、その男が店内にまだ居たならとてもじゃないが晴美は入店できなかったであろうが。
「あぁ、私ってばなんて勘違いを……むしろ私のほうが変態じゃん。やだ、もう本当に恥ずかしい……」
晴美はそうつぶやいて心の底から後悔していたが、その傍らで胸の奥底に新たな感情が芽生えていたことには気づかなかったに違いない。
それは”あの性癖”に目覚めたときの感情にも似ていた。
ー了ー
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