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浜田省吾と僕と、ギターと act-0016 よォーこそ
ベーシストとしての初ステージ
高校2年のとき、先輩の企画バンド(RCサクセションのコピー)にてベースを弾くと云う機会があった 各々、別のバンド、ユニットで活動してる人を集めてその時の為に結成 なんて、今ではよくやってるパターン
それの一回目にあたる
たまたま僕だけが歳下で残りは先輩ってな布陣で正直なところ他にもベーシスト居なかったの?な状況だっただろうに何故か、僕にオファーがきた
単にたまたまで
浜田省吾と僕と、ギターと act-0014 通信教育
ギターの通信教育を受けてた
詳細は思い出せないけど
多分、漫画雑誌の裏表紙広告をみて申し込んだ
講師、監修は石川鷹彦さん
アリスのバッキング、アレンジを担当していた人だ
アコースティックギターの中級編と上級編を受けた
さすがに初級編は要らないだろう、でもいきなり上級は、ちょっと…
中級編は確かに遣りごたえのある内容だった
バッキングやリードプレイで丁度、演りたい鍛えたいと思ってた内容
オープ
浜田省吾と僕と、ギターと act-0013 エレキギター
最初のエレキギターは友人から買った
自分で選んで買ったアコギとエレキベース
この二つの機材で満足していたし特別変わった事をしたい訳でも、そして変わった遣り方をするつもりもなかった
むしろ、そう云う構想に至る情報も持ち合わせていなかった
だから、他のギター、ベースなど機材を買い足すと云う発想はなかった
にも関わらず たまたま、友人から「エレキギター買わない?」ってな誘いをうけたのは高2になって直
浜田省吾と僕と、ギターと act-0012 エレキベース
何故かベースが欲しかった
自分で選んで買ったギター これがどれほどの価値かは分からなかったけど
選択肢としては多分 ベストだったと思う
特に不満もなく 弾き続けてた
後に、今に至るような 数のコレクションを持つことすら想像してなかった
このTakamineギターがあれば充分だった
それなのに何故か分からないけど 思い出せないけど ベースが欲しくなった
当時、中心としてたユニットが三人組で基本
浜田省吾と僕と、ギターと act-0011 フルアルバムを聴いて
愛の世代の前に(実聴)
買って持って帰り プレーヤーで聴いた
レコードがかけられるターンテーブルと内蔵されたラジオのみ アンティークな佇まいのプレーヤー
勿論、針をそっと落とす
オートでかけてくれたり 終わったらアームが戻ったりもない
針を落として無音部のあと
A面一曲め タイトル曲のイントロ
ギターのリフ、浜田さんの声
え?なに?これ?
ロックな楽曲なんて ほぼ聴いたことがなかった
その時
浜田省吾と僕と、ギターと act-0010
愛の世代の前に(ジャケ買い)
実家は京都の東山区祇園エリア
土日の遊び場は四条河原町を中心とした繁華街だった
電気屋で高級オーディオ眺め、本屋で趣味系の本を漁り、模型屋や玩具店でプラモデルを買ったり、そしてレコード店に向かう
ドーナツ盤(シングルレコード)は新譜を求めるけどLPアルバム盤はコレクション的な側面で探すことが多かった
ラックに五十音に並べてあるそれらをあ行から順に見ていく
あ、
浜田省吾と僕と、ギターと act-0009
15の時、通りのウインドウに飾ってあったギター
中学時代 クラブの部費で購入された備品のギターを好き勝手に使わせてもらえて生意気にも自宅と学校の二本体制
結果的にこういうのも幸いしてギターの練習自体 楽しく没頭させてもらえた
ただ、やはり 自分で選んだ これ!ってギターが欲しかった
当時はホントに情報を得られる機会すらなかったのでギターの事 なんにも知らなかった
楽器屋に行ってもMorris、
浜田省吾と僕と、ギターと act-0008
文化祭
初の大舞台はギターを練習してから約一年後 中学3年の時、文化祭であった
思えばその一年前 文化祭にて生演奏を間近に観たことが僕のギターへの興味、弾いてみようってなきっかけであったから一つの目的として最初にして最大の場だった
中学の文化祭なので各教室にて展示などと云う形ではなく体育館に全校生徒が集まり観覧する
文化系に分類される他の部がどれほどあったのか?よく覚えてない
あとは各学年の
浜田省吾と僕と、ギターと act-0007 中学時代の練習風景
放課後の教室
部活でギターの練習を、と言っても部室が割り当てられてない創部間もないクラブ
練習は放課後の教室だった
アンプラグドのアコースティックギター(ピックアップも後付してない)のみの編成な仲間だから音が出せる場所なら何処でも構わなかった
自宅で弾いてるのと何ら変わりはないんだけど自分の趣味以外の楽曲、アーティストのも弾く機会だったとも言える
当時、夢中になっていたアリスと各メンバソロの
浜田省吾と僕と、ギターと act-0006 YAMAHA製クラシックギター
最初のギター
初めて手にしたギターはYAMAHAのクラシックギターだった
型番は覚えてないけど、たしか 【50】という数字が含まれていたので 発売当初の定価は五千円のモデルと思われる
中古、どこからか オフクロが調達してきたから その時、既に数年は経過していた筈だ
でも、目立った傷もなくコンディションそのものも悪くなかったと思う
クラシックギター教本でチューニング方法とか楽譜に記載されるギター
浜田省吾と僕と、ギターと act-0005 サングラス
カッコつけのアイテム
中学生当時の僕らの遊び場は繁華街のゲームセンター
インベーダーゲームから始まったゲームブームは次々に新しいモノを展開していた
アニメ、特撮のブームもちょうど同時期だったから 映画を観てその主人公気取りでゲームに興じる そんなことを繰り返していた
繁華街で出入りしたのは他にも 本屋、レコード屋、楽器屋、電気屋、模型屋などなど
今でも趣味の上で関わりがあるし これらの店には今
浜田省吾と僕と、ギターと act-0004 ギター弾き始めの頃
その頃 聴いていた音楽などの話し
今では サブスクリプションも公式動画配信もあってコストを抑えた状態で大量の作品に触れられる
それは、とても喜ばしいと思ってるし その反面、重みを感じず云々ってのは理解するけど いやいや、待てよ
聴きたいものを直ぐに聴ける状況ってのは良いことだよなって素直に思う
そんなことが出来ない、システムがなかった頃のお話し
ギター弾き始めの頃に一番のお気に入りはアリスだっ
浜田省吾と僕と、ギターと act-0003 初ライブ
何も分かってない者の勢い
ギターを弾き始めたのが1979年の秋、10月下旬辺り
其処から冬休みまで殆ど毎日練習したとは思うけど
具体的にどんな練習方法だったとかは覚えてない
教則本みたいなのは買ったような気がする
それと、いわゆる歌本と呼ばれるギターコードが載ってる本を買ったはず
その歌本で知ってる&弾けそうな曲を選んで兎に角ジャカジャカやってた
完コピなんて概念はなく伴奏としてコードがそれらし
浜田省吾と僕と、ギターと act-0002 最初のギター
ギターを手にした頃のこと
1979年の秋、中学2年生で生徒会でのアレコレもあり 文化祭では実行委員みたいなものをしていた
その時の友人の一人が部活の一貫としてステージに立った
1学年上の先輩達が演奏とメインのボーカルをやっていたので その友人はコーラス程度でジャンルとしては僕の興味を惹かなかったけど間近で楽器演奏に触れたのは初めてだった
そんなに大袈裟な衝撃ではなかったけど それでも あ、ギタ
浜田省吾と僕と、ギターと act-0001 風を感じて
浜田省吾との出会い
1979年7月にリリースされた7枚目のシングル
当時の僕は14歳、中学2年
一番の趣味は音楽鑑賞
FMラジオで流れるヒット曲、話題アーティストの新譜をカセットテープにチマチマ録音してそれを繰り返し聴く
風を感じて、も その中の一つ
そしてカップ麺のCMソングとしてテレビで流れていた
多分、音楽をガンガンに聴いてる層が友人にも居たと思う
彼等は既に洋楽に目覚め邦楽もロック