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先生という仕事

今でも一番記憶に残る担任の先生は小1・2のころのH先生。彼女がクラス全員を横に整列させてビンタされた日のことが忘れられない。理由は覚えていない。全員をビンタした後、H先生は「あなたたちは1回ずつビンタされただけだけど、私はあなたたちの人数分叩かれた」と言って涙を流していた。僕は頬も心も痛かったし叩かれたことに納得もしていなかった。全員ビンタなんて今だったら絶対あり得ない話だけど、そうじゃなかったあの当時(1980年代前半)の時代感覚を忘れたくない。
彼女がダメな先生だったとは思わない。むしろ小学校でいちばん好きな先生だった。暴力はダメだしイヤだけど、不思議とそれと好悪とは関係がなかった。このことも忘れないようにしよう。
H先生は昼休みになるときまって教卓に座ったまま目を閉じてうつらうつらしていた。ふと眠っているように見える顔を見ると、真顔のまま涙が頬を伝っている日もあった。疲労の限界だったのだと思う。当時のH先生に小さい子供がいたのがわかったのはその7年後で(H先生の息子が中学で2つ下の後輩になった)あの当時の先生はどれだけしんどかったんだろうと想像したのもそのときだ。後輩の彼は頭の回転が速く穏やかな子で、怖いばかりだったH先生の真心のようなものを彼から勝手に感じ取った。(2023.2.12)

クラス運営が上手な先生は、子供たちの人間関係の調整が上手なわけで、つまり子供たちの「内面の操作」をしているわけだ。でも彼らが素人と違うのは、操作は十全にうまくいくことはないと知っており、うまくいかなさの中にいい塩梅があることを知っていることだ。うまくいきすぎたら困る。(2024.3.24)

先日行った近所の小さな医院はネットの口コミが散々だが、個人的には言うほどひどくないと思っていた。久しぶりに行ったら、患者に対する疑心暗鬼が前面に出てしまっていてその先生が持っていた独自の良さが失われたように感じた。先生と呼ばれる仕事は、目の前の人と数多く関わる中で独自の勘を磨いていく。だが、口コミという外部の声のせいで(ある意味では)神聖であるはずの空間が歪んでしまい、目の前の人と向き合うという当たり前のことができなくなってしまったのかもしれない。そんな先生たちが世間にたくさんいるのだとしたらとても不幸なことだ。先生に大切なのは我が道を行くことなのに。(2023.12.19)

担任が若い女性の先生になったときに偏見で「あの先生、大丈夫かな?」と子供の前に言うことがいかに先生の学級運営を阻害することになるか(学級崩壊の主因にさえなる。) 塾や習い事も親が子供の前で先生に対する疑念や悪口を言い始めた時点でそこはもう辞めたほうがいい。(2023.7.17)

根性論の先生の恐ろしさは、いま君が躓いているようにみえてるのはこうなってるからだよ、という現象の構造を説明してくれないところ。(2024.2.22)

発達障害に対する理解が広がったことなどで、我が子を分析する親が増えたけど、分析しすぎて「わかったつもり」になる親、科学的根拠を盾に子供の偶然的な未来を否定する親が増えたのは、本当に大変なことだ。子供を分析しすぎて檻に押し込めたらダメです。
親や学校の先生に病理的な面ばかり注目されて「あなたには問題がある」と眼差されて育つことの残酷さ。「あなたは別にそれでいい、何が問題なの?」と言ってあげられないから「あなたには問題があるから仕方ない」になってしまう。本人に欠陥品としての自分を味わわせるだけ。(2022.8.10)

先生と呼ばれる仕事をしている人たちは創作的でなくてはならないことはもちろんだが、特に仕事に就いて最初10年は格闘と努力を続けないとモノにならないと思う。テンションを変にベテランの先生たちに合わせないこと。(2023.9.16)

真にわかりやすい!と言われる先生は、自分の納得がいくわかりやすさを授業中にぶっ壊しながら教えることができる人だ。(2022.2.9)

クラス運営において先生と生徒がフラットな関係では、いじめなどいざというときに生徒を守れない。(2023.10.23)

親から褒めてあげてください、もっと叱ってください、と言われて褒めたり叱ったりする先生なんてイヤだ。褒めるのも叱るのも一種のコントロールだという意識がなければ「良かれ」の押し付けにしかならない。もっと単に内発的に子供に反応すること。
私は子供の親から「もっと叱ってください」と言われると、あなたは子どもに対するコントロール欲を他人を通してまで発揮しようとするのか?と思うし、もっと信頼してください、と思ってムっとなります。(2022.6.9)

生徒による先生に対するセクハラって問題化しにくいから大変な現場はほんとうに多いと思う。(特に女性が)先生になるリスクの中にはそういう守られなさがある。(2022.7.7)

学級崩壊してしまった学級の先生を責めても解決・解消は難しいので保護者を含めた周囲が「誰が悪い」を横に置いて策を模索するしかないけどそれができないのが本当に問題。(2023.6.24)

高校の進路指導の際に、物理の先生が「理系の方が給料高いから基本的には理系を目指した方がいい」と話したらしい。しかも文系志望の子に対して。仮にそれが事実だとして、そのことが目の前のその子の人生に一体何の意味があるのかと問い直してほしい。(2023.10.15)

小学校の教室で吃音の子を周りの子たちが笑う。それを先生が注意する。こんなとき先生の働きかけはとても重要だ。それは吃音の子を守る砦だから。だが先生が注意することは、同時に子供たちの自然を奪う。この「同時に」を理解することは教育の根幹にかかわる。(2023.11.12)

〇〇先生はいつも宿題やってこないあの子には甘い、えこひいきだ、そうあなたは思ってるかもしれないけど違う、あの子なりにがんばっているということを〇〇先生はちゃんと受け止めているんだよ、ということがようやく伝わる時代になってきたと思う。昔よりえこひいきを指摘する子自体減ったと感じる。みんなそれぞれだということを知っているんだと思う。(2023.2.27)

安達茉莉子さんの『毛布』の中にあるエピソード、信頼していた高校の英語の先生が突然亡くなって、先生はまだ私に途中までしか教えてくれていないと思って、外国語学部のある大学に進学した話、素敵だと思った。(2023.5.31)


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