母と娘 幻想の共同体
ある中3の女の子がいました。その子は市子さんという名で、誰にでも屈託なく話しかける活発で明るい性格の持ち主でした。しかし、彼女にはひとつ問題がありました。極度のカンニング癖があったのです。
カンニングは通常、周囲にバレないように注意深くするものです。しかし彼女はとても大胆でした。誰から見ても明らかな様子でじーっと隣の解答を見るのです。あまりにあからさまなので、彼女の隣に座った生徒たちは、思わずテスト中に彼女と自分の間に筆箱の壁をつくる(筆箱で自分の答案を隠す)ほどでした。彼女はあまりにカンニング馴れしすぎて、カンニングをしなければ答案が作れないというような心理になっているように見えましたし、また、その大胆さには、いくらカンニングをしようと大人たちは私を叱ることはない、という確信のようなものさえ感じさせました。
私は市子さんの過度のカンニング癖を直したいと思い、いろいろな策を講じました。彼女がカンニングを始めると「いま横をちらっと見た人がいるけど、カンニングと誤解されるようなことをしないで」と間髪を入れずに全体に呼び掛けたり、カンニングに気づいたらすぐに彼女の机の目の前まで行って、ずっとそこに居座り続けたりということを繰り返しました。しかし、それでも彼女はカンニングをやめる気配はありません。隣の生徒との誤答の一致などもあり、情況証拠は揃っていたので直接彼女を呼び立てて注意することも考えましたが、彼女は決して自らの過ちを認めない迫力のようなものを纏っていましたし、情況証拠を見せつけたところで、彼女は大げさにしらばくれるか、場合によっては、見た相手側が私の解答を見たのではないか、そう言いかねない(そう言われた場合の論理的な反論が難しい)と感じていました。
彼女はカンニングだけでなく、自分の成績を殊更よく見せようとしました。例えば学校の定期テストの結果を実際よりも高く塾に報告したことが明らかになったことがありましたし、授業中に「この問題解けた人~?」と子どもたちに挙手を求めると、解けていなくても、いつも必ずと言っていいほど彼女は快活な様子で手を挙げて、自分がいかにできる人間かということを周囲にアピールしようとしていました。
彼女はなぜいつも虚勢を張らなければならないのか、誰彼構わず偽りの自分を見せなければならないのか、私はそのことを考えていました。彼女の虚勢は、それが彼女の性質そのものなのだと思わせるほど彼女に根付いており、それ自体が彼女の行動原理となっていました。彼女の本当の実力を見抜こうとする私の視線は、彼女にとって決して愉快なものではなかったでしょう。
しかし、それでも彼女は、私に対しても自身を高く見せようとすることを忘れることはありませんでした。悪い点数を取ったときには、なぜ取れなかったのかを授業後にわざわざ解説しに来ました。④番を解いているときにお腹が痛くなったとか、③番を解くことにこだわりすぎて最後の方が解けなかったとか、今日は学校で〇〇があったせいで問題を解くのに集中できなかったとか、そういったことです。逆に想定外に良い結果を出したときも、アピールを忘れることはありませんでした。
受験生になった中3の秋の三者面談で、市子さんと彼女のお母さんと1時間ほど話しました。そのときに気になったのは、お母さんが彼女の成績状況を顧みることなく、この子なら、きっと地元最難関校のF高校を目指せるはずだと信じていたことです。公立高校入試で普通科を受検する場合には、その子の学力レベルに合った学校を志願するのが志望校選びの考えのベースになるのですが、お母さんは初めから、市子さんがF高校を受けるという前提のもと、他の選択肢を完全に退けて話をしていました。親には多少なりとも意向があるとはいえ、そういう強引とも言えるような話の進め方をする保護者は珍しいので、私は強い違和感を覚えました。彼女はF高校を目指すには、あまりに実力が不足していたのです。彼女は地元の3番手、4番手の高校の合格さえ危うい成績でした。やってできないことはないと言いますが、殊に受験に関しては、受験が迫ったある時期を過ぎると、合格可能性がある学校とそうでない学校はある程度分かることです。私の判定では、市子さんがF高校に合格する可能性はないと言わざるをえない状況でした。
「市子さんはF高校の受験は難しいです。現時点では合格点まで300点満点中100点ほど不足しています。それどころかT高校の合格も危うい状況なので、志望校について再検討が必要です。」
「先生、塾のこの前のテストは最悪でしたけど、学校の実力テストではもう少し取れていましたよ。塾のテストは相性が…。」堪らずに市子さんが口はさみます。
「先生、やっぱり市子が頑張るという以上、親としては信じてあげないといけないと思うんです。無理というのは簡単なことですけれど、絶対に無理ということはないと思いますので、親としてはやっぱり信じてあげたいと思います。私も、市子も、いままで一貫してF高校に入学したいと思ってきました。市子にはF高校の校風こそが合っていると思うんです。ですから先生、市子にどうか力を貸してください。先生のことは本当に信じていますので。」
市子さんの成績について私が否定的見解を述べているとき、彼女は時折とても苦しそうな表情を浮かべ、チラチラと母親の表情を伺っていました。そんな彼女を見ながら、市子さんは私が母親の前で虚飾されていない本当の実力を伝えることが本当に嫌なのだろうなと感じました。一方で、お母さまはそんな彼女の成績を嘆きながらも、なぜかどこかで本人以上に現実を直視していないところがあるように見えました。私がいくら現状を伝えたところで、お母さんは娘がF高校を受験する以外の選択をすることなど考えていないし、そもそも考えたくもないということが、はっきりと伝わってきました。穏やかな口調の奥にあるお母さんの頑なな意向に、私は少し怖ろしいような気持ちになりました。
彼女が四六時中虚勢を張らざるをえない原因の根っこに、母親の存在というものが強くあることをはっきり理解したのはその頃からです。お母さんはその後も、学校や塾からどれだけ合格可能性は低いと言われても、私は市子の力を信じているからと、その姿勢を崩しませんでした。しかし、それは娘を「信じている」というような美しいものではなく、あなたは私のイメージ通りの娘でなくてはならない、という有無を言わさない強迫そのものでした。あなたは私の理想のイメージの中で生きていくのよ、暗黙のうちにそう言われ続け、必死にそれに応えようとしてきた彼女の姿が見えました。それはとても健気で、ひたすらに一途な姿でした。そして、もしかしたらそれは、かつての母親の姿そのものなのかもしれません。彼女は、成長するうちにどこかのタイミングで気づいたのでしょう。母親の思う私になるためには、母親だけでなく、まず私の周囲の人たちから欺かなければならない、そして自分自身も欺かなければならないと。彼女の周囲に対する一貫した虚勢、自分自身は賢く尊敬を集められるべき存在であるとする振る舞い、さらに、自分の(カンニングなどの)行為がいかに大胆なことかということに気づかないその鈍感さ、これら全ての原因がひとつに集約されるように見えました。
その後も彼女は、母親のイメージどおりの娘になることばかりを考えているようでした。ある日とうとう私は、テスト中にカンニングに見える行為をしているけれど、それをやめなければ、受験で失格になるかもしれないと彼女に伝えました。すると彼女は咄嗟に、そう見えてしまう癖があるみたいなのでそれを改めたいと言いましたが、その指導を私たちから受けた後も、それでもカンニングを続けました。彼女は、母親の信任を受け続けるために、母親から失望されないようにするために、不正というリスクを冒してでも、実力のある私、F高校に合格する可能性がある私を母親に見せなければならなかったのでしょう。そのためには、模試でカンニングをすることは彼女にとってどうしても実行せざるをえないミッションだったのです。でも悲しいことに、彼女は心の底では知っているのです。自分がF高校に合格する力が決定的に不足していることを。カンニングをするという行為自体が、自らの力不足を自分が偽りなく知っていることの証左ですから。もし仮に人を騙しとおせたとしても、自分自身は騙しとおすことはできません。F高校に合格する可能性がないことを頭の隅で知っている彼女が、本気の合格を目指している他の子どもたちより頑張れるはずがありません。模試で座席を調整するなどして物理的にカンニングを不可能にする対策を講じたことも相まって、彼女の成績は、受験に近づくにつれてさらに下降線を辿りました。
いよいよ公立高校の志望校を最終的に決める時期がやってきて、市子さんはそれでもやはり、F高校を志望していました。彼女は、他人に役すばかりで自分自身のための勉強というものを知らないままに、受験直前期を迎えてしまった悲しい受験生でした。
志望校の最終願書締切日の前夜、私は市子さんと話をしました。彼女に嘘のない受験をしてほしい、最後の数週間くらいは本当に自分のために頑張って欲しい、その希望を私は捨てていませんでした。市子さんはその時点ですでに私立高校一校の合格を決めていました。しかし、彼女はそのS高校の合格を、口にするのも憚られることのように皆の前で隠しており、そして私と二人ぼっちのときには、S高校には死んでも行きたくない!と度々口にしていました。
「市子さん、受験で奇跡が起こることを期待してはいけないし、だからこそ受験は平等で、信頼に値する制度なんだと思うよ。いまの成績で市子さんが合格するという可能性はどうしても考えにくい。それは自分でも本当はわかっているでしょう。それなのになぜF高校にそこまでこだわるの? だってS高校には絶対に行きたくないんでしょ? それなら、受かる可能性がある学校を受験しないと! 例えばT高校はどう? 市子さんが過去3カ月でとった成績の中で一番いいこのテスト!このとき、英語すごい頑張ったよね。このときのテストと同じくらい本番で頑張ったら、T高校、勝負できるかもしれない。この数週間、一所懸命に努力したら合格できるかもしれないよ。T高校もなかなかいい学校だよね。制服もかわいいって言われているのを知ってるでしょ。どうせ受験をするなら、ちゃんと勝負しようよ。」
「・・・T高校、家から近くて制服もかわいいし、いいと思うんですけど、逆に家からちょっと近すぎるかなーって。だって家を出てすぐ左に曲がったところの道にT生がいつもいて。いつも見ている人たちの学校に行くのって面白くなくないですかー?」
「じゃあ、M高校にする?」
「イヤです。M高校は行きたくないです。」
「M高校はイヤ、S高校も絶対にイヤ。じゃあなんでF高校を受けようとしているの? T高校はS高校とかM高校よりはいいと思っているよね。じゃあT高校を受けたほうがいいはずなのに、なぜF高校にこだわるの? 志望校のレベルを下げたのに、T高校にまで落ちてしまったら、ということを考えると怖くなるの? ねえ、市子さん、もう一度よく自分の気持ちを見つめてほしいんだけど、市子さんは、本当にF高校に行きたいの? 市子さん自身がF高校に行きたい、そう強く思っているように感じないんだよ。これはいまの話じゃなくて、ずっと前からそう思っていたんだけど。市子さんは、もしかして、自分のためというより、誰かのために勉強しているんじゃない? 市子さんのお母さんは市子さんがF高校に行くものだと信じきっているよね。そのお母さんの気持ちを裏切りたくない、そういう気持ちもあって、市子さんはF高校に行きたい、そう言い続けているんじゃないの?」
「・・・・・・。」
市子さんは少しの間ぎゅっと唇を噛みしめた後、唇を緩め、そして観念したような表情になり、そして、ぽろぽろと涙を流し始めました。
「先生……。どこまでが母の気持ちで、どこまでが私の気持ちかはよくわからないんですけど、私がF高校に行きたいという気持ちがあるのは本当で……、これは本当ですよ。でも、先生がおっしゃったように、私のためではなくて……、私は母のために、勉強している……受験している……それは、そうかもしれません……。」
「そう。」
「……先生。私、ひとつ思い出すことがあるんです。幼稚園のときから小学校の4年生くらいまで、私、ある習い事をしていて。そこには週に3回、母といっしょにバスで通っていたんです。そして、そのバスに乗っていると、いつもF高校の前を通るんです。その前を通るたびに母が私に、ここはあなたが将来行く学校よー、って言うんです。そのときの母の顔は、にこにこしていて、とても楽しそうで……。私、そのときの母のうれしそうな表情が忘れ…忘れられないです。校門から出てくる人たちも本当に楽しそうに見えて、そうか、私、将来、この学校に行くんだー、と思ってたんです。私、何もわかってなかったから、根拠もなく行けるような気がしていて……。そう、なぜか根拠のない自信みたいなのがあったんです……。でも、やっぱり難しい……ですね。」
私はこのとき初めて本当の彼女の声を聞いた気がしました。
「……先生。私、先生の言う通り、F高校じゃなくて、T高校を受験します。S高校には行きたくないし、自分のために頑張ります。」
「それ、お母さんの前でもしっかり言える? T高校の受験頑張るって。」
「ちゃんと言いますよ。S高校もM高校も行きたくないから、T高校で頑張るって言います。」
彼女はひとしきり泣いた後、そうやって、T高校を受験することを宣言して家に帰っていきました。私はそのとき、彼女との話し合いの中で初めて出た成果を喜びました。しかし一方で、そんなにうまくいくだろうかと、心のどこかが片付かない思いでした。彼女の涙は本当だと思う一方で、ちょっと聞き分けがよすぎる展開のようにも感じていたのです。
その次の日のことです。彼女が塾の教室に笑顔で入って来たとき、彼女のことが気になっていた私は、開口一番に尋ねました。
「市子さん、今日は願書締め切りだったよね。ちゃんとT高校で願書出してきた?」
「先生、私、やっぱりF高校受けます。頑張りますっ。」
まるで昨夜の話がなかったことのように、笑顔でF高校を受験すると言う彼女に、私は、えっっ、と発するのがやっとで、その場では何も言えませんでした。授業が終わった後、私は彼女に尋ねました。
「市子さん、なんでまたF高校にしたの?」
「やっぱり最後まで諦めたくないんですっ。後悔したくないと思って。私、頑張りますっ!!」
溌溂と笑顔で答える彼女を見ながら、私は昨日、私の前で涙した女の子と、この目の前にいる女の子は、本当に同じ子なのだろうか、と頭を混乱させながら考えていました。市子さん、でも、S高校には行きたくないんでしょ、F高校に受からなかったら絶対に行きたくないはずのS高校に行くことになるんだよ、そう話を蒸し返しそうになりましたが、私はそれをやめました。彼女は、わずか一日たらずで、母との幻想の世界に戻ったのです。
彼女はなぜわずか一日で意志を戻したのか、私はその後しばらく考えました。考えているうちに思い出したのは、彼女が涙を流したときに「母の気持ちか私の気持ちかわからない」と話したことです。私が彼女に求めたことは、お母さんの幻想から離れ、自分の意志を持ちなさい、ということでした。しかし、彼女にとっての意志が母親のそれと不可分である限り、母親から「あなたの行きたいという気持ちはどうなったの?」と問い直されれば、母親の意志を私の意志として取り戻すことは容易なはずなのです。私は子どもの意志の脆弱さに思い当たりました。大人が子どもの意志をコントロールすることが、これほど容易く行われることがあるということに愕然としました。そして同時に、私たちの意志と呼ぶものの正体はいったい何なのだろうと考えました。大人が意志や目標と呼ぶようなものも、大抵はいくつかの共同幻想を材料に練られたものにすぎないのかもしれません。だから、それに絶対的な価値や生涯の意味を求めることは、むしろ偏狭な生を呼び込んでしまうかもしれません。私は、母とは別の意志を持ちなさいと彼女に求めました。でもそれは、母親と同じループの中で彼女に語りかけているのであり、場合によってはそのループを強化しかねないということに気づく必要があったと感じています。
市子さんはそのままF高校を受験して不合格になり、塾を去ってゆきました。その数か月後の初夏のある日、彼女のお母さんが泣きながら「S高校なんてみっともない学校に行って、市子が本当にかわいそうで……」と突然電話をかけてきたことがあり、私は「みっともない学校なんてとんでもないです。」と言うので精いっぱいでしたが、それ以来、私はその親子に会っていません。
私は市子さんに、生きるっていうのは、いい学校に行くとか、よい成績を取るとか、そんなことより、もっとずっとおもしろいことがあるんだよ、そんなことばっかり考えているから、苦しくなるんだよ、そういうことを教えて上げたかったです。でも私は、そんなシンプルなことさえ、ついに彼女に伝えられませんでした。そのことを私はいまだに悔いています。
市子さんを通して私が学んだことは、親の欲望を子どもに背負わせるというのは、子どもを不幸にするということです。そのことを親が真剣に自分のこととして考えることができなければ、子どもはかわいそうですし、親自身もいつまでも救われません。一連の受験を通して市子さんが私に見せてくれたのは、いまにも不安で潰れてしまいそうなお母さんをなんとか守ろうと、自らの生存を賭けてお母さんの期待通りの私を演じ切ろうとする、あまりに痛々しい15歳の女の子の姿でした。
しかし一方で、人生というのは何があるかわからないものです。何かをきっかけとして解毒のようなものが起こり、自分が抱えてきた重荷を、全てではなくても、その一部を下ろせるときがくることがあります。市子さん、そして彼女を唯一の娘として大切にしていたお母さんが、今ごろは以前より楽に、肩肘張らずに生活できていたらいいなあと心から思うのです。
※登場人物に特定のモデルはおらず、フィクションとして構成しています。
(2017年1月 改訂して『親子の手帖 増補版』鳥影社に収録)