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教育熱心な父親が増えた

この仕事を始めた二十数年前と比べ、親たちのさまざまな傾向が変化したと感じることがあります。そのうちの一つは、父親も母親も区別なく子育てにかかわるべきという時代の流れもあり、子どもの教育に熱心になる父親が増えたことです。これは育児を母親だけが担ういびつさが多少なりとも改善されたという点では歓迎すべきことですが、子どもの側からすれば、そうは言いきれないところがあります。

なぜなら、親がふたりとも子育てに熱心になることほど、子どもにとって息苦しいことはないからです。小言を言う人なんて家庭内にひとりで十分で、二人以上いたら、しかも二人の他に別の大人がいなければ、子どもは行き場をなくしてしまいます。それが繰り返されれば、子どもの心のバランスが崩れてしまうのは当然でしょう。

最近は、父親が子どもに小言を言いたいだけ言い尽くした後、しょげる子どもに母親が苦し紛れのフォローを入れる場面もよく目にするようになりました。でも、フォローするという身振りは、取り返しのつかなさをそのままなぞるような表現でしかなくて、むしろ手遅れ感を際立たせてばかりです。

こういうときに必要なのは、フォローというよりは、親の小言や理想に縛られることなく、子どもにとって本当に大切なものを気づかせてくれる存在です。「ちびまる子ちゃん」の友蔵じいさんが、「まあまあ、いいじゃないか」と、どこ吹く風で笑い飛ばしてしまうような感じです。もしくは、子どもが叱られているすぐ横で、どうにも頼りない大人が「いやあ、オレもさっぱりうまくできないけどさ」とか言いながら存在してくれているイメージです。

こういうちょっとズレた大人がいると、子どもは大人にもいろいろな姿があることにとほっとする。大人足る人と大人足らずな人を見ながら、子どもは成長していくのに、足並みが正しく揃い過ぎた両親は、子どもに理想を教えるだけで、人間の矛盾を見せようとしないから、子どもは逃げ場を失うのです。

いろいろな家庭を見てきましたが、父親が悪影響を与えやすいのは、特に息子に対してです。几帳面に息子を管理しすぎる父親は、高い確率で息子を窒息させてしまいます。生真面目さが不足していた過去の自分を悔やむような子育てをする人は、自分のダラしなさがいかに自分を救ってきたか、自分が息を吐くために必要だったかということを過小評価しすぎています。自分はそうやって無意識にバランスを取ってきたのに、子どもが休んでいると、サボっていると決めつけて、それを許さない。そんな無理をさせて、うまくいくわけがないじゃないですか。バランスを崩して立ち上がれなくなるに決まっているじゃないですか。

子どもたちひとりひとりには、その子に合ったペース、つまり、その子のその都度の状態に即した時間感覚があります。大事なのは、彼自身が自分の心と体が求めるペースを感じ取りながら、その都度うまくチューニングできるようになることです。そのためのサポートを心がけてみていただければと思います。

(西日本新聞「それがやさしさじゃ困る」2023/5/1)

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