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受験は「団体戦」ではない。

受験シーズンも終盤のこの時期、既に受験を終えて進路を決めた友人たちが大勢いるなかで、ラストスパートの格闘を続ける受験生たちに心からの激励を送りたい。

来年度から大学入試共通テストにおいて「情報1」の科目が多くの国立大で必修化されるなど、入試の環境やシステムは毎年のようにめまぐるしく変化しており、毎年受験生を送り出す学校や塾・予備校はその対応に追われ続けている。50人以上の受験生を抱える私たちの教室も例外ではない。

福岡市内の高校入試においても近年は大きな変化があり、私立高校は専願入試、一部の公立高校は特色化推薦入試で早期(1月)に入学生徒を確保する動きが強まった。これによって1月末には中3の半数以上が進路決定を果たすようになり、3月の公立高校一般入試を受ける生徒はもはや少数派となった。

そんな中で、2月上旬にある中学校の中3の担任の先生がクラスの生徒たちに呼び掛けたそうだ。「受験は団体戦で、クラスの雰囲気が大事だから、受験が終わった人も、授業の雰囲気を乱さないで」と。そのクラスでは全体の約3分の2の生徒がすでに受験を終えており、公立入試まであと1カ月勉強を続けなければならない数少ない生徒への配慮として、言葉を掛けた先生の苦労は察するに余りある。クラスの雰囲気が受験生に多大な影響を与えることがあることも、学校に対して進学塾と単位制高校という別のフィールドではあるけれども、教室を運営する私の実感とも一致する。

だが、受験が「団体戦」なのかと言えば私は迷わずにNOと答える。受験は例えば部活動のチーム戦とは違う。チームが勝利することが評価される「団体戦」と違って、受験の合否はあくまで個人的なものである。チーム内では共時性の中で仲間とつながる感覚が生まれやすいが、受験というのは徹頭徹尾、個別の経験なのだ。そういう孤独に耐えることが、受験勉強にははじめから織り込まれていて、その苦しみがある若者の精神を逞しくする一方で、別の若者の心を壊すのだ。

受験は一方的に「やらされる」勉強であり、そこに主体性は育たないから意味がない。そういう主張が綴られた本を先日読んだ。主張には一理あるが、それが受験という動機であれ、勉強にはそれぞれのやり方があり、最終的には一人でしかできず、そこには確かに独特な花が咲くことがある。そして、結果を受け止める心も一人ひとり全く違っている。

今年もいろんな受験生に出会って、彼らの道行が温度と手触りのあるものであるようにと心でそっと手を合わせる。今年も春がやってきた。

西日本新聞「それがやさしさじゃ困る」2024/3/4

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