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合唱コンクールの不思議な力

10月は中学校の合唱コンクールが行われる季節で、多くの学校の生徒たちが昼休みや放課後の時間まで削りながら、練習に励みました。

今年の合唱コンクールは3年ぶりに本番のみ全員がマスクを外して歌うことにした学校も多く、観客席の多くの保護者たちは、舞台上のスポットに照らされた我が子とクラスメートたちが立ち並ぶ姿を見て、歌う前からうるうると涙を浮かべてしまいます。

そしていよいよ子どもたちが歌い出すと、迫力ある熱っぽい歌声に押し出されるように涙があふれてくるのです。あの子はいつもあんなにひねくれたことばかり言っているのに、聞こえてくる歌声はなんて真っすぐで素直なんだろう。歌のメロディーが伴うだけで、なぜこんなに揺さぶられてしまうんだろう。そうやって自分の熱くなった心の不思議について思わず考えずにはいられなくなります。

それにしても、音楽にはほんとうに不思議な力があります。だから、その力を子どもたちが少しでも深く感じられる瞬間があれば、コンクールは成功だったと言えるでしょう。

その点で言えば、合唱の練習過程で「クラスで団結し、協力して取り組もう!」のような目標を最初から立てているクラスを見ると、少し残念な気持ちになります。なぜなら、もしクラスの団結がありえるとすれば、それは偶然的な音楽の効果として発揮されるべきものであり、はじめに団結ありきでは、目指すべき音楽の質は自ずと限界が定まってこざるをえないからです。

数年前にラトビア出身の世界的指揮者ヤンソンスが来日した際に、新聞社のインタビューの中で「音楽は支配からではなく、信頼からしか生まれ得ない」という趣旨の発言をしました。

学校という場所は子どもにとっては管理という名のもとに支配されがちな環境であり、学校行事には支配を強化するようにはたらく側面があります。しかし、合唱における子どもたちの声は、支配関係を飛び越えて私たちの心に響きます。ばらばらだった声がまとまってひとつの歌になったとき、音楽という大きな哀しみの中に自分がいると感じたとき、子どもたちが世界に秘められた希望の光を見いだし、そのことが他者への信頼の足掛かりになったとしても不思議ではないのです。

合唱コンクールは、鬱屈しがちな学校生活の中で、子どもたちが未知なる力と出会う数少ない機会になることがあります。

西日本新聞 こども歳時記(2022年11月)

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