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安心したいんだ僕らは。
大人は子供時代の「苦手」の記憶を反復しながら生きています。人間は楽しい経験だけでなく、ネガティブな経験すら反復してしまう。そして反復を通して主体化し、安心していく。(2025.1.16)
データやエビデンスを求める人に限って、それさえあればイコール事実だと早合点して安心しようとする。それは世界の見方のひとつを示しているだけで、イコール事実のわけがない。(2023.10.15)
子供がうまくいかないのが環境のせいであることは多々あるし、そのことを認識するだけで親子で前に進めることもある。他方で、子供を芯から甘やかす親の特徴には「子供が他人や環境のせいにすることを許し続けることで子供が親の前でいつまでもいい子でいられる状態を許している」という共通項がある。だから「環境のせい」問題は厄介なんだけど、こういうことがあるから結局のところ正直さというのが大事になる。何事も本人だけ環境だけということはないので、その都度に塩梅を見極めること。何かのせいにすることで安心してしまわないこと。これは分かる人にはよく分かる話だと思う。子供をこの体質から抜けさせるのは大変なこと。親が子をかばうことで元の体質に戻してしまうことも多々。(2023.8.1)
学校教育で文学的な文章を書かせるのは美的判断を伴うためにハードルが高く、文体を統一する(入試では常体・敬体が混じると減点される)ことが正解であるとしか教えられないことがほとんど。こうして学校では個人の表現を「こわばらせる」方向に向かわせる指導が本当に多く、ここにも学校後遺症がある。しかし、ここでのポイントは、「こわばらせる」方向のほうが少なくとも短期的には安心で楽であること。こうして大人は自分の中の「こわばり」の中に積極的に安住していくわけだが、そのこわばりがくすぶり続ける人もいるし、中年以降にそのこわばりから解放されることで本当の楽さを見出す人も中にはいる。(2024.5.6)
「この子は危機感が足りない」は受験生に対する大人の常套句。危機感を煽る大人たちは、子供の不安を掻き立ててまで「安心に隷属する人間」を育成しようとしているわけだ。危機感は確かに短期的な燃料になるが、人が物事に没頭するときには、もっと自らを超えていく意志のようなものが必要だ。(2025.1.29)
多様性を認めることや、子供の可能性を信じることは、偶然性にさらされた突発的な出会いを、そのままに許容しようとする努力のことなのに、偶然性に目をつぶって初めから安心社会を作ろうとしている。むしろ、そういう安心を担保するような「正しい設計」を多様性の意義と考える傾向さえあり、世間はそんな表面的なダイバーシティをやさしさと呼んでいるのだ。(THE FORWARD Vol.4 実業之日本社 2022年9月30日発行)
最近は恐ろしいことに「こういうことは大事だから」という言い方自体が通用しにくくなっている。何を根拠に「大事」なんて言うの?という冷めた視線を感じます。学校内に監視カメラを設置するなんてダメだ、という主張はとても「大事」だと僕は思うんです。でも、そういう頭でっかちな倫理に煩わされるよりも、みんながいち早く安心できることを優先すべきという風潮になっている。それには強い危機感を覚えます。(2025.1.8『「学び」がわからなくなったときに読む本』より)
かつての子供の世界では喧嘩は重要な地位を占めていたが、今では喧嘩は忌むべきものとなり、加害被害の枠組みでしか捉えられなくなった。大人の安心のために世間が漂白されたせいで、子供が社会や政治や善悪について身をもって知る機会は少なくなった。(2023.9.27)
好きなことしかやらない子供が増えた気がするが、これには
①執拗に管理され「遊び」が禁じられたことに対する反動
②好きなことや安心を重視する親の影響
→新しいチャレンジに向かえない傾向
③インターネット&ゲームという好き&安心 の最強コンテンツ
などの理由があり、複合的影響であることが多い。(2024.11.1)
高1の子が、不規則な生活は時間を考えないということだから安心する、規則的な生活は時間を意識させられるということだからそれだけで辛いと言う。なんで辛いのとさらに尋ねたら、時間を意識することは、自分に対する意識が鋭くなるから、それが辛いと言っていた。(2024.4.8)
いまの若い人たちがバンタン(BTS)から学べる最大のことは、傷つかずにすむ安心できる場所にばかりいるなよということ。それでは自分の人生がいつまでも開かないから。連載の名前を「安心な僕らのレジスタンス」にしたのはそこに由来している。ちなみに「安心な僕ら」はすでに多数が指摘してくださっているとおり、くるりの「ばらの花」の歌詞からとられたもの。くるりは2001年に「安心な僕ら」を基調とする窮屈さが時代を雁字搦めにすることをすでに読み込んでいた。(2022.10.29)
一昨日お話しした田口康大さんが「僕は流れのある水の近くで暮らしたい」と話されたことと、「大人は留まりやすいが、留まっていると安心のようで不安になる。流れがあったほうがいい」(大意)とおっしゃったことがとても印象的で、深く同意した。(2024.12.6)