教員に「指導方法を一律に強要する」ことは、芸人に「笑わせ方を一律に強要する」ことと同じ
教育現場では、しばしば、指導方法を強要されるケースがあります。
強要してくださる方は、
・管理職
・先輩教員
・指導主事
など、様々です。
強要される指導方法は
・めあての板書
・構造的な板書
・授業の始まり・終わりの挨拶
・単元を貫く言語活動
・計算ドリル
・漢字ドリル
・音読カード
など、数え上げたら、枚挙にいとまがありません。
教育現場における、この風潮は、本当に意味が分からないのです。
このことをお笑い芸人の世界に当てはめてみます。
教員に「指導方法を一律に強要する」というのは、芸人に「笑わせ方を一律に強要する」ことと同じです。
例えば、教員の世界では、管理職や先輩教員、指導主事が「授業は、必ず『構造的な板書』をしなくてはいけない」と言う場合があります。
これは、芸人の世界に置き換えると、マネージャーや先輩芸人、お笑い学校の講師が「お笑いライブでは、必ず『あるあるネタ』をやらなければならない」などと言っているのと同じです。
あるいは、
「お笑いライブでは、必ず『しゃべくり漫才』をやらなければならない」
「お笑いライブでは、必ず『ショートコント』をやらなければならない」
「お笑いライブでは、必ず『歌ネタ』をやらなければならない」
「お笑いライブでは、必ず『リズムネタ』をやらなければならない」
などと言っているのと同じです。
笑わせ方は、様々あってしかるべきです。ですから、その芸人にあった方法、そのライブにあった方法を自由に選んでいく中でお客さんを笑わせる、というのが健全な形である訳です。
しかし、そんな当たり前のことが、教員の世界では、当たり前になっていません。
まだ、あります。
例えば、教員の世界では、「授業の冒頭で『めあて』を提示しなくてはいけない」と言う人がいます。
「割り算の筆算の仕方について考えよう」とか板書する、例のアレです。
これは、芸人の世界に当てはめれば「ネタの冒頭で必ず「『笑い所』を提示しなくてはいけない」と言っているのと同じです。
例えば、ネタの途中で「コンビニの店員とお客さんのすれ違いについて考えよう」と言い出すのと同じです。
そんなことをネタ中に言い出したら、客席のお客さんは一気に興醒めします。
先が読めてしまって、面白みが無くなります。
しかし、そんな当たり前のことが、教員の世界では、当たり前になっていないのです。
そもそも「割り算の筆算の仕方について考えよう」と言わなくても、「今日は、割り算の筆算の仕方を勉強するんだな」と気付かせるのが、その教員の授業の組み立て方の工夫であり、腕の見せ所な訳です。
それなのに、なぜ、一律に『めあて』を提示させようとするのかが、私には全く理解できないのです。
誤解を恐れずに言うならば、
「『めあて』を毎回提示している人」というのは、自ら
「私は『めあて』を提示しないと、本時のねらいを達成できない、授業技量が低い人です」と言っているようなものです。
それでも「『めあて』を提示しないと、授業が分かりにくくなる」という人は、提示すればいいだろうし、
「『めあて』に頼らなくても、授業を組み立てられるし、本時のねらいも充分に達成できる」という人は、提示しなくていいし、
いずれにしても、提示する・提示しない、は自由でいいと思うのです。
まだ、あります。
例えば、教員の世界では、「授業の始まりの挨拶・終わりの挨拶を必ずしなければならない」と言う人がいます。「気をつけ。これから、3時間目の国語を始めます。礼。」という、例のアレです。多くの場合は日直の子などが、そのような号令をかけます。よくよく考えたら、国語の授業を始める人は先生のはずです。それなのに、なぜか、子どもが「始めます」と挨拶をするのです。
上記を芸人の世界に当てはめてみると、漫才にしろコントにしろ、「ネタの始まりの挨拶・終わりの挨拶を必ずしなければならない」と言っているのと同じです。
ネタの最初に「気をつけ。これから、3組目のネタを始めます。礼。」と言うのと同じです。
しかも、それを、芸人が言うのではないのです。
お客さんが言うのです。
ネタを始めるのは、芸人であって、お客さんではありません。
ですから、お客さんが「気をつけ。これから、3組目のネタを始めます。礼。」と号令をかけるのは、明らかにおかしな話です。
「しのごの言わずにさっさとネタを始めろよ」とツッコミを入れたくなります。
ところが、教員の世界では、そんなおかしなことが堂々とまかり通っているのです。
授業を始めるのは、教員であって、子どもではありません。
ですから、どうしても始まりの挨拶が必要だと思うなら、教員が先に一言「授業を始めます」と言えばいいだけです。
それに対して子どもが「宜しくお願いします」と、言いたければ言えばいいだろうし、言いたくなければ言わなくていいだろうし、それが一番自然だと思うのです。
また、終わりの挨拶をどうしてもしたいなら、教員から先に一言「授業を終わります」と言えばいいだけです。
それに対して子どもが「ありがとうございます」と感謝の言葉を言いたければ言えばいいだろうし、言いたくなければ言わなくていいだろうし、それが自然な流れだと思うのです。
このように、教育現場では、変だなぁと思うことが多々あります。