なんとなく似た状況なのではないかと思った事。
社長日記
さてさて、10月に入ってもう3日が経過しました。
そこで昨日届いた書類を紹介します。
・ 介護サービス施設・事業所調査
・ 情報の公表の書類
そして、うれしいお知らせとして、中学生の職場体験に弊社事業所が選ばれまして、3名の中学生の職場体験実習を受け入れる事となりました。
ここから将来介護の現場に興味を持ってもらえるようになれば胸アツの展開ですが、当然そうなるように仕掛けていきたいと思います。
当日は、僕自身に別件の用事が入っていたのですが全てキャンセルして実習生の対応と派遣先への送迎対応が出来るようにしています。
現在、実習の訪問先として許可が得られそうな利用者さんをピックアップして同意を得られたら、空き時間で座学で色々介護の事・仕事の事を伝えたいと思います。
さてさて、さっそく事業所調査ですが、こちらはネット報告が出来る内容でしたので、ネット上で作業をして10分程度で終わりました。
さて、次は情報の公表です。
これはいつ来るのだろう・・・とちょっと不安になってた頃に届きました。
初年度なので調査費用はかかりませんが、来年度は2万円くらいの費用がかかります。
基本的に、この情報の公表というデータベースに事業所側があるなしの登録などをした内容について、本当にあるかどうかを現認しにくるシステムなのですが、そんなに信用ない業界なのかと毎回感じてました。
中には”あり”が多い方がいいという考え方で、全ての項目を”あり”で登録して、調査当日までに書類など整合性が取れるように残業とかしている事業所もあるようですけど、そこまで費用をかけるような内容でもないし、ありのままを公表するのがこの調査の本来の意味だと思います。
そこで他と比べてうちらももっと頑張ろう、となるのが質の向上につながるんでしょうけれど、調査の直前だけ体裁を整えるような事をやっていては真の意味での質の向上にはつながらんのになぁ・・・と情報の公表の調査が来る度に蜂の巣をつついたような準備に追われている事業所を見てきて思ってました。
後から気が付きましたが、運営状況の登録は初年度だったので項目そのものが登録作業しなくてよかったので、運営状況の登録作業が結構面倒だったと思います。
要は、会議や研修をしていたら、その資料や参加者や開催日時がわかる書類があるかどうか、もし実際に開催していたとしても、それを証明する証拠となる書類がなければ”なし”の評価になるんですよね。
このあたり運営指導と似た感じの調査なので、職員の中には運営指導とごっちゃになっている人もチラホラ。
個人的には、ちゃんとやっているのに国や調査機関が定めた書類や項目が網羅されていなければ証拠として認めないというのは評価方法としてどうなんだろうと思いますけど、ずっとそうやって来たのでこれからも変わらないでしょう。
結局、そうやって定められた書類が無ければやったことでもやってない評価になってしまうので、現場サイドとしては証拠になる書類を二度手間でも作らないといけなくなるので、だったら制度が出来た最初からそういう書類や書式を用意しておいてくれよ、と思いましたね。
そして、そういう評価基準も自治体ごとや担当者ごとに違ったりするのが更に状況をややこしいものにして、現場をがんじがらめにしている状況があると思っています。
前の運営指導担当者や情報の公表の調査員がOKをだしていた書類が、新しい担当になると平気でNOになる場合がありますし、その逆もあるんですよね。
正直、えー・・・ってなります。
このあたりの作業はとっとと済ませるのが吉なので、今日で作業を全て完了させました。
これで、当事業所も情報の公表に掲載されるようになります。(まだ先の話ですけど)
さて、最近伺った利用者さんのお宅で、いろいろと支援をしている中でお話をするんですけど、終戦間際に徴兵された話を聞かせてもらって、鉄砲も弾もない中で訓練してたんだ、B29が爆撃にくるけど迎撃できる飛行機がないから何もできないんだ、当時長崎にいたから遠くにキノコ雲を見た、という話しを聞かせてもらいました。
他の方でも、防空壕に避難した話や人の死体を見た話しを聞かせてくれています。
当時10代20代だった頃に凄惨な人の死体を見たり、その近くを通ったり、爆弾が落ちてくる中で避難したり、爆撃されたり機銃掃射されたり・・・、そんなトラウマ級の経験をしてきた方が、老後困った時に誰も助けてくれない、なんて社会にしたら絶対にアカンわ、と思いました。
その後の世代の方も、戦後復興で昼夜なく働いて日本を高度経済成長につなげた人たちです。僕らが経験できないような状況で頑張って日本の復興の礎になってきた人たちの老後が悲惨なモノであってはならんと思います。
そんな事を感じながら、終戦間際の状態って、鉄や弾薬がないのに根性で戦争に勝とうとしてらみたいで、そういう状況で特攻隊のような人間兵器も出てきたわけですが、あまり詳しくはないのですがゼロ戦だってパイロットの命を守る工夫は最低限だったみたいですので、なんだかそういう感覚っていうか、根性とか頑張れば困難な状況でもなんとかなる的な意味のわからない雰囲気って、介護を取り巻く人材不足の状況とかとよく似ている気がするなぁ・・・なんて漠然と思ったんです。
何の対策も施策もないまま、確実に人手不足になる状況はわかっています。
ケアマネも介護職も足りません。介護保険制度もどうなることかわかりません。でも、そのサービスを必要とする高齢者は絶対に増えるのがわかっているんです。
だけど何も先が見えない。
みんな、なんとなくなんとかなるだろうと思っているのか、もう単に目をそらしてしまっているのか・・・。
結局、老後というのは生きていれば必ず経験する・到達するわけですけど、もうその時に考えようや、というような投げやりな感じ。
敗戦が濃厚で沖縄にまで攻められ、原爆まで落とされていて、鉄砲も弾もないのに徴兵されて訓練を受ける状況。
なんとなくですけど似てる気がしたので、ちょっと調べてみるとこういう記事がありました。
今日の本題
今の日本は敗戦間近の1940年に似ているのかもしれない《若手記者・スタンフォード留学記 37》・・・という記事の紹介です。
これ、2009年の記事なんですけどね。
14年前の記事です。
歴史は繰り返すと言いますから、こう書かれるとナルホド・・・と思いますね。
ただ、繰り返すといっても僕自身はちょっとずつでも上向きに人間にとっていい方向へ進んでいるとは思っているので、大きなヤマタニの流れはあっても、それは少し右肩上がりなのではないかと思っています。
基本的人権が当たり前になったり、差別が減ってきたり、そういう本来あるべき人間らしさが歴史の繰り返しの中で少しずつ強くなっているような、そんな気がします。
こうやって並べて解説されると、似てるって思いますね。
実際、状況は似ているんだろうなぁと思いました。
経済でも完全に敗戦国というわけですよね、そこちゃんと認めてこなかった結果が今のこの状況かも?
ちゃんと敗戦を認めて退却戦をしていれば、ちょっとは状況が変わっていたのかもしれませんね。
もうこの記事から10年以上も遅れていますが、今からでも新たな戦略や新たな国のかたち、国の基礎(僕は国民の生活を守る事だと思っていますけど)を固め、次のステップを目指していく、そういう取り組みはやはり必要ですね。
少なくとも、14年前にこのような記事でも指摘されてきた事だったわけで。
ちょっと希望的なのが、2020年代前半から上昇サイクルへ、という内容ですね。ただ、これも何もしなくてそうなる訳ではありませんので、上昇できるような何か新しい事をやらないといかんという事だと思います。
14前の頃から夢がないと言われてきたわけで、今でも変わってないとしたら本当に停滞してきたわけですよね。
これからの日本をどうしていくか、僕ら世代の課題なんでしょうね。
実際、僕自身もこの考えには同意です。
14年前ですから、僕自身は介護の現場でリーダーしてた頃ですね。
自己研鑽は欠かさないできたつもりです。
この記事のような内容をわかっててやってたわけではなく、単に自分の為ですけどね。
当時から、どこも受け入れられないような困難ケースを喜んで引き受けてましたので、改めて間違ってなかったなと思います。
だって、本当に大変なのってご本人やご家族だと思うんですよ、それを介護のプロを自称している僕らが何とかしなくて誰がなんとかしてくれるんですかって事なんですよ。
ただ、最近のSNSの情報とか見てると、そういう気概を持ったプロって本当にごく一部なんだな、と痛感です。
実際、僕自身はこの時期に自分で何がどこまで出来るか挑戦したくて起業しましたので、無意識でこの状況を楽しんでいるのかもしれません。
赤字だから怖さや不安しかありませんけどね、特にこうして事務所で一人で記事を書いていたりすると。
仕事中は、仕事に集中するので不安とかなくて楽しいんですけどね。
やっぱ現場はいいな!っていつも思います。
この記事の続きで、今後日本を立て直す再の具体的な対策の中で、子育てと高齢者対策があったので、そちらも紹介しておきます。
これ、14年前の記事です(大事なのでもう一度)。
何か一つでも具体化できてたらちょっとは状況変わってなかったか?と思ったり。
今は完全に高齢者を敵に回す状況になってますもんね。
ほんとうにどうなることか・・・
★ この記事が、みなさんの学びや気づきの少しでものキッカケになれば幸いです。