浮き沈み。
浮き沈みというか上下に振れる波というか、良いときと悪いときとか。
人間も自然も常に変動していて当たり前なんですよね、ずっと同じ状態で居られる事って難しいと思います。
ただ、仕事ではできるだけ求められる成果を出せるように頑張ったり、常に一定のレベルのスキルを発揮できるような工夫だったり準備だったりは必要だと思っています。まぁ、全力がどうしても出せない時だってあるんですけど、それはそれでOKだと思います。そんな時もあるさ。
それで山あり谷ありの話なんですけど、それは職員もそうだし利用者さんだって同じだと思うんです。人間ですから。
ですので、職員に指導する際は必ず利用者さんにもその日によってできたりできなかったり体調や気力の浮き沈みがあるから、普段からの観察が重要だよ。と伝えてはいるのですが、どうも多くの職員にとって利用者さんは常に同じ水準で生きていると思っているようで、できたりできなかったりのその日の調子の上下のブレまで想定しないで対応しているような様子が散見されます。
それでも力のある職員は、このあたりの浮き沈みも配慮した対応ができているので、利用者さんからの信頼も得やすいようです。
こういう部分は標準化できないので指導する際に難しいんですよね・・・なので、今の僕には、とにかく利用者さんと一緒に過ごしなさい、くらいしか言えないというのがつらい所です。
そして利用者さんのそういう浮き沈みに気づかなかったり対応できない職員に限って、自分たちは今日は疲れているとか、気分が乗らないとか、調子が悪いとか、そういう浮き沈みがある事のアピールがうまいんですよね・・・。ちょっと残念・・・いや、結構残念です。
老化というのはどうしても避けられないのですが、どうも職員の中には高齢者はずっと高齢者だと思っているような対応をしてしまう人がたまにいたり、自分たちより年下の職員には平気で負荷の高い仕事を押し付けたりする割に、高齢者である利用者さんには平気で頑張らせたり・・・だいたい自分たちより年下の職員だって年の差が10歳とか20歳くらいですけど、利用者さんとの年の差は30歳とか倍以上とかあるんですけど、そのあたりは問題にしなかったりと違和感を感じてしまいます。
浮き沈みの話とは関係ありませんけど・・・。
なんといいますか、もっとこう・・・介護の世界って生活の場なんですから、仕事の色をあんまり現場に持ち込んでほしくないなぁ、と思いつつ、適切な利用者さんとの距離感や接遇や言葉遣いを意識させるには、それなりの距離も必要だったりするので、そのあたりのバランスというか、ちゃんとした丁寧な言葉遣いで仕事として対応しているんだけど、受け手の利用者さんにはあまりそう意識させないような普通の対応ができないものだろうか・・・といつも現場を見ていて思います。
いずれにせよ、サービス業ですから選ばれるサービスでないといけませんし、人の人生を支える仕事なので間違っても言葉遣いや態度を崩してしまう事はしてはいけないと思っています。
中には崩した方が信頼関係を作りやすいという職員もいますが、それは間違っていると思います。
崩して信頼を得られると思うのは、こちら側の甘えでしかなくて、適切で丁寧な接遇・言葉遣いの上で信頼を得られる対応を追求するのがあるべき姿だと思っています。
ただ、これも気が付くと言葉が崩れたりしてしまっていますので、日々反省です。
面白いというか、地方の事業所に赴任すると同じ苗字の方が複数いらっしゃったり、中には漢字は違うけど読み方がまったく同じの方などおられます。
そういう所ではあだ名やニックネームが横行していましたが、すべてフルネームで呼ぶように修正しました。同じ読み方の方には、居住地の名称を+して苗字で呼ぶように工夫しました。
最初は反発されたり、本人からよそよそしいとも言われましたが、お客様に対して最低限のルール、という事で押し切って統一しました。
修正には年単位の取り組みが必要でしたし、中には最後まで気が緩むとあだ名で呼んでしまう職員もいましたが、それも浮き沈みで普段は意識していた様子が見られたし、あっ!という素振りも見られたので、それはそれでもいいかなぁと思いました。
浮き沈みはあります。人間は完璧ではない所に人間らしさがあるとも思います。
そうであれば、職員にも利用者さんにも自分自身にも、そういう浮き沈みの部分を認めてあげる事も重要なんだろうと思っています。