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函館旅行、1泊目(前編)。

久しぶりに日曜・月曜と連休を頂けたので大好きな観光地の函館にきています。

函館といえば榎本武揚、榎本武揚といえば五稜郭。

しかし、何度も足を運んだ函館なので、今回は行ってない所に行ってみたいと思って色々と調べていると、恵山という霊山があるらしいという事で、まだ行った事がない函館の東端に向かうことにしました。

北海道南部を形成する一大半島「渡島半島」。その南東部の先端に佇む「恵山」は、大迫力の山容を見せ、赤茶けた荒々しい山肌や噴煙巻き上がる様子から、古来より畏怖され、東北の恐山とともに信仰の対象になってきました。そんな北海道随一の異観を見せる恵山ですが、実は日本新百名山へと選定され、函館から近いことも相まって多くの登山愛好家たちに親しまれる山。圧倒的な威容と世界観を備える「恵山」へ冒険してみませんか?

ORICON NEWS

実は展望台くらいから写真撮って帰ろう、くらいに思ってたんですけど、山頂まで登っちゃって大変な経験をしてきました(笑)
が、その記事は明日にでも。

はこぶら より抜粋
函館市公式観光サイト

さて、今回は五稜郭の散策で撮った写真とかを紹介です。

五稜郭タワーのホームページより抜粋
五稜郭公園の正門に向かうと色々情報板がありますので、何度行こうとも必ず詳細を確認しておきましょう。
この橋を渡っていくと、左手に五稜郭、右手に半月堡があり、正門につながる橋がらかかっています。
五稜郭に立ち入る前にもう一度概要を確認しておきましょう。
半月堡から見える五稜郭タワーの勇姿。
半月堡の先端はこんな感じ。
本来ならあと四つ作られるはずでしたが、一つだけしか作られませんでした。
正門前の橋からの景色。
ちょうど五稜郭に向かって右側の稜堡。
奥に見えるのも奥側の稜堡ですね。稜堡の先端ですね。
いつも表門しか行ってなかったので今回初めて裏門から出てみました。知らない情報板ありました。
こんな石碑もありました。
再度裏門から入場して稜堡の端っこの石垣沿いに散歩しました。
反対側の堀はこんな感じ。
ところどころ石垣が崩れてる感じ。
危ないところは立ち入り禁止になってます。
一周回って正門まで戻ってきました。
正面が半月堡。奥に見える橋が正門へ続く橋。
撮り忘れてたので正門に向かう橋。
正門入ってすぐの土塁の上から見える景色。
左端に少しみえるのがさっきの正門前の橋。
これって内堀っぽいですね。
いままで気が付かなかったけど内堀あったんだ。
さて、五稜郭公園の中央には函館奉行所がありますが、幕末のコスプレもできますよ😊
函館奉行所。
中は資料館みたいになってて有料ですが楽しめます。
必ず入場して榎本武揚の資料を探しましょう。
一人旅なので残念(笑)
函館奉行所をバックに榎本武揚と写真とれるのはココだけ!
所々にある幕末の資料みたいな柱。
それぞれ歴史上の人物の略歴など記載されていますので、榎本武揚の資料は必ず確認しておきましょう。
いろいろな評価のある榎本武揚ですが、若い頃に留学し、国際法や科学や工業など学んでいて、自称ですが当時俺よりスゲー奴はいねぇ、と言ってしまえるくらいヤバイ奴なんです。

「科学する心」と「冒険心」をあわせもった万能人

榎本武揚先生(1836~1908年)は幕臣の家に生まれ、12歳で幕府の昌平坂学問所に入学し儒学を学びました。26歳のとき幕府初の海外留学生に選ばれオランダに留学。4年余の間に洋式海軍技術、国際法、農業、工業などを学び、蘭・仏・独・露の4 ヵ国語を身につけました。
先生が後に多くの国家事業を担う原動力となったのが、留学で得た「科学する心」と、その後も体験する「冒険」の歴史でした。帰国後まもなく戊辰戦争によって幕府は倒れ、明治新政府が発足。しかし明治初期の日本にあって、榎本先生は近代科学の知識と国際感覚をもつ時代の先駆者であり、万能の人ともよばれました。

明治政府の要職を歴任~東京農業大学の創設

その類まれなる豊かな才能を惜しんだ明治政府の要請によって、榎本先生は農商務大臣、文部大臣、外務大臣などの要職を歴任。1875(明治8)年には、全権特命大使としてロシアに渡り、「樺太・千島交換条約」を締結させます。
留学や政府の激務を通じて諸外国の産業を視察した榎本先生は、日本が国際社会で競争できる国力をもつためには、安定した農業生産力の発展が欠かせないと考えました。そして1891(明治24)年に自ら創設した育英黌農業科(現在の東京農業大学)は、近代農業の技術を国内各地に広めるリーダーたちを育成するという、高い目標を掲げる学校でした。

実学主義の提言

当時、官立(国立)の農学校が理論優先の教育をおこなっていたのに対し、榎本先生は「教育とは、セオリー(理論)とプラクティス(実践)の二者が車の両輪のように並び行われることで、はじめて完全なものとなる」とし、実習を重視する教育の必要性を強く唱えました。
多忙な公務にもかかわらず、学生が校外実習に出るときには、彼らの身分証明書のすべてを自らの手書きによって発行したといいます。榎本先生の掲げた理念は“実学主義”の草分けとなり、120年以上を経たいまも、東京農業大学の教育の原点として力強く受け継がれています。

東京農業大学・建学の祖 榎本武揚先生とは より抜粋
五稜郭タワーの中で名探偵コナンのスタンプコーナーとか写真撮れるコーナーがありました。
・・・しかし榎本先生のコーナーはありませんでした。
榎本武揚と一緒に戊辰戦争で最後まで抵抗した土方歳三の銅像とコーナーがありました。
しかし、榎本先生の銅像はありませんでした。
僕は新撰組も土方歳三も大好きです。
武士が滅ぶ時に武士じゃない土方歳三や近藤勇が武士らしく生きたのはなんとも言えない気持ちになります。
五稜郭を後にして土方歳三最期の地碑まで足をのばしました。隣接している福祉センターが涼しくてゆっくり休憩できました。
何度も来ていますが、こういう立札は必ず読んでしまいます。
この石碑、いつきても綺麗で花が手向けられていて手入れが行き届いてるんですよ。土方歳三ファンの愛を感じます。写真が増えてました。
土方歳三の資料の柱もありました。
なんだか土方歳三はあちこちにある気がする。
その後、お腹がすいたので函館の市場まで行ってきました。函館といえばイカでございます。
活イカ 1500円。
ゲソとか動いてます。
新鮮すぎて美味すぎます。
命を頂ける事に感謝して美味しく頂きました。
五稜郭タワー1階の売店でゲットした戦利品。
なぜ榎本武揚のグッズがないのか、解せぬ。

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