130試合中69試合登板で壊れた肩…元プロ野球選手・権藤博の“教えない教え”の源流・・・という記事の紹介です。
実は、権藤さんの事はあまり知らなかったのですが、あるラジオ番組を視聴していた時のゲストで権藤さんがお話をされていて、選手時代の話や大リーグの指導方法を垣間見てきた時の話を聞いて、すごい人がいる!自分の理想のリーダー像そのものの人がいる!と思って興味をもって調べました。
プロ野球選手時代の頃を権藤さんはラジオでこんな風に語っておられました。
『当時の監督は、戦場に駆り出された人たちばかりで命を懸けて野球をやってきた人たちだったから、野球が出来る事以上に大切な事などない、みたいな感じだった。』というような事を仰られていたように思います。
連投連投の試合で肩を壊す事になったそうですが、時代背景としてそういう環境があったんだなぁ・・・確かに戦場で死んでたかもしれないという体験をした後だったら、身体を壊そうがどうなろうが、野球できる事自体や、一試合一試合に全力で向き合う事って当然になりますよね。
明日死ぬかもしれないんだから、あとの事を考えて温存する・・・なんて発想にはならないだろうと思いました。
ラジオでは、この当時の王さんの事を簡単に討ち取れるバッターだとおっしゃられていましたが、そのスイングの思いきりの良さを見て、これから伸びる選手だと思ったそうです。また、当時の王さんは一本足打法ではなかったとの事で、そういうのも面白いなと思いました。
ルーキーで35勝とかすごいですね。
選手の寿命など度外視した起用で、そういう時代で活躍して肩を壊して引退してしまうわけですが、だからこそ指導者としても活躍できたような気もします。
”真似る”という事の重要性がここでも語られているように思います。
何事も真似る事が最初のステップだと思います。
そこから自分のモノを見つけていく、それが見つかるまでは徹底的に真似て実践して自分なりのモノにしていくしかないと思います。それは、どんな事でも同じく通じる事だと思っていて、介護現場での仕事も同じと思いますし、僕自身、いい取り組みを見たり知った時は必ず真似する所から入ります。
あーだこーだ考えて悩んでてても実際に実践してみない事には身に付きませんから、特に自分なりのやり方がないのであれば真似るのがいいと思います。
そして、カッコ良い、ああなりたい、と後輩から思われる先輩になれるかどうかも大事で、そういう介護職が少しでも増えれば、業界の空気も変わってくると思います。
本当は巨人に行きたかったのに中日の提示が具体的だったのでそちらを選んだというエピソードも面白いですね。
コミュニケーションのすれ違い、自分が本当に必要とされているのかどうかわからないから迷ってしまう感じは、日常的なコミュニケーションのミスマッチからいろいろな摩擦が生まれる現場の状態と似ているな、と思いました。
他人に物を伝える時は、具体的にが鉄則で、共通言語である数字で伝えるのがいいですね。
互いの言葉が共通言語になっていて”ちゃんと伝わる”状態であればそのちゃんと伝わる共通言語でもよいですけど、そこまで行きつくには相当な時間とよりよい関係づくりが出来てないと難しいと思います。
ラジオでは少し違った感じのエピソードを仰られていました。
1年目の新人が凡フライも取れないようなプレーをしていて、指導者になんであんなプレイヤーがいるのか、と聞いたそうです。
そうすると帰って来た返答が『彼は1年目のルーキーだ、あれでいいんだ。』というような事を言って、その後すごく丁寧にボールの追い方や取り方、太陽をグラブで隠してキャッチする方法などを丁寧に教えていたそうです。
新人だから新人として教えるべき事はきちんと教える。
ただ、来年も同じだとやっていけない。だからちゃんと成長するように教えるという文化を見聞きして衝撃を受けたとおっしゃられていました。
できないから教える、知らないから教える。
当たり前の事ですけど、日本人って自分が知っていて出来る事は他人も出来て当然と思う節がありますし、現場に出ていれば出来て当然、という見かたをしてしまいがちです。
ちゃんと教えたのか。
教えるというのは、その人がちゃんと出来るようになるようにしてあげる、という事だと思っているので、指導者が一人よがりで教えたつもりになっている指導方法で教えました、というのは指導・育成とは違うのだと思っています。
そして、ある程度のレベルで出来るようになったら、今度はそれぞれの強みを活かして伸ばしてあげる指導や助言を行う事で、成長していくわけですし、そういう指導者や助言者からの客観的な言葉が、自分では気が付かない長所やスキルを引き出してくれる事もあるわけで、そういう視点をもって人を指導する事が、指導者やリーダーのあるべき姿だと思います。
自分はこうだったから、といって同じように無理をさせるのではなく、自分と同じ経験をさせないように仕組みを変える、これってすごい事だと思います。
介護の現場でも、自分の時はこうだったから、といって何も変えようとせず今まで通りを通そうとする人は多いですが、自分の経験でこれはこうなるからこう変えた方がいいとか、そういう工夫が出来る人が上に立たないと組織やチームの成長は難しいですよね。
こういう風土がつくれなかった現場が多いから、介護現場の人手不足が深刻になっているのだとも思っています。
今までがこうだったから・・・。
現場のルールと変えようとした時に必ずといっていいほど出てくる反対意見の多くがコレです。なんの根拠もなく改善もない。
悪く言えば何も考えてないわけです。
現状の処遇や人手不足について、そういう思考停止状態が招いた結果であるともいえると思っているので、まずは現場のこういう感覚から変えていく必要があると思います。
結構変えてきている事業所も多いので、既に自然淘汰されていく流れにはなっているとは思うのですが、そういう現場で優秀な職員がつぶれたり退職したりするのがもったいないので、一刻も早く改善してほしいですね。
これが指導者ですよね。
現場の事は現場の職員を信じて任せる。
結果の責任は自分が負うから自由にやれ。
現場の選手や職員が能力を発揮できるのって、のびのびと挑戦できる環境が大きいと思うんですよね、リスクにチャレンジできるような感じ。
そして、任せたからには真っ向勝負で全力でぶち当たってこい、という感じですよね。
ここで中途半端な事をされると腹が立ちます。
信頼したからには失敗を恐れずに挑戦してほしいですし、そういう挑戦できる環境をつくるには、リーダーが本当に責任をとってくれるという信頼感がないと無理ですよね。
互いに信頼できる関係づくりが出来ているからこその指導方法ですし、こうあるべきだと思います。
きちんと結果を出せる能力があるチームだからのびのびと任せる。
もし、教える必要がある状態であればしっかり教えた上でこういうチームに育てていく。そういう事だと思います。
チームの醸成状況に応じた育成方法を使い分けていた。
それを見極める観察眼というか、よく選手を見ていたんだと思います。
リーダーとしてチーム全体を俯瞰でとらえる事も重要ですが、個々のプレイヤーがどういう個性でどういう長所があって、どういう所が弱くて、それをチーム全体でどうフォローできるか、というのが見えてないと出来ないと思いますし、それがリーダーに求められる能力だと思います。
こういうのカッコイイですね。
任せた上での結果だからどんな結果でも納得できるわけです。
こういう風に任されると、任された人は奮起しますよね。
流れを変えるという言葉がありますけど、仕事でもこういう流れってありますよね。
僕自身、それを読む事が出来るとは思えませんが、そういう流れが見える人には見えているんですよね。
監督に忖度する事なく、スパッと”そこが甘いんです”なんて言えるこの人はとんでもないな、と思いましたが、こういう助言者をそばに置けるかどうかもリーダーの資質だろうと思いました。
それだけ一人ひとりの事を見ていたという事ですし、ほめて伸ばすだけではなくて、逃げたりしたらちゃんと怒る、そういうのが重要ですよね。
だからリーダーはちゃんと見てないとダメなんだと思うんです。
この記事が、少しでもリーダー・指導者さんの参考になれば幸いです。