見出し画像

パーソン・センタード・ケアとは?認知症の人を「一人の人」として支える5つのポイント【専門家監修】・・・という記事の紹介です。

介護職ならもはや誰でも知っているパーソンセンタードケアですが、そもそもなんですけど、この考え方って非常に常識的で当たり前の事が書かれているんですよね。

普通に暮らしていたら当たり前にしている事が、こと認知症ケアでは大切ですよ、重要ですよ、こういう視点や手法を守ってくださいね、そうしないと認知症の方へのケアはうまく行きませんよ・・・等々の内容なんですけど、そもそもずっと疑問だったんですけど、なんで介護のプロになったら常識を改めて重要な視点だという風に捉えなおさないといけないのか、普通の人間同士のやり取りをすればいいだけなのに・・・。

ただ、その当たり前の常識を忘れてしまいやすくなる状況って本当にあって、だからこそ虐待が後を絶たないし、特に家族が自分の家族をケアする、という事においては、そういう虐待の方向に流れてしまいやすい状況はあるわけで、誰も悪いわけじゃないんですよね、ただ、その密室というか限られた空間に長く居てしまうと常識が崩れていくというか、当たり前の事ができなくなる、それで当然、当たり前、仕方ない・・・という具合になっていってしまうので、こういう当たり前を学びなおす機会というのは非常に重要と思っていて、良い機会なのでおさらいしてみようと思いました。

https://www.minnanokaigo.com/news/kaigo-text/dementia/no293/

パーソン・センタード・ケアとは?誕生の背景と基本理念

「パーソン・センタード・ケア」という言葉を聞いたことはありますか?これは1980年代末、イギリスの心理学者トム・キットウッドが提唱した認知症ケアの考え方です。

なぜパーソン・センタード・ケアが必要なのか

かつての認知症ケアは、とても機械的なものでした。決められた時間に食事を提供し、決まった時間に入浴介助を行う。まるで工場のベルトコンベアのように、効率を重視した介護が一般的でした。

そんな状況に疑問を感じたキットウッドは、認知症の方々を長期にわたって観察しました。

すると、ある重要な発見がありました。

認知症の方は「何もわからない」わけではなく、むしろ周囲の対応によって、その表情や様子が大きく変化するということです。

人として扱われず、物のように扱われることで次第に自信を失い、生きる意欲さえ失ってしまっていた認知症の方も、一人の人として尊重され、理解されることで、穏やかに、そして生き生きと過ごせるようになったのです。

みんなの介護ニュース

根底に、認知症の人は何も分からない、という決めつけがあるのと、下手をすると同じ人間ではない、という意識があると平気でこういう事ができてしまうし、そこに違和感も感じてしまわなくなるという状況だったと思います。

かつて医療では手洗いなんてしないのが常識だったのを、ナイチンゲールが指摘して、医療・看護が進化してきましたが、そういう意味では介護の進化というのは、こういう本人の個別性にどこまでアプローチできるか、という部分が重要なのではないかと思っています。

特に『人として扱われず、物のように扱われることで次第に自信を失い、生きる意欲さえ失ってしまっていた』、この部分は重大で、ケアとは元々人を癒す事が目的だったのにも関わらず、その本来の目的であるその人への視点が決定的にかけてしまって、画一的なケアの実践に傾倒してしまっていたのは興味深い事象です。

従来の認知症ケアとの違い

これまでの認知症ケアでは、ともすれば介護する側の都合が優先されがちでした。

しかし、パーソン・センタード・ケアでは、視点を180度変えます。

その方の性格は?

どんな人生を歩んできたのか?

どんな趣味や習慣があるのか?

一人の人として、その方の人生や個性に深く目を向けるのです。一見、手間がかかるように思えるかもしれません。

しかし実際には、このアプローチにより、認知症の方の状態が安定し、結果として介護者の負担も軽減されることが分かってきました。

みんなの介護ニュース

今でも、多くの現場で介護する側の都合が優先されているとは思います。
少ない人数で多くの利用者さんを見ないといけないので、どうしても個別対応にも限界がきます。
そして、介護報酬は下げられ物価高騰や人件費高騰に追いつかない報酬で経営は悪化し、現場には生産性の向上が求められます。
生産性を高めるには効率化が一番の近道ですので、どうしても効率優先になる。・・・そうなれば利用者さん一人ひとりの要望など聞いていられる暇がない、という状況です。

ただ、そうはいっても職員のレベルによって状況はかわります。
いろんな職場を管理的立場で約20年ほど見てきましたが、同じような利用者集団に対して、チームメンバーの陣容でかなり提供できているサービスに差が出るんですよね。
たとえば、8人のチームで35人の利用者さんをケアしていた状況で、そのチームメンバーの多くが、今日は大変だ大変だ、仕事が回らない、というのですが、同じ35人の利用者さんで別の日に別の5人でケアをしても、特に大変でも仕事が回らないという状況も生まれないようなケースもありました。

なんでそんなことが起こるのかというと、僕なりの観察と現場で指示だしをしていた経験から分析すると、大変だというチームメンバーの多くは、行き当たりばったりの仕事をしているわけです。決められた準備しかしていないし、チーム内での連携やフォローが出来ていない。一部の職員が他の職員の動きをかなりカバーしている状況です。要は、本人に自覚はないがチーム全体の動きや流れ、全体の状況を把握せず目の前の事象にのみ対応する働き方です。
一方で、少人数でもきっちり仕事を回せるチームは、メンバーの過半数が全体の動きや流れ、その時々の状況を把握してアイコンタクトや声掛けにより連携し、事前の段取りや準備もかかさない動きが出来ています。
要は、マニュアル化出来ない細かい部分のお膳立てが出来ている状況です。
もっというと、それをしないとその後の仕事が回らない事が見えているし、その先、二手三手先まで想定した上で、二手三手目で突発の状況が起こった場合のプランBも想定した動きが出来ているわけです。だから少人数でも仕事が回る。

これ、それぞれ僕が陣頭指揮していたケースでは、仕事が回らないチームの場合は、指示だしをしても動けないので結局全体を把握できている職員か、僕自身が現場で動きをコントロールしないと本当に壊滅的になるんですけど、仕事が回るチームは、指示だしをすればすぐにチーム全体が動きます。
僕自身が見ている景色をチームメンバーの多くが共有できている状況ですし、そもそも指示だしすら必要ない場合の方が多かったです、仕事が回るチームはそういう意味でも自律していました。

その辺りの事を考えると、自分の仕事に対するプロ意識というか、自分の役割とその日のその現場の目的が何か、限られた時間、限られた陣容で何を提供しないといけないのか、という事が現場職員全員といわずとも、6割程度の職員がそれを意識した動きが出来るかどうか、というのが重要だと思っています。特にチームを引っ張るリーダー的な存在の職員がきちんとこういう視野を持っていると、自然とメンバーも引っ張られて同じように動けるようになるんですけど、このあたりがチーム作りの難しさ、育成の難しさですが、楽しさでもあったように思います。

ですので、生産性向上が求められる介護現場で、いまはDXやICTの方向で注目されていますが、そんな事よりも先に、そういうチーム作り、職員育成、そういうチームを組織出来るリーダーの養成が非常に重要な課題であると感じています。

そもそも、どんな仕事でも大変なので、その中で自分たちの仕事は何なのか、という事をしっかり考えないといけないと思います。

介護の仕事は、日常生活に援助が必要な方へ必要な援助を提供して、その人自身がその人らしい人生を送れるように支援する仕事です。

それが主目的であって、お風呂に何人入れましたとか、オムツ交換何人を何分で終わらせましたとか、そういう仕事ではないんですよね。

そこを再確認できるのが、このパーソンセンタードケアという当たり前の考え方なんだと思うんです。

パーソン・センタード・ケアの5つの心理的ニーズ

キットウッドは、認知症の方が持つ5つの重要な心理的ニーズを見出しました。

みんなの介護ニュース
これらは花びらのように互いに関連し合い、中心には「愛」が置かれています。この5つのニーズを理解することが、より良いケアの第一歩となります。

この5つのニーズを理解した上でケアを提供する。
健常者であれば、普通にあって当たり前の空気のような5つの心理的ニーズだと思います。

くつろぎと安心感

一つ目のニーズは「くつろぎ」です。これは身体的な心地よさだけでなく、心の安らぎも含みます

例えば、ある施設では、入居者の方々の好みに合わせて居室の雰囲気を変えてみました。

使い慣れた家具を持ち込んでもらい、好みの音楽を流すようにしたところ、不安な様子が減り、よく眠れるようになった方が多かったそうです。

また、くつろぎには人とのあたたかい関係も重要です。急かさず、ゆっくりと関わることで、心身ともにリラックスした状態が保てます。

みんなの介護ニュース

本人のペースに合わせるのは本当に重要です。
ゆっくりに見えても本人は急いでいる状態である事が多いです。
急かすような雰囲気や動作にならないように出来るだけ僕自身も気持ちが焦らないように落ち着くように心がけています。
こういう気持ちって結構態度や雰囲気に出るんですよね。

本来、援助が必要な方に気を遣わせるなんて本末転倒ですからね。

まぁでも、普通の生活では当たり前ですよね。
自分が安心できる場所で過ごしますよね、わざわざ居心地が悪い場所に長居しようとは思いませんよね。

その人らしい存在であり続けること

二つ目は「自分らしさ」の保持です。認知症になっても、その方の個性や価値観は変わりません。むしろ、自分が誰であるかという感覚を保つことが、より重要になります。

ある方は、元教師という誇りを持ち続けていました。施設では、その経験を活かし、他の入居者に詩の朗読を教える機会を設けました。先生として活躍する時間を持つことで、生き生きとした表情を見せるようになったといいます。

みんなの介護ニュース

その人らしさとは、他の人と同じではない、という事ですよね。

誰もが自分は特別な存在のはずです。
当たり前の事なんですよね。

人や物との結びつき

三つ目の「結びつき」は、大切な人々や思い出の品との絆を指します。

認知症が進行しても、心の奥底にある大切な結びつきは残り続けます。

例えば、ご家族の写真を見て穏やかな表情を見せたり、若い頃に使っていた裁縫道具に触れて懐かしそうな様子を見せたり

そうした結びつきを大切にすることで、その方の心が安定することがわかってきました。

みんなの介護ニュース

他者との関係は本当に重要です。
人間は、社会という他者との繋がりをつくって生きています。
脳が発達したのも他者とのコミュニケーションが豊富にできるようになったから、とも言われています。言葉を使う事が脳を活性化させたとも。

であれば、誰かと話す事やコミュニケーションがとれる事が、認知症の予防や脳の活性化に繋がりますし、そもそもの人間らしさに繋がります。

他者との関係の中で、自分らしさを確認できる事もあるかもしれません。
そういう繋がりが無くなる事で、人間らしさやその人らしさを失ってしまう可能性が大きいと思います。

意味のある活動への参加

四つ目は「携わること」です。誰しも、何かの役に立ちたい、何かを成し遂げたいという思いを持っています。認知症があっても、その気持ちは変わりません。

食器を拭く、新聞を畳む、花の水やり。

一見些細に見える活動でも、誰かの役に立っている実感が得られれば、それは大きな意味を持ちます。「ありがとう」という言葉とともに、達成感や満足感を味わえる機会を作ることが大切です。

みんなの介護ニュース

介護が必要になっても、誰もが何かの役に立ちたい、誰かの役に立ちたいを思っているのは当たり前ですし、実際にそういうケースを沢山見てきました。

ちょっとした雑用でも、本人が出来る事ならしてもらうべきです。
危ないから、何もできないからといって何もさせないという事は、その社会の中で必要とされていないという状況をつくってしまいます。

介護が必要になっても、自分に出来る事はしたいし、時間がかかってもいいじゃないですか。

そういう事もさせもしないで、認知症が悪化した、重度化した、負担が増えた、というのは介護職として自分たちのケアが原因でそういう状況にしておいて何を言ってるんだ、という事にもなりかねませんので、日々の実践がきちんとしたものであるかどうかは、きちんと精査しておいた方がいいと思います。

共に生きる喜び

五つ目の「共にあること」は、社会の一員としての実感を指します。認知症になったからといって、地域社会から切り離される必要はありません。

むしろ、人とのつながりを維持することが、その方の生きる力となります。

施設での行事参加や、地域の集まりへの参加。時には、認知症カフェのような場で、同じ経験を持つ方々と交流することも有効です。「一人じゃない」という実感が、大きな支えとなるのです。

みんなの介護ニュース

そう、社会の一員なんですよ、みんな。
そういう尊重がされているかどうか。
介護側が大変だから、という理由だけで様々な機会を奪ってやしないか、それが原因で重度化していた場合、自分たちの怠慢が自分たちの首をしめている可能性もあるので、そうであれば自業自得としか言いようがないんですよね。

紹介した記事では、具体的な実践例なども紹介してあるので是非参照してみてください。

そして何より、一人の人として敬意を持って接することを忘れないでください。

認知症があっても、その方の感情や誇り、そして人としての尊厳は変わりません。むしろ、周囲の理解と支えが、より大切になってくるのです。

介護の道のりは決して平坦ではありません。しかし、目の前の認知症の方を一人の人として深く理解し、その気持ちに寄り添うことから始めてみませんか。その小さな一歩が、きっと大きな変化をもたらしてくれるはずです。

みんなの介護ニュース

個人的には、これが重要だと思っています。

普通にみんな当たり前にしている事ですよね。
介護が必要になったとしても、それは同じはずなんですけど、なぜか扱いが雑になっている職員が多い気がするんですよね。

介護が必要になったんだからこのくらい我慢して当たり前とか、そういう想いがあるのであれば、ちょっと横においておいて普通に接してみて欲しいです。

介護が必要な高齢者は、ぼくらより何十年も先輩ですし、何倍も生きてきた方々です。

簡単に見抜かれてるし、遠慮してくれてると思います。
子どもや孫、ひ孫と同じくらいの若造がやる事ですからね。

とはいっても、仕事の中でいろいろ忘れてしまう事も気が付いたら軽視してしまう事も多々あるわけで、こういう意識をフラットな状態に戻すためにも、日々の学習、自己研鑽、自己覚知は本当に重要だと思っています。

自分も人間、相手も人間。
まずい対応している職員の多くが、この基本的な事実を忘れているような気がします。

いいなと思ったら応援しよう!