14. 裏切りの星
エルとカペラが会っていたのと同時刻。
エレナ・ローゼンハイムは長い凸凹の坂道を登って、喫茶店《ウラヌス》の洒落たドアを押し開けた。ドアの隙間からリスのリゲルがさっと走り抜ける。チリンとベルの音が鳴ると、すぐに店長が手を振って出迎えてくれた。
「エレナちゃん。祭りの夜、大変な目に遭ったと街の人から聞いたよ。ケガの具合はどうだい」
「店長ありがとう。まだ顔の火傷が痛むけど、だいぶ治ってきたわ」
緑色のケープを脱いで、浮き上がった皮膚を照明の光にかざしてみせる。店長は顔をしかめ、ケープを下ろすように促した。
「……やっぱり酷いな。テロというのは」
手回しのミルを挽き、新しいコーヒーを淹れ始める。その動きにはまったく無駄がなく、見ているだけで楽しくなるようなパフォーマンスだった。エレナは微笑んで組んだ手のひらの上に顎を乗せ、エメラルドの瞳を薄く閉じた。
初めてこの喫茶店を訪れたのは、彼女が家出と放浪を繰り返していた中等部のころだった。深夜、たった独りで山中を登っていて迷子になってしまったとき、彼女を助けてくれたのが当時《ウラヌス》を開店したばかりの店長だったのだ。
「ねえ、店長」
「なんだい」
「私、店長の淹れてくれるコーヒーが世界一おいしいと思ってる」
「急にどうしたんだい。嬉しい言葉、だけども」
「ふふ。店長が嬉しいって思ってくれたことが、私には嬉しい」
おもむろにエレナは一枚の書類を取り出した。それは、エルがカペラに見せたものと同じだった。
「突然わるいんだけど。これ、知ってるよね」
エレナは弾けそうな自分の感情を押さえ、スカートを握りしめる。店長は表情を一切変えることなくコーヒーを抽出する。
「廃刀の詔勅。二十年戦争の終結後、ガリシア帝国が発布した詔勅のひとつ。正規軍以外は一切の武器を供出し、特別の許可なく武装することを禁じた法令よ」
「おやおや、ここは天下の癒やし空間《ウラヌス》だよ。そんなお堅いものを持ち出してくるなんて、どうしちゃったんだい」
「聞いて。うちの学院にも同じ詔勅が届いている。理事会は自衛用の武器をのぞいて帝国に供出することを決定したばかり。今後、武装解除・武器供出の動きは全国的にひろがっていくでしょう」
「君はいったい――」
「店長、戦争の時代はもう終わったの。終わってしまえば、こうした法令が出るのは自然なことよ。たとえ不服があろうとも、不当に武器を所持することは許されない」
ガタン! と乱暴に椅子を蹴り倒す音が店内に響いた。
「この娘、言わせておけば!」
筋肉隆々とした大男がエレナに近づく。しかし、店長は手を上げて制した。
「構わん。ただの戯言だ」
「戯言ですって?」
エレナは食い下がる。
「わかってるくせに。私が店長に減刑のチャンスをあげようとしてるのに、その言い方はひどいんじゃない?」
店長は唇を横にひらくと、淹れたてのコーヒーを差し出した。
「戯言だよ。君が僕のコーヒーを世界一おいしいと言ってくれたのと、同じくらいに」
エレナのエメラルドの瞳に、怒りの光が滲んだ。
「ばかやろう!」
店の扉が一気にひらかれる。入口の外には五十人ほどの男たちが控えていた。サーベルや猟銃、三又などを手にしている。
「物騒だな。エレナちゃん」
「あたりまえ。単独でテロ組織の巣窟に乗り込むほど私は阿保じゃない」
ひと呼吸おいて、エレナはよく通る声で宣言した。
「店長。いいえ、アルファルド・モーン。地下の裏組織と結託し、白昼のパレード暴動、分天の祭りの放火殺人、そして廃刀の詔勅に背いて違法に武器を所持・輸送した罪で、あなたを告発します」
「冗談はやめてくれ。どこに証拠があるんだい?」
入口に控える男たちの中央から、長身で神経質そうな一人の男が進み出た。
「そのくらいにしとけ。アルファルド」
「おやおや、ピーコック。卒業式以来だな」
「高等部の首席だったお前が、まさかここまで墜ちてしまったとはな。情けない」
ピーコックはサーベルの束に手をかけながら言った。
「この一か月、分天の祭りのテロで散り散りになった避難民の行方をつぶさに調べていた。その結果、テロの起きた日に聖歌隊の太鼓奏者――ダヴル隊の一団が全員《ウラヌス》に入っていったと証言を得た」
「命からがら逃げてきた、哀れな子羊を匿ったんだ。別に何の問題もない」
「それが大ありなのさ。なぜなら、太鼓に張った革のなかに、違法に収集した武器が詰め込んであったんだから」
最初に気づいたのはエルクルド・エーフォイだった。戦勝記念パレードの事件でも、分天の祭りのときも、必ず聖歌隊を追いかける形でダヴル隊が常駐している。当たり前の光景だから、怪しむ者はだれもいない。
騒ぎに乗じて武器を乗せたダヴルを運び、避難民を装って《ウラヌス》に運ぶ。はじめの強盗事件の現場に《ウラヌス》の半券が落ちていたのは偶然ではなく犯行グループの故意だった。まさか犯人自ら喫茶店の証拠を残していくとは思わない。わざと半券を落とすことで、事件は客の仕業だと捜査の目を逸らすことができる。
「お前はザクセン人の生まれだった。素性を隠しつづけて、ずっと喫茶店の店長という仮面を被ってきた。戦争が終わり、敗戦国の民族として、同胞や故郷がガリシア帝国に痛めつけられるのをずっと恨んでいた。だから仲間を従えてテロを起こし、密かに武器を蓄積した」
「君たちだって」
アルファルド・モーンは依然として落ち着いた態度で、ポケットに手を突っ込んでいる。
「我らザクセン王朝を裏切ったユーリア人だ。君たちの犯した罪に比べれば、僕たちのしたことなど、大したことはない」
「ともに学院の教師になろうと夢を語り合ったお前はどこに消えた。私は残念でならない。私としても、本当は旧友を傷つける真似はしたくないのだが」
「僕も残念だよ。なぜなら僕たちには、君たちを傷つける以外の方法が、ないのだから」
リゼルが前歯を出してこちらに駆けてくる。その異変にエレナが気づいたときは既に手遅れだった。
その場にいた全員を吹き飛ばすほどの爆炎。
エレナは宙に浮かぶ自身の体を感じながら、消えゆく意識のなかで、ある男の名前を強く叫んでいた。
(つづく)