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11. 孔雀明王
降り注ぐ火の粉が公会場を昼間のように照らしていた。割れる火炎瓶。絶え間ない爆発音。逃げ惑う観客や聖歌隊。鼻が曲がりそうな、人の肉の焼けた匂いが立ち込める。
恐慌状態では皆が自己を優先する。幼い子どもが無惨に踏みつけられても、その母親は我が子の安否を確かめる余裕すらない。すし詰めになった人間どうしが一斉に動き回れば、行き着く結末は悲劇しかない。
たちどころに人間の雪崩が起こり、何百という者が将棋倒しになる。さらに追い打ちをかけるように、押しつぶされた人間を猛火が容赦なく呑み込んでいく。
阿鼻叫喚の状況のなか、エレナは煙に息を詰まらせて身動きが取れなくなっていた。
「お祖父様……!」
ハマル神父は背中を負傷していた。傷は予想以上に深い。第一波の攻撃で、とっさにエレナを庇って火炎瓶の魔の手から守ってくれたのだった。幸い爆発は免れたものの、ガラス瓶の破片が神父の背中に突き刺さってしまった。
「わしに構うな。逃げろ」
血だまりに身を沈めながら神父は言った。エレナは神父を背負おうとするが、華奢な彼女では彼の体重を支えられない。その間にも炎は荒々しい毒蛇のごとく地面を這い、二人の生命を脅かす。
「テロじゃない、こんなの……! ユーリア人のためにも、誰のためにもならないのに……」
エレナは涙を飲み込んで、一瞬で地獄と化した公会場を見渡した。身体は熱くて死にそうなのに、不思議と頭の中は冷めていて、崩れ落ちる教会の塔や、焼け苦しみながら天国に召されていく人々の姿を、どこか造り物めいた出来事のように眺めていた。
ハマル神父の意識は次第に遠のいていった。ああ、人ってこんな簡単に死ぬんだ。頭では理解していた事実をまざまざと突き付けられて、エレナは食道に押しあがった消化液を一気に嘔吐する。
なにが、なにが起きているのか。
酸欠気味の脳が、今の状況に対する答えを求めていた。昨日エルと打合せたとき、彼はこんな悲劇が起きるとは言ってなかった。想定外のことだったのか、もしや彼もテロに一枚噛んでいるのか。ハマル神父を敵視する勢力は帝国にいくらでもいる。さわぎの混乱に乗じて殺害する計画だったのか? だが、あのとき自分やカペラを殺さなかった彼の仕業とは思えなかった。
いずれにしても、祭りを楽しみにしていた他の民衆を巻き込んでいいはずがない。あまりに不条理が過ぎる。いったい、誰が何の目的で行動を起こしたのか。
わからない、わからない、わからない……。
「エレナ!」
思いがけず、強い意志のこもった声で彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「エル。あんた、助けにくるの、おそいわよ……」
彼女が文句を言う間に、ハマル神父を抱きかかえ、エレナに手を伸ばす長身の男。灼熱地獄のなかで、やさしい人の体温が肌に触れるのを感じながら、エレナは意識を失った。
「ふたり同時に救けられるのか……」
エルはチンピラの群れを打ち負かして、ふたりの元に駆けつけるのがやっとだった。せめて片方が動ける状態ならと高を括っていたが、こうなってしまえば生存確率は五分五分だ。
革命が幸か不幸かといえば、間違いなく「不幸」だ。
分天の祭りになれば手がかりを得られると思ってしまった。良い方向に革命が起きてくれたらと、希望的観測をしたのが間違いだったのだ。祭りに人が集まる場所と時間を狙って、帝国に不満をもつ反乱分子が牙を剥いた。
必死の形相で逃げ惑う子どもや僧侶、貴婦人、聖歌隊の群れを遠くに眺める。足で炎を踏み消し、なんとか二人を抱えながら歩けるルートを探す。ハマル神父の背中から止めどなく血が流れるのを見て、エルは軍にいたころの光景を思い出した。
このままでは三人とも死んでしまう。神父を置いてエレナだけでも救い出すべきなのか。究極の選択が頭のなかを駆け巡り、エルの足を重くする。
神父を背負う腕を下ろそうとした、まさにそのときだった。
「エルクルド・エーフォイ!」
顔を上げると、公会場の外周から背の高い細身の男が走ってくる。
「ピーコック先生!」
それは、エレナのせいで授業を中断させられたピーコックの姿。
ハマル神父に従って祭りに参列していたらしい。
「どうして……。早く逃げてください!」
「君は自分の力を過信している。いくら君が《雷撃隊》の兵士だったとしても、ふたりを救うのは無茶だ。私が神父の生命を預かる」
大柄なハマル神父を軽々と持ち上げるピーコックに、エルは驚きを隠せなかった。
「どうして貴方が、それを知っているのです?」
「後でいくらでも話してやる。君はエレナ・ローゼンハイムを助けたまえ。私と議論ができる稀有な生徒を、こんなことで喪いたくないからな」
そのあとは勢いに任せるだけだった。テロリストの攻撃が止んだのか、火の回りが少ない場所が増えてきた。エルはピーコックの誘導で、ようやく地獄からの脱出を果たした。重傷のハマル神父を救護所まで送ったピーコックは、疲れた顔ひとつせずに再び現場へ戻っていった。ほかの生存者がいないか確かめるためだという。
エルは静かに呼吸を続ける神父とエレナに付き添いながら、なんとも言えない気持ちで眠れぬ夜を明かした。
(つづく)