言葉くづし 1―常盤橋
言葉を紡ぐ。言葉を交わす。
目に映る色、耳に聴こえる音、鼻をくすぐる香り、肌に触れるもの、舌で味わうこと。
暮らしのあらゆる場面で私たちは外の世界を知覚し、そのたびに心を揺さぶられている。しらずしらずのうちに、心が動いている。かたちあるものから、かたちなきものを連想する。あるときは意識の奥深くから、あるときは意識の水面下で。
そして、ひとのからだというものは、感じるだけで黙ってはいない。必ず、なにかの形で自分の感情を外の空間に解き放とうとするものだ。
その結晶が言葉だ。
紡ぐ、だとか。交わす、だとか。日本語には、ほんらい実体をもたない言葉の存在を、まるで物のように扱う言い回しが根づいている。「物語」という単語すら、ひらたく言えば言葉で語ること、言葉を語ることに他ならない。言葉とは「物」であって、古来「物」とは「魂」と同等の存在を指し示していた。
――と、ドヤ顔で教えてくれたのは彼女だった。
いま、彼女がどこで暮らしているのか知らない。時間が過ぎるのは早いもので、高校の卒業式で最後に会ってから数年が経った。
ときおり交わしていた手紙のやりとりも、フェードアウトするように生活から消えていった。
お互いのことが嫌いになったのではない。私たちふたりの間に、もはや言葉なんて要らなくなったのだ。もしも、どこかでばったり再会することがあるのなら、一瞬であの日のように冗談を交わすことができるだろう。
それでも不安になるときはある。私たちの尊い関係が、なさけ容赦ない社会の奔流に呑み込まれてしまうのではないかと、すべてが無に帰すのではないかと、胸に穴があくような恐怖に苛まれたりする。大人になる、大人の女になることが、こんなにも息苦しく、将来のビジョンを見いだせない現実に、足が竦みそうになる。
そんな夜、きまって私は彼女がくれた言葉を、ゆっくり味わうように反芻するのだ。
――つらくなったら、言葉をくづしなさい。
――新しい世界は、くづされた言葉の瓦礫のなかから生まれるの。
まったく、不思議な女の子だったと、こちらは苦笑するばかりだ。
彼女の名前は、夏炉といった。
この物語は、初めて夏炉と出会った場所、金澤の浅野川に架かる、とある橋のシーンから幕を開けることにする。
(つづく)
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