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言葉くづし 14―長町一の橋
私が「夏炉」の名前を出してしまったことで生まれた心のしこりではあったが、聡子さんのカレーを一口食べた瞬間にそんなものは吹き飛んでしまった。
「なにこれ美味しいーっ!」
カレーはどの家も同じだと思っていたけど、これはレトルトのカレールウとはまったくの別物だった。爽やかに舌を刺激するスパイスに、缶詰のサバの旨味がマッチして、ミックスベジタブルの彩りや甘味もちょうどよくて、スプーンを口に運ぶ手が止まらない。
「世界一美味しいカレーです!」
「冬花、食べながら喋らないの。お行儀悪い」
「あら〜、喜んでもらえて何よりだわ! 我が家でブレンドした特製スパイスを使ってるの。後で壜入りのものを見せてあげるわ」
「聡子さんって料理がお上手なんですね」
すると聡子さんは首を左右に振った。
「いいえ、私の母や姉には負けるわ。母、つまり小夏のおばあちゃんは居酒屋の女将だったの。長らくおじいちゃんと二人で店を切り盛りしていてたんだけど、歳とともに身体の自由が利かなくなっちゃってね。その後は、料理の上手い姉が店を継いだ。だから、私の作るものは母や姉のマネくらいのものなのよ」
夏炉がコップの水を勢いよく飲み干して言った。
「んもう、お母さんったら自分を卑下しすぎ。私は世界一美味しいって思ってますう」
「ちょっと小夏、私には大袈裟だって言っといて自分も同じこと言ってるじゃん!」
聡子さんは朗らかに笑った。
「二人が本当に仲良さそうで安心した。小夏、冬花ちゃんのこと、ずっとずっと大切にするのよ」
「そんなの当たり前! てか、本人の前で改まって言わないでよ。ハズいんだから……!」
食事の後片付けを済ますと、夏炉がカラオケセットを転がしてきてリビングで即興ライブが始まった。いや、始まって「しまった」というべきか。
実は私、めちゃくちゃ音痴なんですけど……?
私の戸惑いをよそに、夏炉はノリノリでマイクを取る。しかもコスチュームまで変わっている。
「さあ〜、ガンガン歌っていくわよお!」
♫それが恋と知ってしまったなら
こんな自然に話せなくなるよ
キレキレのダンス(に近づこうとしてる)を披露しながら熱唱する夏炉。その様子を手を叩いて微笑ましく見守る聡子さん。私は必死にペンライトを振りまくってついていく……。アイドルのファンって、こんな感じなんだろうか。
「よーし、今度は母の番ね。さあ、人生の後輩たちよ。五十年生きてきた女の底力、見せてやるわ!」
ちょっとお母様、なんかキャラ変わってません!?
聡子さんがマイクをもった瞬間、眼の色ががらりと変わった。
♫天使じゃないのよ あなたのイメージで
見ないで欲しい
私は 普通の女の子
「ちょっと夏炉、やばいよ、私この歌知らないんだけど……!」
「私たちが生まれる前の曲だもんね。お母さん大好きだからなあ、この魔法少女。名作よ」
夢中で歌う聡子さんに気づかれないようスマホでささっと検索する。なるほど、初めて聞くタイトルだけど確かに絵が可愛い。
曲の終盤に向かうにつれ、私の心臓はバクバクしてきた。順番的に、この次は私の番。でも独唱できるほどの自信がない。しかもこの歌の続きとして考えると、やはり魔法少女系がいいかもしれない。
「ああ、それならぴったりな歌があるわ。しかもこれはデュエットだしイケるかも!」
夏炉は躊躇う私の腕を引っ張って、歌詞が流れる大型モニターの前に並び立つ。
「ま、まだ心の準備がっ……」
「歌に迷いは禁物! せーのっ!」
♫交わした約束 忘れないよ
目を閉じ確かめる
押し寄せた闇 振り払って進むよ
もう、どうにでもなれえ……!
大好きな歌なのに、まともに歌えないのが音痴の悲しいところだ。私の音程が外れまくってるのは分かってるんだけど、夏炉のリードのお陰で何とか形にはなった。聡子さんは、
「どんな世代も、魔法少女に対する憧れは変わらないのねえ……」
と一人しみじみと薄ら涙を浮かべているんだけど、緊張で歌い疲れた私にレスポンスする余裕は残されてない。
「でも冬花ちゃん、けっこう歌えてるやん。もっと自信もって、あなたが思うままに、好きな歌やってみたらどう?」
地面に手をついてゼーハー言っている私に、聡子さんが優しく肩を叩いてくれた。
そう、なのかな?
そこまで励ましてくれるなら、意地でもやるっきゃない!
「私、歌います!」
♫君の前前前世から僕は 君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑い方をめがけて
やってきたんだよ
音程とかリズムとかはきっとズレてるに違いない。でも、全力で言葉を発していくうちに不安が薄れて、熱いものがこみ上げてくるのが気持ちよかった。
「いいわよーっ、冬花ちゃん! 上手上手!」
「まあ、冬花にしては頑張った方ねえ」
ふたりに褒められるとまた心臓がバクバクしてきた。人前で歌うこと自体、音楽の授業を除けば初めての私には大挑戦。カラオケを出来ていることが奇跡にすら思える。
聡子さんは夏炉と私の手をそれぞれ握ると、そろってモニターの前に立った。
「最後に絶対、歌いたい曲があるの。つきあってくれる?」
聡子さんが選んだ曲は、実に懐かしい、そして優しいメロディだった。
♫にぎやかなこの街の空に
思いきりはりあげた声は
どこか遠くの街にいる
あの人への Happy Birthday
三人で歌い上げて満足感に浸っていると、おもむろに聡子さんが台所で何やらガサゴソ探し始めた。
そして、たまげたことに――。
「小夏、誕生日おめでとう!」
どこに隠していたのか、聡子さんが大きなブーケとプレゼントボックスを差し出したのである。
「うわあ! ありがとう!」
はしゃぐ二人を見て驚いたのはこちらの方だ。
「うそ、今日が誕生日だったの!?」
「そうよ、言ってなかったっけ?」
「言ってないわよ!」
ケロッとしている二人。こういう大事なことに無頓着なところ、この母にしてこの娘なんだと確信する。もし夏炉の誕生日を知っていたら、絶対にプレゼント選びをがんばるつもりだったのに……。
一体どこに文句を言えばよいのだ!
「私だけプレゼント用意してなかったら立場ないじゃん! んもう!」
半泣きになって喚いてみても後の祭りで。
そんな私の様子を面白がっている母娘もまた可笑しくて。
恥ずかしいような、楽しいような。
永遠に続いてほしいような、早く終わってほしいような。
こうした時間を、私はずっと求めていた。
どうしようもなく心があったかくなれる瞬間を。
カラオケの片付けをしてお風呂を済ますと、私は恍惚とした疲労感のなか、窓を開けて夜空を見上げた。
雲が少なく、絨毯のように広がった天の川の星々が点滅している。
「まだまだ夜は蒸し暑いわね。温暖化かしら」
夏炉は飴玉を口の中で転がしながら空を見上げている。彼女から飴のふくろを受け取ると、私も口の中にそれをふくんだ。パチパチ炭酸の弾ける大きな飴玉が舌の上をおどる。
「夏炉、遅れたけど誕生日おめでとう。プレゼントは明日買ってくるね」
私が言うと、夏炉は目を丸くして笑った。
「ほんと? 凄く嬉しいけど……。なんか、あらかじめ宣言されると不思議な感じがする」
「ははは、それもそうか」
「じゃあ、後の楽しみを損なわないうちに、今夜は早く寝ましょうか」
兎のように勢いよく飛び上がり、リビングへ駆け上がる夏炉。私も慌てて後を追う。パジャマ姿の彼女は身体を小刻みに動かして見るからに不審者だ。
「小夏のやつ、よっぽどあなたと過ごせて嬉しいのね。本当にありがとう」
聡子さんにそう言われるとめちゃくちゃ恐縮する。外泊の初日からこれだけ飛ばして大丈夫かと思うくらいに。これまで私と夏炉はどちらも、深い友達付き合いというものにあまり縁がなかったのだ。
「おやすみ、ふたりとも」
「おやすみなさい」
夏炉の部屋の一隅を借りて、布団をしく。
すぐ隣で夏炉が横になっている。夜だから怪しげなことでも考えているのか、彼女のニヤニヤは止まらないようだったけれど、あえて何も聞かないことにした。
「プレゼント、楽しみにしてる。お母さんのためにも、ね」
「え?」
私はその意味を問いたかったが、すぐに彼女は寝息を立てはじめた。まったく羨ましいほどの寝付きの良さだ。
風が冷たくて肩が冷えてきた。立ち上がって窓を閉めたとき、天の川の星がひとつ、私のほうへきらめいた気がした。それが何かの啓示のように、私には思えてならなかった。
(つづく)
【引用させて頂いた楽曲】
私個人の想い入れもあり、かつ作品の内容と結びつくような、素敵な楽曲を引用させて頂きました。
この場を借りて深くお礼を申し上げます。
「今、話したい誰かがいる」(2015年)
作詞:秋元康 作曲・編曲:Akira Sunset・APAZZI 歌:乃木坂46
ソニー・ミュージック・レコーズ
映画『心が叫びたがってるんだ。』ED
「パジャマのままで」(1983年)
作詞・作曲:古田喜昭 編曲:大村雅朗 歌:太田貴子
徳間音楽工業株式会社,アニメージュレコード
TVアニメ『魔法の天使クリィミーマミ』ED
「コネクト」(2011年)
作詞・作曲:渡辺翔 歌:ClariS
エスエムイーレコーズ
TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』OP
「前前前世」(2016年)
作詞・作曲:野田洋次郎(RADWIMPS)
EMI Records
映画『君の名は。』主題歌
「Happy Birthday」(1997年)
作詞・作曲:スガシカオ 編曲:スガシカオ・間宮工 歌:杏子
ポリドール・レコード
映画『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』主題歌