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言葉くづし 3―昌永橋
「いまさ、こいつ狂ってるなって思ったでしょ」
大きくて、意志の強そうな瞳。
私は自分の心を見透かされたような気がした。
うろたえると本音を隠せないのが、当時の私の悪い癖だった。
「正直……うん。ごめん」
どんな顔をすればよいのか解らず、濡れた地面に視線を落とす。
いたたまれないとは、このことだ。
しかも、少女のビジュアルの完成度だって。
純白の半袖Aラインワンピースを着こなし、お臍あたりには同系色のウエストリボン。淡く茶色がかったおさげ髪が、濡れた美顔を艶っぽく隠している。真新しい黒のローファーと、薄桃色のポシェットが小柄なシルエットに実によく似合っていた。
それに対して、私は地味なベージュのTシャツに着古したプリーツスカート。衝動的に家出したから、小物ひとつもってこなかった。それにルックスに関しては、言葉にしたくないレベルの残念賞。
けっこう神様も意地悪なもんだ。私たちはあまりにも不釣り合いすぎる。
「ふふっ、ぶはははっ」
唐突な少女の笑い声に驚いて、顔を上げる。
「バカ正直。きまじめ。ツボッた」
お腹を抱えて笑いつづける少女に、私はさらに困惑した。
「私、変なこと言ったかな……」
これだけ見た目の「端正な子」が、恥じらいもせず大口を開けて笑っている。
「変。チョー変。第一、土砂降りの真夜中にこの辺うろうろしてる時点でだいぶ可笑しい」
それは、あなたもでしょ……!
恥ずかしいやらムッとするやら、感情がごちゃ混ぜになって相手の方へ歩み寄った。
思ったより、背が低い。
そんなに私も長身でないと思っていたけれど、優に頭ひとつくらいの差があった。話しかければ自然とを少女を見下ろす格好になる。
この身長差に、どういうわけか私は既視感を覚えた。
「まったく、言わせておけばひとをバカにして」
私だって、好きで家出している訳じゃないんだ。
なおも詰め寄ろうと、足を一歩前に踏み出す。
でも。
巨大な雷が、天神橋のちかくに炸裂した。
橋の全体がガタガタ震えた。間髪を入れず二度、三度と落ちた鋭い光がこの空間に襲いかかり、私たちの動きを封じこめる。
恐怖心から眼を瞑ると、深夜に家出をした私たちを罰するような大粒の雨が容赦なく降り注いできた。濡れること自体は今更でも、これほど暴力的な雷雨は初めてだった。
けっこう、やばいか。
ただの雨だと侮って、油断した。
姿勢を低くして、橋の地面にへばりつく。
言葉のひとつ出てこない。否、喋ったところで天空からの轟音にかき消されて意味を成さないのだ。
少女の方も同じようだった。ふたりの人影が、天神橋の上で身動きできずに固まっている。
そのまま、どれだけ待っていただろう。
頭上に停滞した巨大な黒雲は、無力な人間をいじめることに飽きたかのように、突然すうっと雨脚を弱めだした。
顔を上げて話せる程度になった頃を見計らって、先に口をひらいたのは、彼女だった。
「やっぱり雨は、神の御業なのね」
ふうう、と深い息を吐いて身なりを整えると、改まった様子で私に問いかけた。
「そういえば、あなた、訊かないのね」
可愛らしいお下げ髪やワンピースからは、ポタポタと雨水がしたたり落ちている。
「此処で何してるんだって、なんで訊かないの」
風がふたりの間を通り抜けた。その風圧で重たく湿った髪の毛がふわりと舞いあがる。少女は、つかれた様子で橋の欄干に背中を預けた。
「それは……私が」
しかし、少女は次の言葉をゆるさず、いきなり私の胸元に飛び込んできた。ひらきかけた私の唇に人差し指をぴたりと押し当てる。
天使とも悪魔とも取れるような、妖艶な魅力を湛えながら。
「あなたがチョー変だから、でしょ!」
「なんですって!」
私は、思わず茶色のおさげ髪を引っ張った。
意外と体幹が弱いのか、まるでマンガのように背中がくの字に曲がる。
すると彼女も負けじと、私のポニテを狙って腕を伸ばしてきた。
その手には乗らない。相手の指先が髪の毛に触れる直前、さっと後方へ身を翻す。つかみ損ねた手が虚空を切る。瞬間、今度は猛烈なタックル。その弾みで濡れた路面に足をすべらせてしまい、ふたりとも折り重なるように地面に倒れこんだ。
痛い。
なんなんだよ、こいつは。
めちゃくちゃ痛いし、腹が立つ。
でも。
私の身体に乗っかっている少女は。
そして、乗っかられている私は。
『笑ってる?』
そのあとは、勢いに任せてお互いの髪や服を引っ張りあった。もちろん仁義なんてものはない。
だから、戦いが終わった頃にはどちらも酷い有り様になっていた。
とうとう、お互いに盛大なくしゃみをする始末で、一時休戦。
時刻は午前一時に差しかかっていた。からだの冷えと睡魔と疲労とでフラフラしたけれど、なぜか気分だけすっきりしたことが不思議だった。
あれだけ胸に支えていたわだかまりも薄れている。
息を弾ませて服装を整えながら少女は不平を言った。
「ヘンタイ。痴漢。頑固者」
だからそれは、あなたもでしょ……!
しかし、こちらが反論する暇も与えぬまま、少女は私のお腹の上にぐったり頭を載せてきた。相当つかれが溜まっていたのか微動だにしない。そのまま、寝息に似た呼吸をゆっくりと繰り返す。
正直、こいつの脳みそが重たくて邪魔だ。気安く他人様のお腹を枕にするなんて、とうてい許容できるもんじゃない。
それでも、この感覚は。
この感覚を、なぜか私は知っている。
ひとのからだが、あったかい。
我が家の乾ききった雰囲気からは有り得ない、不思議な、あったかいかんじ。
彼女のほうも殺気が消えて、柔らかな肌の重みばかりが私のお腹にのしかかった。
深いふかい呼吸が、私の上でゆっくりと繰り返される。
むずがゆい。
でもなんとなく、嬉しい構図。
「なんとなく、ハズい構図」
少女の言葉に、私は顔を真っ赤にして飛びのいた。
そのあおりで少女も大きくのけぞり、橋の欄干にカーンと頭を打ちつける。
「ごめん、大丈夫!?」
さっきまで死闘を蹴りひろげた相手に、心配している自分が可笑しかった。うずくまる少女に近づいた。長い髪の毛は、まるで海月の足のように放射状に地面に伸びている。
「ゆるさない」
顔を上げて私を睨んでくる瞳は。
意志の強そうな瞳。
美しい瞳。
哀しそうな瞳。
そして、私とおなじ、思春期の女の子の瞳。
「今夜はつかれたしさ……こんどは、となりの梅ノ橋で会いたい」
その囁きは、あたかも旧友に語りかけるような優しい口調。
立ち上がり、すばやくスマホ画面を操作した少女は、細かい文字の書かれたメモアプリを私に表示してみせた。
《瀧の白糸
又の名を 夏炉》
「夏炉……」
ふふっと、この子特有の含み笑いが溢れた。
ああ、またこのかんじ。
あったかくて懐かしい、既視感。
「また来週、おなじ曜日おなじ時刻に。じゃあね、冬花」
立ち去ろうとする夏炉の袖をそっと引っぱった。天気は小雨になっている。
「私、なんか不思議なかんじがする。むかし、何処かで夏炉と会ったこと、あったっけ?」
夏炉は顎に手を当て暫く考えていた。
そして、納得したようにポンと手を打った。
「会ったこと、あるかも。……前世くらいに!」
確信した。
やっぱりこいつは、気が狂っている。
(つづく)