ちょっと前のことを思い出して、泣いてしまった。あんまりそんなことってないのにな。やだな、明日目が腫れちゃうじゃないか。バイトなのに。 みんながするように、私も軽く挨拶がしたい。それだけで十分なんだ。人の隙間からひょっと顔を見せて「よっ。」でいい。それだけでいい。それ以上は別にいらない。 “How could I say goodbye?” 彼女たちが唄うように、私もそれが分からなかった。今も分からないんだ。
バイトの〇〇くんかっこいい^ ^ みたいな、 うわべでウキウキした気持ちが ずっとずっと心のどこかにあればいい あと、 坂元裕二の脚本みたいな会話を 皆がすればいい 世界はもっとおもしろくなる 最近はそんな感じ
たまにすること 泣くふりをする ううううう 泣いた気になれる ことはないんだけれど これをしないよりは好い 悲しいのに涙が出ないとき 悲しみを内に溜め込んだまま どこにも吐き出せなくって もやもやするよね だから ううううう 泣くふりをする 声と一緒に悲しい気持ちも出ていけばなあ
新しいコミュニティがひとつ増えた。 発見があった。 悪口を言って笑う人。何かをばかにして笑う人。そういう人とは一緒に居られない。自分も陰でそう言われているんじゃないかと考えてしまうから。その人たちの盛り上がりを壊すことはできないから、無意識に人を悪く言う人間に化ける。この時の私が一番嫌い。 苦手な人には、嘘をつきたくなる。本当の私を知られたくない、と思う。性格だけじゃなくて、名前も生まれも育ちも年齢も、何もかも言いたくない。言いたくないと思っていることすら、知られたくない
「ほんとに、ごめんなさい」 急に言われました。脈絡なんかありません。でも私、言いたいことを一瞬で理解できました。不思議です。私も丁度、それを考えていたところです。 さあ、なんと言えばいいでしょうか。 1 私はあなたの気持ちわかりますよ、の意 「もう、いいよ。 私も、しんどいし。」 寄り添います。 2 言葉足らずにも程があるでしょ、の意 「なにが?」 突き放します。 これを書いたのは10日ほど前のこと。今はどうでもよくなってしまった。なんでだろう。 それを考えない
教授 Fさん 大学の人たち
“私はいつも「今が一番面白い」と言いたい。 過去についても、あれはあれで私だった。 だけどそのまんまでいい部分と、 違うな、という部分がある。 そこからまた自分を始めればいいじゃない。 何かを始めてもいいし辞めてもいい。 休んじゃいけないとか、 そっぽ向いちゃいけないとか思わない。 腰掛けていようが文句言っていようが、 それは自分の人生なんだから、 人からとやかく言われるもんじゃない。 自分でそんなにぐじぐじ思う必要もない。 あら、 この五年間、感性
「大丈夫か?」と言われた 気にかけてくれたことが嬉しかった でも そう言ってほしくて態度に出していた自分が嫌になったりもした 四六時中元気な友達は 部屋のベッドで天井を仰いで あれこれたくさん考えて あの時の自分に絶望する をしたことがないらしい 羨ましい その友達にはない深みが 私にはあることを期待して 今日もまた天井を仰ぐことにする
「元気じゃない日はないな」 「心が疲れてても元気」 世の中にはすごい人間がいるんだな 私も頑張らなくちゃ 「自分に合ったペースってのがある」 「キャパってのが与えられてる」 「頑張らなくていい」 すごい人間がそう言うなら 頑張らなくていいか
今日はあまり頑張らずにすんだ でも気楽ではなかった なんか疲れちゃった 「食べれば治るよ」 うん 久しぶりに会ってお話をした うれしかったことをうれしそうに話してくれた 私もうれしくなった 「相変わらず忙しそう」 置いていかれないかな 「どうだろうね」 さみしいな 「大丈夫でしょ」 そうかな 最近はずっと 大丈夫って思いながら 大丈夫じゃない私に気づいている 「おやすみ」 おやすみ
最近、傷ついた とてもとても傷ついた 彼のせいなのかもしれないし 私のせいなのかもしれない 私は人に怒りをぶつけられない 我儘になれない 怒りはすぐ、哀しみになる 呆れ、諦め、泣く 私はこれを「許す」と呼ぶ 一生忘れないでほしい 暫くは苦しんでいてほしい 食事が喉を通らないくらいに 夜眠れないくらいに 私だけが過去に取り残されないように