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【FF14】7.0のストーリーを見終わった



はじめに

もし私のnoteを全部読んでいるような人がいるなら、このnoteのタイトルがデカめの矛盾を孕んでいることに気が付くだろう。

絶オメガという高難易度のレイド(ボスを倒すコンテンツのこと)をクリアした後、低空飛行でログインしたりしなかったりしつつ月額料金を払い続けていたのだが、先日ついに月額料金支払いの自動更新を切った。

FF14で出来た人間関係はありがたいことに今も続いているが、これで特段何かがなければもうFF14にはログインしないだろう。

涙もろい私が「暁月のフィナーレ」のラストで泣かなかった理由

私は去年の11月のnoteのなかでこんな文を書き、FF14を引退した。
実際に課金は切っていたし、それどころかFF14そのものもSSDから消えていた。
黄金のレガシーが発売され、Xのタイムラインが悲喜こもごもFF14の話題で盛り上がっているのを見ても、復帰するつもりはなかった。

しかし先日、FF14を再開した。きっかけはFF14 The k4senだ。

あまりにも面白すぎた。FF14は配信映えしないゲームだと昔から言われていたが、トップ配信者がしっかりと企画を練り、配信を行えば面白いということがはっきり分かった。FF14 The k4senではFF14の面白さの神髄があった。

その神髄を思い出し、FF14ってやっぱ面白いよなと、まんまと(なにがまんまと?)復帰したわけだ。

そのFF14の面白さの神髄とは、というのはこのnoteの本旨ではないため、割愛する。
このnoteは賛否両論あるFF14黄金のレガシーのメインストーリーに対する感想を述べたものだ。

とはいえ私はFF14に関するまとめ記事サイトをXですべてブロックしているため、具体的にどんな理性的な否の意見があるのかは知らない。
Xのおすすめタブで黄金のレガシーがつまらなかったという旨のポストが流れてきたのを流し見したことがあるため、賛否両論あるということだけを知っている。
また、私が大好きなミステリー小説である「medium」などを書いている相沢沙呼氏がXのポストにおいてかなり強い言葉で黄金のレガシーのストーリーを否定しているのを知っているくらい。

結論

漆黒や暁月のような名ストーリーではなく、違和感を覚える描写やシーンは存在するものの、強い非難には値しないストーリーだと感じた。

まずは賛否両論の否の評価を受けそうな要素について触れていく。箇条書きで列挙する。

・構成の問題
・唐突感や違和感のある描写
・言葉選びの稚拙さ
・ウクラマト1本で勝負しすぎ

私が感じた黄金のレガシーの問題点は以上の通り。深掘りしていこう。

構成の問題

一時期私がXで見かけた黄金のレガシー評として前半が冗長だというものがある。

個人的に前半の継承の儀フェーズの話が面白くないとは思わない。ただ、継承の儀でウクラマトに発生した成長が、黄金のレガシーにおける「結論」になんら影響を及ぼしていない点は問題だと考える。

ウクラマトは継承の儀によってトラル大陸の文化を学ぶだけでなく、自身も成長した。主たる成長として挙げられるのは「知ればもっと好きになる」という言葉に代表される「まずは知る姿勢」とでもいうべきスタンスだろう。

実際、大事な話ではある。
まずは知る。知った上でただすべてを受け入れるのではなく、自分の考えをぶつける。

これが王として理想の形なのかについての議論は韓非子にでも任せるとして、ウクラマトという人格が今後の人生をおくるにあたり、非常に大事な成長を遂げたことは間違いない。

ただ、よくよく紐解いてみると、このウクラマトの成長は、物語の上であまり意味を成していない。

序破急、起承転結、いずれの形で物語を構成するにしろ、FF14の各拡張のメインストーリーにはラスボスがいて、それが倒される形で話が終わる。これはメインストーリー終了後もゲームコンテンツを遊べるゲームの宿命であるが、これは制作側もユーザー側も受け入れていることである。

ここで1つ問題となるのはシナリオにおいていかにドラマティックやハラハラを作り出すかという点だ。

なんていったって、主人公は絶対に無事なのだ。最終的にはラスボスに勝って操作可能なキャラクターとして手元に帰ってくることが確約されている。

そんな中で、ラスボスとの戦いはシナリオ上もっとも盛り上がらなくてはいけない。

盛り上がることと感情が動かされることは必ずしもイコールではないが、ラスボスと戦う前には「やるぞ!」という気持ちになってもらわなければならないし、戦い勝利したあとのエンドロールを見終わったあとには「良かった……」と思ってもらわなければならない。つまりはシナリオの中でもドラマティックなシーンであることを求められるのは事実だ。

倒されることが確定しているラスボスとの戦いをドラマティックに描くには、結局のところ「どんなラスボス」を「どんな理屈で納得させ」「どう倒すのか」という話になってくる。

漆黒では世界を災厄から救うために犠牲になった古代人たちの命や想いを背負ったエメトセルクを、水晶公やアルバートの助け、異なる世界の稀なる強者たちの力を結集して倒した。エメトセルクは主人公が過去の世界における友人であることを悟り、自分たちがたしかに生きていたことを覚えておくならば、と納得しエメトセルクは倒された。

暁月ではすべての星々の絶望を知り、自らも絶望に染まったことにより世界を楽にするために滅ぼそうとしたメ―ティオンを、主人公も限界を越えた想いの力を発現し(これは履行を耐えるためのリミットブレイクを指している)倒そうとしたものの倒せず、仲間たちの想いの力をも束ねて倒した。メ―ティオンはすべては滅び死に、虚無へと向かうのにどうして生きるのかという問いに対して、たったひとつの答えなんてない、ただ生きていきいつか死ぬのだ、という答えを得て納得した。

では黄金のレガシーはどうだろうか。

今回の黄金のレガシーにおいて、物語の主人公がウクラマトだったのはおそらく異論のない話だろう。
我々が操作する光の戦士は「こいつ強いな?」と、たまになろう系主人公のような扱いを受けながらウクラマトのことをサポートする役割であった。

そうなると今回のラスボスであるスフェーンを納得させる役目を担うべきはウクラマトだ。

ここまで書けばお分かりになるだろうか。

黄金のレガシーにおいてウクラマトは王位継承の儀を経て「知ることの大切さ」を学び、リビングメモリーでもそれを実践し、成長をした。

しかし、これらの成長は「客観的に見たときスフェーンを納得させられそうな理由」を提供する手助けにならなかったのだ。

スフェーンの目的は、簡単に言ってしまえば永久人たちに生きていてほしかったに尽きる。

だがウクラマトが最後にスフェーンにかけた言葉は「決して忘れない、だから安心して眠ってくれ」という趣旨だった。

一目見ただけだと普通に話が食い違っている。

ヨカフイ族が語っていた「死とは自分を知るすべての者や物の記憶から消えたときに訪れる」という理屈の上で話が進められているのは理解できるものの、通常、死を主体的な人格の消失であると考えているモニターの前に座った我々としては納得感が薄い。

しかもウクラマトがスフェーンの想いを否定する理由が国(原初世界を含む)を守るための一点しか用意されていない。

そうなると王族として生まれた一般的な正義感を持つウクラマトは王でなくとも結局はスフェーンを止めざるを得ないよねみたいな雰囲気も醸し出す。

つまり、今回の7.0更新分のシナリオだけ見るのであれば、ウクラマトは王になる必要性すらないのだ。それはちょっとシナリオが薄い、リビングメモリーに感動しそうなエピソードを並べただけと言われても仕方がないと思う。

これが私の考える黄金のレガシーの構成における一番大きな問題だ。

この起こる出来事に最終的に意味が薄かった問題は黄金のレガシーというシナリオ全体に通底するデカめの問題だ。深掘り不足などと言われるのはこの構成の問題があるため生まれているのではないかと思っている。

西部劇の部分も、ウクラマトの乳母であるナミーカのことを印象付ける役割の話としては長かったと感じる。

まぁFF14のメインストーリーのシナリオを書くというのは難しい話だとは思う。「各所で違和感なくIDを挟め」、「n3とn9とn0のレベルには大きめのボスを用意しろ」。

この条件があるだけでFF14のメインストーリーを書ける人は世の中の作家諸氏を探しても少ないだろう。

しかしそれを成功させた前例があるとやはり世間の目は厳しくなる。どなたが書いて、次があるのかなどはさっぱり分からないが、次があるなら頑張ってほしい。

唐突感や違和感のある描写

唐突感や違和感のある描写。まことに便利な言葉だ。すべての不満を包含できる。

この項では私がメモに残した違和感を抜粋したうえでコメントをしていく。

・身なりに無頓着な人と他の人の身なりの違いがわからん、くすんでいるのか、色が?
→どうでも良すぎる。次。

・腕のいい職人、腕、腕を見る機会はないんですか?!
→フォンジャンテーンが作品を見せるわけでもなくワチュメキメキ万貨街に就職した際の話。腕のいい職人を求めているのになんか作品を持ってきてくれとかないのか?

・生ける災厄の封印を解くのはなんらかの罪には問われないんですか? このズームーウーって人もちょっとは引き止めるそぶりを見せるとか。
→バクージャジャがヴァリガルマンダの封印を破るシーンの話。グルージャジャは王になってからそういう法律とか作らなかったのかな。

・なに平然と生きてんねんケテンラム
→暗殺されたようにしか見えなかったケテンラムが俺じゃなかったら即死だったとか言い始めたときの話。ルガディン族だから許されているのかその頑丈さ。

・主人公が人の話聞かないで越える力に頼りきりだよぉ~
→これマジで多かった気がする、何回もやられて普通に気になってしまった。

とまぁやりながらのメモに書いてあることは雑な話だ。しかしながら、メモにも書いていない、1つ大きな違和感を抱かせる描写があった、というかなかったというべきか。

それはウクラマトが王になったあと、主人公を要職に誘うというシーン。
ここはプレイ中明確に大きな違和感を抱かせたシーンで、私にあることを思い出させるシーンでもあった。

最初は要職に誘われるこのシーン、主人公100断るじゃんと笑い気味で見ていたのだが、ちょっとしてあることを考える。

なぜウクラマトはそんなことを言ったのだろう? これまでの主人公のことを知っていればそんなことは言わないよな、と。

そして考えてみるとウクラマトは主人公がどんな人物なのかはまだしも、主人公がこれまでどんな旅をしてきたのかを知ろうとしたという描写がないな、と思い出した。

これは「知る」ことを重視しているウクラマトという人物としてはかなり違和感がある。しかもこの後ウクラマトは光の戦士とも家族になりたいと思っているとまで語る。

結構大きめな違和感ではあるが、今後のパッチでこの主人公のこれまでの旅を知らないことによってもうひと悶着あるみたいな、今後の伏線的な使われ方をしたらマジでFF14すごいみたいな話になるのでここについては多くは語らない。

これで最後まで別に何もなくて、ウクラマトが主人公のこれまでの旅とか知ろうとした描写無いけど家族なりたいわ~みたいな感じだったら西新宿のスクエニ本社に向かってデカめの「おい!」という声をあげるかもしれないが。

言葉選びの稚拙さ

最後の否の要素、言葉選びの稚拙さ。

個人的には構成とか違和感のある描写とかそんなことは個人的には実はどうでもよく、黄金のレガシーはこの言葉選びの稚拙さによって少し減点かなと考えている。

稚拙という表現が正しいのかは分からないが、黄金のレガシーの言葉選びはありふれた言葉、もっと直接的に言えば陳腐な言葉が多かったように思う。

基本的にFF14は地の文がある進行をしない。キャラクターの発言によって話が進んでいく。

そうなると言葉選びというのはキャラクターの発言にどんな言葉を用いるかという話なのだが、その言葉選びに舐めが見えた。

舐めというのは「こんなこと言っておけばそれっぽいだろ」という感覚が見えているとでもいうべきだろうか。

文脈が乗っていないし、洗練されてもいない、どこかで聞いたことがある言葉の引用のように感じる、そういった感覚だ。

文脈が乗る、言葉が美しいとはどういうことか?

たとえばサン=テグジュペリの星の王子さまに登場する「大切なものは目に見えない」という言葉。これはもうあらゆるところで使い古されたよくあるそれっぽい言葉と化している。

「大切なものは目に見えない」と検索すれば、そうですよね愛とかそういうの大事ですよねみたいなことを書いた文章が無限に出てくる。そういう文章は文脈が乗っていないと私は考える。

星の王子さまでも「大切なものは目に見えない」という言葉は「目に見えない絆って大事だよ」という意味で使われるのに、どこに違いがあるのか?

星の王子さまを知っている人はこの言葉を例にしただけで「文脈が乗る」の意味を理解いただけると思うが星の王子さまを知らない人のためにWikipediaのリンクを貼っておく。最悪この記事に戻ってこなくてもいいから星の王子さまのあらすじを読んでみてほしい。

わかるだろうか? わからなければ読んでほしい、星の王子さまを。

私だって別に言葉選びが上手いわけではない。だがそれなりに本を読んできてその良し悪しが少しは分かる。

というかこれまでFF14をやってきたのであれば、FF14プレイヤーは文脈が乗っていて洗練された言葉選びをする作家を知っているはずである。

と、黄金のレガシーについて書いているのか星の王子さまについて書いているのかよく分からん項目にはなってしまったが、あくまでこれは感覚的な話だ。共有できなくても仕方がないとは思っている。

ウクラマト1本で勝負しすぎ

正直なところ、黄金のレガシーが賛否分かれるのはこれに尽きると思う。
あまりにもシナリオの多くのファクターをウクラマトが占めているため、ウクラマトをどう思うか次第でシナリオそのものの評価が変わってしまう。

当然登場するキャラクターがウクラマト1人というわけではないため、いわゆる推し的な存在がウクラマト以外にできればウクラマトが苦手でも黄金のレガシーを楽しめるかもしれないが、それはだいぶ激烈に刺さらないと厳しいだろう。

賛否の賛の部分

黄金のレガシーについてこれまで否の部分に触れてきたが最初に書いた通り、黄金のレガシーは強い非難には値しないストーリーだと感じている。

みんなもっと変なゲームをやったほうがいい。みんな最近面白いと人に言われたゲーム以外やらなくなってはいないだろうか? それでは目というか脳が肥えるのも致し方がない話だと思う。

世界にはマジで変なゲームたくさんあるから。1冊の良書に出会うには9冊の悪書と出会わなければならないというように1つの神ゲーに出会うには9個のそうでもないゲーやらクソゲーをやらないといけないと私は信じている。

と、ストーリーがそもそも成立している時点で上澄み側だよねという前提が私には深く根付いていることを前提に読んでほしい。

個人的にはエレンヴィルとカフキワの話が結構刺さった。

私は家族仲がめちゃくちゃいい方ではないし、人生において師匠と呼び双方向のコミュニケーションを取るような人もいないため、根本的にはエレンヴィルとカフキワの話を理解できないはずなのだが。

普通に年をとって脳の衰えによって涙もろくなっているのかなんなのか、理由は不明だが、ちょっと泣いてしまった。もしかしたらここは前述した言葉選びにおいてあまり違和感がなかったのかもしれない。

ストーリー以外にも目を向ければ黄金のレガシーは褒められる点が結構あると思う。

まず「間」を上手く活用した演出が随所に見られたのが高評価だった。これは私の黄金のレガシーメモの最初に書いてあるので最初から徹尾「間」の使い方が上手かったのだと思う。

ほかにも表情が豊かになったように感じた。ただ多彩な表情を表すというよりは表情で感情を表すのが上手くなっている。

あとはやはりbgmが良かった。アレクサンドリアのbgmリピートしないの普通に無理だろ。bgmに関してはチームで作っているのにすべてが祖堅氏の功績のように語られているのがちょっとかわいそうだなと常々思っているため、もっとbgmチームは露出を増やしたほうが良いと思う。

あとは好みの話だが、シャーローニ荒野のワイルドアームズやトライガンっぽさ、リビングメモリーの航空障害灯がマジで最高だった。私は航空障害灯が好きなのでリビングメモリーはこれだけで100点をあげられる。

おしまい

どちらかと言うと賛否の否を書く記事となってしまったが、最初にも途中にも書いた通り、私は黄金のレガシーのストーリーをそこまで悪かったとは思っていない。

というのはきっとウクラマトのキャラクターが嫌いではなかったからだろう。厳しい言葉を使うと、ありきたりなことしか言わないキャラクターであったため、別に嫌う理由もなかったということになるかもしれない。

最後の最後にド級の否みたいな言葉が出てしまったがマジで黄金のレガシーのこと悪くないと思ってるから! 信じて!!!!!!!


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とーとー
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