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創作とは

初投稿から今日で三日目だが、実はnoteというプラットフォームについてほとんど何も知らずに始めた。改めてnote公式を閲覧して概要を掴もうしたのだが、そこで「クリエーター」という言葉に引っかかってしまう。
ざっくりとブログの延長のようなものと考えていたので、あれ、場違いなところに来たちゃったのかなと。まあそこはあまり考えないことにして・・・

ただ一度気に掛かってしまった言葉をそのまま放置するのもモヤモヤするので、創作というものについて、すこし考えてみることにした。

最初に告白すると私は、「創作とは模倣の集積である」派。
というか、人並みの批評眼があれば、自作品に他人から貰った知識やインスピレーションがいかに混じっているか、気がつかないわけがないと思う。
そもそも人は、一定数以上の語彙とその使い方のサンプルを蓄積した後、語彙爆発という課程を経て言語を獲得するという事実からして、創作と呼ばれている行為を行う場合も、それと似た道筋を辿る取ることは自明だろう。

ところが・・・。
そう、ところがなのだ。
既存の作品のアイディアやエッセンスが混じってない創作物などない。これは間違いない。
文章、絵画、動画、音楽、彫刻、陶器、その他諸々、人が作ったものは全て、注意深く観察すればするほど、既存作品の痕跡がボロボロ出てくる。
にも関わらず、出来上がった物には作者独自の「何か」が存在する。
ときに内容的には既存の物の完全な焼き直しで、新規性がないにも関わらず。

これは一体何なのだろうか?
素材は同じでも組み合わせ方が人によってまちまちで、その癖が異なるということなのだろうか?
これはありえそうだ。

例えば良い話と悪い話と2つあったとして、伝える順番が違うだけで受け手の印象が変わる。こんな単純なことで変わるだから、語彙、言葉の選び方、句読点の多寡、難読字の多さ、短文と修飾節の多い重文、複文の割合、同じ内容の言い直しの多さ等で変わって当然だろう。

これで作者の個性の説明はつくとして、では、面白い、面白くないの差はどこから来るのか?
これについては今の私にはただの印象論しか語れないので、今後の宿題にする。

完全に尻切れだが、今回はここまで。
もっと数こなして早く文章力を上げたい。

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