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最近の記事

書評 A3

当時著者が身を置いていたテレビ制作現場でオウム報道に抱いた違和感を、職を辞してまで取材を重ね世に問うたのが『A』という映画。その後制作された映画『A2』も世間にほとんど無視されたことから媒体を月刊誌連載に変更、それをまとめて書籍化したものが本書だ。 その本書もあまり売れなかったらしい。 こんな名著を、初版から12年経った今頃になって、やっと私が発掘できたくらいだ。さもありなん。 ただのその年月のおかげか、私は著者の主張をすんなり受け入れられた。 他の人はどうなんだろう?

    • 告知と感謝

      突然ですが現在の小説シリーズは終了します。 理由は、ここから書き進めるには、かなり高度な法律や法曹界の知識が必要と判明したからです。裁判や取り調べのシーンを思い浮かべたときに気づきました。 映画、ドラマ、小説、マンガは劇画調のものが多くて、リアル寄りに創る場合にはあまり参考にならないし、ではいくつか読んだ告発本はどうかというと、あまり真似し過ぎると盗用とみなされる危険がある。 なので、自前で知識や情報を溜める必要があるのですが、いかんせん法曹関係は要求される水準が高くて、私

      • 能力とは?

        小泉進次郎氏の能力はいかにと問う声が喧しいが、その当否や是非はさておき、能力というものについてスポットを当てると、ほとんど突き詰められてないと感じることが多い。 以下他人を俎上に乗せると角が立つので、私自身のことについて述べる。 完全な自分語りになってるので、苦手な人は読まない方がいいかもしれない。 私の能力を自己評価すると、瞬発力や発想力は別にして、カテゴリー的にはセンスで笑わす芸人に近い。 例えば、横断歩道上の園児がこちら向きで驚いた表情をしている写真があったとしよう

        • 小説002 自己紹介

          ここで僕のことを少し話しておこう。 自分で言うのも何だが僕は社会の敵だ。とにかく人をいたぶるのが大好きなのだ。 小学生まではその衝動ままに暴発させていたため近所では問題児として有名で、そんな僕を親はほとんど見捨てていた。 だが親の転勤により転校した先の中学で僕の人生が変わる。 転校してから二日目の昼休みのこと。別に誰でも良かったのだが、たまたま目に入ったツーブロックをネチネチいじっていたら、キレて襲いかかってきたので丁重に青あざをお作り差し上げたところ、なぜかクラス中の拍

          [書評]ヒルビリー・エレジー

          中盤までは人によっては読みにくいかもしれない。 人物の数が多くて最初のうちは誰が誰だか把握しにくいのと、恐らくはまともな環境で育った人には聞くに堪えない著者の少年時代の話をオブラートに包んで聞きやすくするために、少し捻った間接表現が多いからだ。 だが終盤は意味が取りやすく、挫折しそうな人は後ろの方から読んだ方がいいかもしれない。 著者のユーモアセンスは私と合ったし、また掃き溜めと上流階層の間で揺れ動くアイデンティティーの迷いも、著者のような暴力や怒号が飛び交う家庭でもなかっ

          [書評]ヒルビリー・エレジー

          ストーリーの魔力

          今日もう一編書いてみたのだがちょっと不穏な内容で、もしかするとプラットフォームに迷惑掛けるかもしれないので投稿は止めておく。 代わりに感想を。 正直小説執筆がこんなに楽しいとは思わなかった。 抽象論は辻褄を合わせることと、説明の要となる上手い具体例や比喩を作ることにいつも苦労しているが、この点小説は少しくらい辻褄が合わなくても結構誤魔化せる。場合によっては筋も後から変更できる。非常に自由度が高いと感じた。 翻って、一言一句固有名詞と事実関係を正確に記す仕事が、いかに面倒

          ストーリーの魔力

          小説001 特捜部のお仕事

          僕は本日ついに参考人を落とし、自白調書を取ることに成功した。 上司に報告すると彼のいつものしかめ面が緩み、僕はこの表情を見るために仕事をしているのだと実感する。 「よくやった」 「ありがとうございます。しかし僕は高梨主任に従って捜査を行っただけです。どうしたら主任のような見立てができるようになるのでしょうか?」 見え透いたおべんちゃらだが、この手の煽てで彼が気分を害することはない。 「いつも言っているが、社会的成功者はどこかで無理しているものだよ。その歪みがどこに生じて

          小説001 特捜部のお仕事

          書評『国家の罠』

          先日なぜかamazonのオススメにあった『国家の罠』という本を読んだ。 いわゆるムネオハウス事件についての特捜の国策捜査について、被疑者の一人であった佐藤優氏が告発している本なのだが、想像の斜め上を行っていて驚いた。 国策捜査という言葉は知っていたが、捜査側と被疑者側の立場の相違から来る少々大袈裟な表現という認識だった。しかしそういうレベルではなかった。 ついでに弘中惇一郎氏や村木厚子氏の本も読んだが、ここまで証言が一致したいたらまあ事実だろう。 しかしここで特捜批判はや

          書評『国家の罠』

          政治不信解消に向けて

          思うに昨今の政治不信は、議員が議会以外の場で具体的に何をしてるのかを、地域住民国民がイメージできないというところにある。 つまり、少数の議員経験者とその他大多数の非経験者との間の情報格差の問題なのだが、ではその格差を埋める役のマスコミはと言えば、こちらもあまり信用されていない。マスコミ以外の人間から見れば、議員と同様ブラックボックスだからだろう。 となれば、実際に住民に議員や首長を務めてもらって各自で確かめてもらう以外に、ここまで落ちた政治不信を回復する手段はないように思う

          政治不信解消に向けて

          [書評] 心はこうして創られる「即興する脳」の心理学

          note のまっさらの投稿欄に「書評を書いてみませんか」と勧誘されたので、やってみることにした。 取り上げるのは非常に影響を受けた一冊、『心はこうして創られる「即興する脳」の心理学』 (講談社選書メチエ) (著)ニック・チェイター、(訳)高橋達二、長谷川珈 早速序章から引用。 そして後の章で、信念、欲望、希望、恐怖、あるいは深層心理といったものから、人の思考や行動を説明するのは無理があることを述べているのだが、私にとっては全く未知の主張というわけでもなかった。 しかし本書

          [書評] 心はこうして創られる「即興する脳」の心理学

          考えるということ

          は比較し連想し、その連想が滑らかに繋がるように辻褄合を合わせることではないかと思っている。 例えば地動説。 他の夜空の星々の年単位の周期的な動きに対して、地球から観測できる惑星の変則的な動きの落差。一見不規則だが他の星々と同様に規則性があるはずだという連想。 数学という道具を使い、太陽の周りを楕円軌道で周回しているというモデルによってピッタリ辻褄が合うことを示したことで当時の常識を揺さぶり覆し、現代では不動の事実として疑う者はいない。 恐らく天動説を採っても複雑怪奇なモデ

          考えるということ

          信用ならない客観的な第三者

          突然だが、連想ゲーム。 経理 さて何が思い浮かんだろう? お金 帳簿 伝票 監査 こんなところだろうか? ここで唐突だが「ジュウシマツ」に登場してもらう。 「経理」と「ジュウシマツ」、どうやっても結びつかないように思えるが、間に経由点をいくつか設ければ繋がらないこともない。 例えば「ジュウシマツ」→「山林」→「資産」→「経理」、「経理」から「課長」→「娘のペット」等。 つまり、 1.結びつきやすい言葉・イメージと結びつきにくい言葉・イメージがある 2.しかし絶対

          信用ならない客観的な第三者

          批判者と行為者の間

          人間は比較のプロだ。 切り分けられたケーキの僅かな大きさの違いに敏感だし、たった一品口にすしただけで今訪れている飲食店を再訪するか決めることができるし、様々な映画の出来について、あれこれお喋りもできる。 そのとき大抵、判断基準を意識すらしていない。 他のケーキの切れ端と比べる、過去訪れた飲食店の味や値段を思い出して比べる、過去鑑賞した同ジャンルの映画と比較する、という作業をほとんど全自動で1秒もかからず成し遂げている。 少ないリソースでまあまあの精度の決定を下せるこの人間の

          批判者と行為者の間

          創作とは

          初投稿から今日で三日目だが、実はnoteというプラットフォームについてほとんど何も知らずに始めた。改めてnote公式を閲覧して概要を掴もうしたのだが、そこで「クリエーター」という言葉に引っかかってしまう。 ざっくりとブログの延長のようなものと考えていたので、あれ、場違いなところに来たちゃったのかなと。まあそこはあまり考えないことにして・・・ ただ一度気に掛かってしまった言葉をそのまま放置するのもモヤモヤするので、創作というものについて、すこし考えてみることにした。 最初に

          炎上についての一考察

          ネット上では日常的に炎上騒ぎが起こる。 著名人に対する嫉妬が原因だとよく言われるが、本当にそうだろうか? 人は他人の噂話が大好きだ。当該人物が危険かどうか判定するための情報交換の側面があるのは間違いないところだが、しかし少なくとももう一つ重要な役割がある。その場にいない者を話の肴にすることで、伸ばせば手足が届く距離に相対してる者同士が敵対したり、緊張状態になるのを防ぐ働きがあるのだ。 例えば、バックヤードで高校生のバイト君とパートのおばちゃんがマンツー状態になったとしよう

          炎上についての一考察

          生成AIの実力

          現在のAIは厳密な意味でのAIではないという議論は見ないことにして早速。 生成AIの力は、もう誰もが認めざるをえないほどのところまで来ている。が、依然として不気味の谷は越えていない。これを超えずして人間には迫れない、そう思う人が多いのではなかろうか。 しかし果たしてAIの進化は、一度人間の完コピ方向に向かい、追いついて追い抜くというルートしかないのだろうか。 実は私は過去AIに追い抜かれる経験をしている。将棋民だったのだ。将棋AIがまだプロに敵わなかった頃、つまり人間にと

          生成AIの実力