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幾何学を負かす

上司が「ロスコがいい」といっていたので、
前から気になっていたDIC川村美術館へ、夏の連休を使って行ってきた。
以下、印象に残った作品と、簡単な感想を記録しておこうと思う。

藤田 嗣治(レオナール・フジタ)《アンナ・ド・ノアイユの肖像》

脱力した格好で、こちらを見ている。
最初に対峙したときは、少しドキッとした。白い背景の絵画というのが、意外と、初めて観た感じがする。展示室の壁面と、背景の白と、女性の白い肌が、同化している。対比的に、黒い髪と黒い瞳が浮き上がる。
視線は、何かを見つめているような強いものではなくて、かといって、優しい眼差しでもない。もっと抜けたような視線。ふと誰かと目があってしまったような、他人への視線。ニュートラルな視線を向けられる、心地よさがあった。

クロード・モネ《睡蓮》

あまり気にしたことが今までなかったが、水面に映る景色が縦に波打つような、こんな波の立ち方はあるのだろうか。
空気が上昇していくような、炎のような水面。対比的に、横に伸びる蓮の葉に、石のような安定性を感じた。

マン・レイ

「手前に開きたくなる」「どちらかといえば自分は奥に球を押し込みたくなるな」
絵画から、行為を促されるような効果を感じるようなことはあまりないが、便座が転用されただけで、それは開くものになるし、穴は奥行きを増す。無意識に、いつも使っている道具が働きかけてくる。鑑賞の中に、使用の感覚が入り込んでくる。

クルト・シュビッタース

2〜30センチ程度の、石膏で作られた小さな彫刻。純粋に作るのが楽しそう。

サイ・トゥウォンブリー

近づくと、黒板に書かれた引っ掻き傷ような、嫌な音が頭で聞こえてくる。
徐々に遠ざかると、線は糸みたいな細さに変化し、鋭い音から柔らかい印象へ。音は消えて、線は全体へと紛れる。
俯瞰して全体を見ると、画像ではそうは見えないが、真ん中のあたりが白くて、隅は暗いグラデーションになっている。綺麗な色をしている。消した線、垂れた跡、擦った跡が、全体のグラデーションに寄与している。
どこか、地層のような、波のような、宇宙のような、自然のものに見える。

ロスコルーム
(出典: https://kawamura-museum.dic.co.jp/architecture/rothko-room/)

大きな赤い色に囲まれる怖さがあった。自分より大きな赤に、圧倒される。
勝手な妄想だけど、赤い色が潜在的に持っている「怖さ」の表現だと思った。色を、色それ自体として、いかに見せるか。 
キャンバス一面を一色で埋め尽くすということもできる。だけどここでは、輪郭のぼやけた幾何学が描かれている。幾何学というより、囲いのようでもある。
幾何学は理性で構成されるが、これらの絵は感情的だ。幾何学負けさせることで、色の強さを引き出しているように見えた。

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