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【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第7話

7 二人でランチデート ③


窓の外に広がる庭園では色彩豊かな紫陽花あじさいがいくつも咲いており、川から水路を通って引かれてきた奇麗な水が重たげな水車をのんびりと回していた。
森の中のひんやりとした涼気に、時折、小鳥のさえずりが歌うように響き渡る。水車の下に掘られた池を、色鮮やかなニシキゴイが悠々と泳いでいた。
そんな風流な景色を眺めながら、私たちは蒸し鶏のサラダにチキンソテーを堪能した。
注文した料理とは関係なく、まず、二人分の前菜として山菜の小鉢がいくつか出てきた。ワラビのおひたし、タケノコのお刺身、フキノトウと鶏肉の炊き合わせ……。平生の食事では味わうことのないような、山奥のお店ならではの一品の数々。人の手が最低限にしか加えられておらず、自然の成り行きで生まれた素朴そぼくでほろ苦い味がそのまま活かされている。上品でかぐわしく、それでいてコクの深い妙味みょうみが舌にじんわりと染み渡った。
蒸し鶏のサラダとチキンソテーには、食べ応えのある鶏むねの部位が使われていた。下味でまぶされたハーブの爽やかな香りがふわりと鼻をくすぐり、口に入れた瞬間、肉の旨味とレモンの酸味が一気に弾ける。思わず、私は追加で白米を頼んでしまった。
つまり、何が言いたかったかのか、というと―――
「美味しい!」
ということが言いたかったのである。
「んまかったねぇ」
「大、満足ですぅ」
私は平らげた皿を前に、しみじみと息を吐いた。幼い頃に何度か来たことはあるはずなのだが、さすがに十年以上も前の記憶ともなると、口にした料理はどれも初めて味わった感覚だった。
「ふふん、そうでしょう。月に一回は来てるから、また誘ったげる」
「えぇ、結構頻繁に来てるんですね」
「なんてったって、真の目的はこれからだからね」
ムヨクさんはニヤリと笑うと、正座を崩して膝をさすりながら立ち上がった。

この丸鶏のお店は、大きく分けて四つの区画に分かれている。
ひとつは、建物に入って手前右側、私たちのいる食事スペース。お座敷が敷かれ、丸鶏料理を楽しみながら、ガラス窓からは美しい山々と駐車場脇に造られた庭園を見渡すことができる。
手前左側は、卵と丸鶏の直売所。食事でも提供された丸鶏を購入できる精肉店になっており、お店での食事よりも、むしろ来客のお目当てはほとんどこちら側で、開店と同時にショーケースの前には長蛇の列ができていた。
そして、建物の奥が巨大な養鶏場と加工場になっている。
つまり、国産の鶏と卵を、生産から加工、物流、調理、販売まで全てここで手掛けているので、仲介手数料が限りなくゼロに等しく、街のスーパーよりも新鮮で美味しい鶏肉が格安で買えるのである。そのため、駐車場に停まっている車のナンバープレートを見る限り、地元の人々だけでなく、県外からの来客もたくさん訪れているようだ。
「あの、真の目的って……?」
ムヨクさんは会計を済ますと、直売店の列には脇目も振らず外に出て、軒下の通路を進んで庭園へと足を踏み入れた。
「それはねぇ……」
ムヨクさんはちらりと私に振り返ると、その視線をすっと庭の奥のほうへと流した。
食事時にも見えていた景色。背後で談笑する客人たちの声が、どこか遠くに聞こえた。丸鶏のお店は大盛況なのに、ここは人の気配を感じない。まるで、深い森の中に偶然開けた場所があって、そこに少し手を加えて造っただけのような庭である。
ムヨクさんの視線の先、鯉池の水際には、あの水車の回る小屋が建っている。
「ここって―――」
勝手に入ってしまっていいんでしょうか、と言いかけた、その時だった。
水車小屋の中から、一人の男性が出てきた。
つぶらな垂れ目には丸メガネを掛けており、ぽってりとした赤い実が成っているような鼻先、ふっくらした唇には葉巻をくわえている。頭には白いタオルを巻いており、首から深緑色のエプロンを着て、黒い長靴を履いていた。精悍せいかんな顔立ちだと思うのだが、白煙をくゆらせる口周りには山賊のような無精髭ぶしょうひげたくわえており、他人から見られることにはあまり関心がなさそうな人、という印象をまず抱く。
年齢はどうだろう、私たちよりも一回り上ぐらいに見える。森にむドワーフのようなおじさんは、エプロンのポケットから何かを取り出すと、それを池に向かって放り投げた。何やら作業の最中なのだろう、その手には軍手をめている。すると、水面にバシャバシャと飛沫しぶきが乱れ散り、こいがおじさんの元へと集まってきた。
ああ、と私は思った。鯉の餌を池に投げたのだ、とそこで気づく。
「トリさーん!」
その時、ムヨクさんが不意に叫んだ。動物好きが爆発して、庭のどこかを飛び回る鳥に呼び掛けたのかと一瞬だけ思った。
だが、そうではなかった。
餌を前に荒れ狂う鯉たちをほのぼのと眺めていたドワーフのおじさんが、ふとこちらを見上げた。

「こちら、鶏屋とりやのトリさん」
私たちの元に合流したドワーフのおじさんに左手を流して、ムヨクさんが私に言う。
鳥飼とりがいです」
「で、こっちがガマ子。あたしの友達」
「ああ、どうも。ムヨ……余公さんの友達……というか仕事仲間の、羽賀です」
私が鳥飼さんに頭を下げると、彼も目を細めて深くお辞儀した。
鶏屋の鳥飼さん。ややこしいが、言われれば一発で覚えられる名前である。
「珍しいね、余公さんが誰かを連れてくるなんて」
「この子をご飯に連れて来たかったの。それに、あたし車売っちゃんたんだよねぇ」
「えぇ、あの赤い高級車、手放しちゃったの?」
「そう、持ってるだけでお金がかかる車とは、もうおさらばしようかと」
「ほぇー……、で、仕事の部下に運転を……ね」
鳥飼さんはそう言うと、にっこりと私を一瞥いちべつした。
「い、いや、全然。喜んで運転します!」
私は両手をひらひらと振って、なんとか苦笑してみせた。
すると、ムヨクさんと鳥飼さんは揃ってカラカラと笑った。
「はっはっ、冗談だよ。そんな硬くならないで」
「ごめんねトリさん。ガマ子、コミュ障だから」
「うぅ……」
ずっと昔から知り合いなのか、かなり打ち解けている様子である。
自己紹介も兼ねて軽く雑談を交わしながら、ムヨクさんと鳥飼さんがどちらからともなく歩き出した。
私も二人の背を追って足を踏み出す。どうやら、お店の裏手、養鶏所のほうへ向かっているようだ。
鳥飼さんはこの丸鶏のお店のオーナーをやっていて、主に養鶏所の管理を手掛けている方らしい。商売の一番のかなめである、鶏の品質を確保する人である。直売所や食事処の運営は、息子さんの家族に回してもらっているのだとか。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
鳥飼さんはムヨクさんに言うと、私たちを残して、庭のフェンスを越えて養鶏所のほうへと行ってしまった。

「帰りは休憩を挟みながら山菜採りでもしようか。また吐いちゃうと、さすがに笑えないし」
「いいですね。天ぷらにして食べましょう!」
「コハクちゃんとタッピー用だよ」
「ああ、そっか」
そんな他愛たわいもない立ち話をしながら、しばらくフェンスの前で二人きりで待っていると、鳥飼さんが小走りで戻ってきた。その手には、何やら大きな紙袋が握られている。
「はい、じゃあこれ、今月の分ね」
鳥飼さんは庭へは入ってこずに、フェンスの上から紙袋を差し出した。
「へへ、いつもありがとうございます」
それをニマニマしながら受け取るムヨクさん。
今、私たちはお店の裏手に立っており、ここは他の来客からは見えない死角となっている。秘密裏に交わされたその二人のやり取りは、目撃してはいけない、怪しげな取引現場のように見えなくもなかった。


8 二人でランチデート ④

【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん


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