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【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第10話

10 トリさんとムヨクさん


陽射しが傾き始めた頃にムヨクさんの自宅へと帰ってきた私たちは、二階へ上がり、クーラーボックスから各々の購入した品を取り出して、仕分けることにした。一階は完全に生き物の飼育スペースと化しているので、ムヨクさんは二階で寝食を営んでいるのである。
「あのぉ……ガマ子さん、スマホとポシェットは……いかがいたしましょうか」
人差し指と親指でポシェットをまみ上げたムヨクさんが、顔をしかめて私に訊ねる。
「んあー……、スマホはさすがに必要なので、回収するとして、ですねぇ……」
ポシェットの中にはハンカチとポケットティッシュ、日焼け止めにリップクリームが入っていた。どれもこれもヌメついており、気力を吸い取られそうになるほどの臭気が鼻腔びくうく。ポケットティッシュはもう使い物にはならないだろう。しかし、ハンカチは洗濯すれば、日焼け止めとリップクリームはちゃんとタオルでぬぐえば、やや抵抗があるが使えないことはない……かもしれない。
「うぅ……ほんっとにごめんなさい」
「致し方ありません。まぁ、お母さんのお下がりだし、よしとしましょう」
萎れてくたびれたポシェットに、私は手を合わせた。車のスマートキーをポシェットの中ではなく、運転席のドアのホルダーに入れておいたことが不幸中の幸いだと思うことにしよう。
「えぇ、お母さんのお古だったの? ならなおさら申し訳ない」
「いやぁ、別にいいですよ。あんまり、こういう服とかファッションアイテムみたいな物とかにこだわりとかないんですよねぇ」
「じゃあ、今度さ、ポシェット探しの旅でもしようよ」
不意を突くムヨクさんの提案に、私は合掌したまま目を丸くした。
「いいですね! デパ地下とかモール街とかり歩きましょうか!」
かばん屋さんが軒を連ねるストリートの雑踏を、ムヨクさんと肩を並べて巡る休日の昼下がり。そんな光景に思いを私がせていると、ムヨクさんが得意げに瞬きをして首を横に振った。
「いや、ガマ子に似合うポシェットは、そんな所にはないと見た」
迫真に迫るように語気を強めて、ムヨクさんが言う。
「なん……ですと!」
仕方がないので、そのチープな演技に乗ってあげることにする。すると、ムヨクさんは吐瀉物としゃぶつの染みが広がるポシェットを握りしめ、空気をふわりと撫でるようなたおやかな所作で、その手を私に差し伸べてきた。
「そなたも行こう、一年に二日間だけ姿を現す爬虫類の星、リザードパレードへ!」
ババンと雷が落ち、荒れ狂う海原の白波が巨大な岩礁に打ちつけて、三日月が妖しくわらう夜空に水飛沫が煌々こうこうと舞い散る―――ことはない。
その真意を問うと、リザパレなどの爬虫類即売会の場では、生体の販売に限らず、爬虫類の生き物がデザインされた服や靴、ぬいぐるみやマグカップなどのグッズなども数多く並ぶのだとか。爬虫類の扉に一歩踏み入れてしまった以上、その悪魔的な香りのする誘いに頷かないわけにはいかなかった。
「とりあえず、ゲロまみれの手、洗いましょうか」
「そうだね」
結局、ポシェットは爬虫類飼育に使う小物入れに、ハンカチはメンテナンス時の水拭きに使われることになった。

洗面所で手を洗い、再び仕分けを再開する。
私が買った丸鶏やら手羽先やらは、この後ムヨクさんと夕食で頂くことにするので、冷蔵庫に入れておくことにする。そして、私がずっと頭の片隅で気になっていた物を、ついにムヨクさんが取り出した。
「それ、結局なんなんですか?」
ムヨクさんの手に握られた紙袋に視線を落として、私は訊ねた。昼食を終えた後に、お店の庭の片隅でムヨクさんが鳥飼さんから受け取っていた代物である。おこぼれ、とかなんとか言っていたような気がするが、依然としてその中身は謎に包まれたままだった。
「あぁ、これはねぇ―――」
訊かれなかったからえて答えもしなかった、とでも言うように、ムヨクさんは悪びれる様子もなく紙袋の中に手を入れた。
中から姿を現したのは、平たくて大きなビニールに閉じられた、白い粉末・・・・だった。
「えぇ、これって……」
「そう、これがないとやっていけないからねぇ」
額に影を落として、怪しく口元を歪めるムヨクさん。
白い粉。しかも、一袋だけじゃない。紙袋にはいくつも同じ物が入っている。
「……ムヨクさん、もしかして……、やっちゃってるんですか」
私は息を呑んだ。怪しげな取引現場に見えたそれは、本当に怪しげな取引だったということか。思い返せば、森のドワーフみたいな鳥飼さんの風貌からも、少しばかり不穏な空気感が滲んでいたような―――
「ガマ子、なんか勘違いしてる?」
「えっ? いや、別に! 私は何も……っ!」
「カルシウムパウダーだよ?」
「……え? カル、シウム? ああ、タッピーにあげてたやつか!」
どうやら、この袋に入ったカルシウムパウダーを、あのハチミツ型の容器に移し替えて使っていたらしい。
「この流れで、怪しげなクスリなわけないだろ」
ムヨクさんは床を叩きながら笑い声をあげると、目尻に浮かべた涙を拭いながら、鳥飼さんが担っている事業を簡潔に話してくれた。
鶏の生産から加工、販売までを一店舗経営の中で完結する現在の形態を築き上げた後、鳥飼さんは次なる事業拡大に向けて思案を巡らせていた。
自身が食べる用というよりかは、飼育しているオオトカゲや蛇たちの餌用のために丸鶏の直売所を利用していたムヨクさんは、そこで、食事処の運営過程で廃棄せざるを得なかった鶏卵の殻に眼を付けたのである。
爬虫類飼育や健康食品などで愛用されているカルシウムパウダーは、風化したサンゴの骨や貝殻を原料に製造されており、卵の殻で自作できることでも有名なのだそうだ。ムヨクさんは食事処で出た卵殻らんかくに価値を見出し、爬虫類界隈の人脈を駆使して、カルシウムパウダーに加工して街中の爬虫類ショップへおろす事業を提案したのである。
「軽くトリさんに言って、あたしが仲良くしてる爬虫類ショップと繋げてあげただけなのに、翌月にはもう商売の形になってたんだよぉ」
「すごいですね。プライベートでもコンサルみたいなことやってるだなんて」
「そんな大げさな話じゃないよ。それで、カルシウムパウダーのおこぼれをもらうことができたら、あたしも願ったり叶ったりなんだけどなぁ、って企んでただけだよ」
「ほんとに叶ってるじゃないですか」
一端の客人の提案に真摯しんしに耳を傾けた鳥飼さんの姿勢も素晴らしい。だがそれ以上に、客としてお店を利用していながら、その社長である店主に直接事業を立案できるムヨクさんの慧眼と人心掌握術も見事なものである。
普段生活していて、ムヨクさんはどのような眼差しで世界を観察しているのだろう。スーパーでの買い物中や、それこそ爬虫類即売会の運営などにおもむいた際にも、改善点を思い浮かべながら店内を巡っているのだろうか。
私の仕事ぶりに対して、ムヨクさんはどのような評価を胸中に秘めていたのだろうか―――そんなことをひとたび考え出すと、背筋に戦慄が走った。
「いやぁ、言ってみるもんだね」
そう言ってカラカラと笑うムヨクさんを見て、やはりこの人財を手放すという選択をした弊社の判断は失敗だったのではないか、と思わずにはいられないガマ子であった。

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