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第2怪 「コトリバコ」について


コトリバコとは

怪談好きじゃない方もネットをかじっている方は一度は聞いたことがあるのではないだろうか。
2チャンネル洒落怖より2005年に投稿された「子取り箱(コトリバコ)」、女性や子供にだけ禍いを齎す強力な「呪物」として紹介されています。
1860年代後半から1880年代の前半にかけて作られていたとされており、
現代の怪談ではその頃作られたコトリバコが蔵から出てきた等の怪談が挙げられています。

隠岐騒動で落伍した者から島根県の被差別部落に伝承されたとされる呪いの箱。メスの動物の血と水子の一部を入れた箱を対象に渡すと一族が根絶やしになると言われている。

Wikipedia「怪談都市伝説」コトリバコより
https://00m.in/bVgMK

以下はコトリバコの作り方である。作りたい方は自己責任でお願いします。

コトリバコの作り方

「コトリバコ」の作り方
(1)
初めに木材を絡み合わせて容易に蓋を開けられないようにパズルのような箱を組み立てます
(2)
次に箱の中を雌の畜生の血で満たします
(3)
そのまま一週間放置。
(4)
そして間引いた子供たちの身体の一部を箱の中にいれます
その子供の年齢で箱に入れる部位は変わってきます。
生まれたばかりの子は、臍の緒と第一関節のところまでの人差し指
それから臓物から搾られた血液、七歳までの子供は人差し指の先と腑から搾った血。十歳までの子となると人差し指の先のみ。
(5)
血が乾き切らないうちに蓋を閉めます.
(6)
あとはコトリバコを呪物と気付かれないように呪いたい相手に送る

怪談考察忌
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コトリバコの作り方考察

point1

まず、呪物や呪いの条件として、完成するまでに工程を難しくすればするほど呪力が強くなると言います。複雑さや、困難さを組み込むことでより強い呪いを作ることができます。
(1)を見るとまず秘密箱のように、簡単に開けられないような箱を用意しなくてはいけません。箱の準備だけでも大変です、作るにしても時間がかかり、買うにしても高くつきそうです。それに買ったとして、その村の近くで呪いが発生したってなったらもうすぐに犯人がわかってしますので、流行った時代にネットショップなんてないでしょうから、ばれないように遠くの地で買ったりしないといけなくなります。作るにしても簡単に開けられてはいけませんからそれなりの技術が必要になってきます。
この時点で簡単に作り出せるものではないことがわかります。

point2

(2)では雌の畜生の血を入れるとされています。
畜生とは鳥・獣・虫魚の総称になります。
(2)や(4)で箱に入れるものは
呪術をかける相手を定めるためだと言われています。

point3

(3)では一週間放置とあります、これは箱に血を滲ませ、箱自体に呪いを定着させるためだと思われます。

point4

そして(4)では間引いた子供の部位をいれるとされます。
年齢によって入れる部位が違うのもこの呪術の肝だと思っています。
作るものによって細かい指定があるのもより強い呪物を作るために必要な手間だと考えられます。

point5

呪い自体には2通りあり、相手に認知されて発生する呪いと、認知されずとも発生する呪いです。
コトリバコの場合は後者ですが、相手が自分は呪われていると思えばより強く呪いがかかるという説があります。でも呪いは返されると倍以上になって還るというので、認知されずに発生させる呪いの方が確実に自分に還ってくる心配もせず相手を苦しめることができます。
コトリバコはただ呪いたい相手の土地に置いたり、埋めたりすればいいだけですから割と簡単に一族を根絶やしに出来そうですよね。


しかし、そのコトリバコですが、相手に送る以前保管、管理するだけでも危険ですので、次項の管理方法が考えられています。

コトリバコの管理方法

  • 女子供を絶対に箱に近づけない

  • 暗く湿った場所に安置

  • 年を経るごとに呪力は弱くなる

独自に作られたと考えられる管理方法

  •   効果を薄めるために、コトリバコを知る3家の持ち回りで管理すること

  • 家主の死後は、次の持ち回りの家主が前任者の跡取りから受け取ること 

  • 後任者は跡取りに箱のことを伝えること。跡取りがいない場合は次の持ち回りの家に渡すこと

  • ほかの班が持っている箱について話題にしないこと

  • 箱を管理していない家は、管理している家を監視すること

  • 約束の年数を保管したら神社に届け処理すること

  • 約束の年数を経ない箱は持ち込まないこと

  • 神社側からは決して集落に接触しないこと


コトリバコの呼び方

コトリバコに封入される子供の人数によって呼び名がかわる
一人「イッポウ」二人「ニホウ」三人「サンポウ」四人「シホウ」五人「ゴホウ」六人「ロッポウ」七人「チッポウ」
人数が多いほどコトリバコの力は増大する。ただ七人以上を箱に入れることは絶対にしてはいけない。


コトリバコの発祥

コトリバコが初めてつくられたのは、1860年代後半と言われている。舞台は「出雲の国(現在の島根県)」のとある集落。当時、この集落に住む住民たちは周囲からひどい差別や迫害を受けていた。あまりにもひどい迫害で生活することさえ苦しく、子どもの間引き(産まれたばかりの子どもを殺すこと)も行われていたそうだ。そんな中、1860年代後半に隠岐の島で反乱が勃発。その反乱を起こした側の中心人物(男性)が出雲の国の集落に逃げてきたところからコトリバコのエピソードが始まる。集落の住民たちは、これ以上の厄介ごとを抱えるとさらに迫害を受けると考え、この男を殺そうとした。そこで男は命乞いをするべく、「助けてくれたら武器をやる」と提案。そう、この武器こそがコトリバコだった。迫害や困窮に疲れ果てていた集落の住民たちにとって、確実にターゲット(の妻と子ども)を死に至らせ、一族を根絶やしにする武器の存在はとても魅力的に映っただろう。住民たちは男の提案を飲み、命を助けてやる代わりにコトリバコのつくり方を教わることにした。(そもそも自らの子どもを間引きするほどの極限状態にあったのだから、圧力をかけてくる人々に対する脅しの意味でも、自分たちが安心して暮らせるようにするためにも、どうしてもコトリバコという強力な武器が必要だったのだろう)集落の住民たちが初めてつくったのは、7人の子どもの死体の破片を閉じ込めた「チッポウ」。迫害を受けていた地域の庄屋に上納したところ、庄屋にいた女性・子どもは血反吐を吐いて苦しみぬいて死んだという…。コトリバコの脅威は周辺地域にも知れ渡ることとなり、集落への圧力や干渉は一切なくなったそうだ。にもかかわらず、住民たちはその後13年にわたって計16個のコトリバコをつくり続ける。そう、自分たちの平穏な暮らしを守るために…。つくるのを止めたきっかけは、前述の、村の子どもが自宅に持ち帰ったところ痛ましい事件が起こってしまったことだと言われる。

竹書房怪談文庫 > 怪談NEWS > 恐怖コラム
https://kyofu.takeshobo.co.jp/news/column/2ch-horror/63/

まとめ

これまでいろいろと書いてはきたが、呪物じゃなくとも時代的(1860年後期)に間引きを行うための口実だったり、管理方法にもあるように、村の中で相互監視をさせる目的の為であったとも考えられます。
もし本当にコトリバコがあるなら、「チッポウ」の呪力が消えるのが140年後だと言われていますので、2010年頃にはコトリバコの呪力が消えていると思われますので、蔵などで見かけても大丈夫だと思います。
16個以上作られていたらその定かではありませんが、、、。

ごにん‐ぐみ【五人組】
 江戸時代、古代の五保制にならった庶民の隣保組織。「五人与(くみ)」と書き、五人組合ともいい、地方によっては十人組もあった。その長を五人組頭、または判頭(はんがしら)と称した。戦国時代、下級武士の軍事編制にも五人組がみられたが、江戸幕府成立後、民間の組織として制度化された。初めはキリシタンや浪人の取締りを主眼としたが、後には法令の遵守、相互監察による犯罪の予防・取締り、連帯責任による貢租の完納および成員の相互扶助的機能に重点がおかれるようになった。

https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E4%BA%BA%E7%B5%84-65696


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