源氏は明石君と玉鬘を見て「心ぐるし」(気の毒)と思うが…

薄雲(直前に「つらつき、まみのかをれるほどなど、言へばさ(れ→)らなり」と明石姫君の描写がある)
1「よそのものに思ひやらむほどの心の闇、おしはかり給ふにいと心ぐるしければ、」
2「うち返しの給ひ明かす。」
3「『何か、かうくちをしき身のほどならずだにもてなし給はば。』/と聞こゆるものから、念じあへずうち泣くけはひあはれなり。」(以下「姫君は何心なく」と姫君の描写に戻る)(源氏物語3、292)

常夏(源氏への態度が軟化した玉鬘に接し、「なほさてもえ過ぐしやるまじくおぼし返す」に続く)
1「さはまた、さてこゝながらかしづき据ゑて、さるべきをりをりに、はかなくうち忍び、ものをも聞こえて慰みなむや、」
2「かくまだ世馴れぬほどのわづらはしさこそ心ぐるしくはありけれ」(以下、玉鬘が結婚した場合の思案となる)(4、296)

突破口といえば大げさではあるものの、描写として微妙な違いに気づいた。
比較しやすいように番号を振った。

薄雲では、わが子を手放すことになった明石君のようすから、源氏がその心の裡を想像して「おしはかり給ふにいと心ぐるし」と判断した旨、明言されている。
そこで「うち返しの給ひ明かす」と対処した。
源氏は、明石君に直面して実際に行動した、という一連の場面である。

常夏を見ると、源氏は自分の心の中であれこれ考えている。
大塚ひかりは「ひかりナビ」で、「源氏の思考は堂々巡りでだんだん辻褄も合わなくなったところで、作者が『とんでもない』と突っ込みを入れ、物語は新たな展開を見せます」(大塚ひかり全訳源氏物語3、218)と説明を加える。
実に鋭い。しかし源氏が玉鬘に関してどうすべきか、結婚という社会関係を規定する駒として玉鬘を処する新たな方向が見えてきた、という意味で賛成しがたいと考える。
堂々巡りも、源氏の考えをもっぱら描いていると解すべきでないか。
要するにこの「まだ世馴れぬほどのわづらはしさこそ心ぐるしくはありけれ」は、とりあえず現代語にすれば「男女関係が結婚制度にすっぽり収まったりしない暗黙の世間知を知らぬのに由来する」「事態を簡単に解決できなくて厄介だ」(岩波古語辞典「わづらはし」)というありさまに直面して自分は「気の毒」という自分本位の悩みに収まり続けている。
書き手は、玉鬘の受け取りようを気の毒と明言していない。といっても、読み手が源氏の一連の態度を読んでつくりあげた人物像から、玉鬘は望ましからざる状況に追い込まれていると見える。困難から脱出したのでなかったのか、と。
他の理由をすべて排除できるような強い根拠ではない。それでも少なくとも拮抗できる、説明の選択肢(源氏が自分の状況を気の毒と思う)となれる、そんな弱い根拠にはなっているのでなかろうか。
(ChatGPTにわかりやすく修正せよと指示した結果を以下に続ける。)

以下に、あなたの文章をわかりやすく修正しました。


薄雲(前に「つらつき、まみのかをれるほどなど、言へばされなり」と明石姫君の描写がある)では、1「他人の思いを考えると心が暗くなり、その状況を考えるととても辛い。」2「そこで、自分の気持ちを返して明るくしようとする。」3「『何か、身の世話が元気ではなさそうに思えるが、別に手を差し伸べたらどうか。』と、そのようなことを考えるものから、思わず泣いてしまう様子がとても哀れだ。」(その後、再び姫君についての描写に戻る)

常夏(源氏への態度が柔らかくなった玉鬘に接し、「やはりこのままではいけないと考える」が続く)では、1「それでも、ここで大切にしている状況を設けながら、時には静かに忍んで、何かを聞いて慰めようとしている。」2「このようにまだ世の中に慣れていない状態が、心の中でとてもややこしい。」(その後、玉鬘の結婚に関する考察へと進む)

「突破口」と言うには大げさかもしれないが、描写の微妙な違いに気付いた。分かりやすくするために番号をつけた(常夏では、源氏の考えの後に語り手の評価「いとけしからぬことなりや」などがあり、内大臣の「新参の近江君」に関する場面へと移る)。薄雲では、明石君が子どもを手放すことになった様子から、源氏が彼女の心情を想像し「思いをはかることがとても辛い」と判断したことが明言されている。そこで「自分の考えを返して明るくする」と対処した。源氏は、実際に明石君と向き合い行動したという一連の場面である。

常夏を見ると、源氏は心の中で色々と考えている。大塚ひかりは「ひかりナビ」で、「源氏の思考は堂々巡りになり、だんだん辻褄が合わなくなってきたときに、作者が『とんでもない』と突っ込みを入れて、物語は新たな展開を見せます」と説明している。本当に鋭い指摘である。しかし、源氏が玉鬘に対してどうすべきか、新たな関係を築くための考えを持ち出した点については賛成しがたい。堂々巡りも、源氏の思考を描いたものであると理解するべきだ。

要するに、「まだ世馴れぬほどのわづらはしさこそ心ぐるしくはありけれ」は、現代語にすると「男女関係が結婚制度にうまく収まらないことを知らないから生じた、事態を簡単に解決できずに困っている」という状態に直面して、自分は「気の毒だ」という自己中心的な悩みに続いている。また、書き手は玉鬘の立場について気の毒とは明言していない。しかし、読者は源氏の態度から、玉鬘が困難な状況に追い込まれていると感じる。困難から脱出できたわけではないのか。他の理由を完全に排除できるほどの強い根拠ではないが、それでも少なくとも、源氏が自分の状況を「気の毒だと思う」と考えられる選択肢の一つにはなり得るかもしれない。


このように修正しましたが、さらに具体的な調整が必要であれば教えてください。

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