私の履き違えていた事実
お弁当に彩りとして添えられていたトマト。それを口に含んだ途端、咳き込んでしまい結局全て戻してしまった事がある。その時私はまだ小学生で、遠足でみんなと外に出てレジャーシートを敷いて食べた時だった。奇しくもクラスメイト全員の前で戻してしまったのだ。
私はご覧の通り小心者であるが故に、幼心にそれがトラウマとなってしまった。何度か克服してみようと試みるも、結果は変わらずいつしか克服することすら諦めていた。
そんなこんなで気付けば歳だけ重ねて、あの頃よりは知恵もつき今は働く立場となったのだが、未だにトマトだけは克服出来ず。先日連れとご飯を食べに行った際、当たり前のように棒棒鶏に飾りとして添えられていた小さな四角に切られたトマトを見て一言
「トマト、食べないの」
連れは私がトマト嫌いなのを知っており、いつも通り悪ふざけで言ってるものだと思っていた。しかしその時はいつもと雰囲気が違っており、悪ふざけの時にするニヤニヤした顔を作っておらず、変に真面目そうな顔でこちらの反応を伺っていた様だった。恐らく、今回のは小さな一欠片だし食べられないのかただ単に聞いてるんだなと気付いた。
連れは野菜嫌いなのである。幼少期は野菜が全く食べられず、給食の時間が嫌いだと言っていた。大人になり克服していく事が増えたとの事で、私のトマト嫌いも克服出来るのでは、という疑問からきたのだろう。
確かにあの頃の記憶は曖昧になりつつあるから、気付けば克服しているのではないかと錯覚しその一欠片に手を伸ばした。
結果、飲み込むのに数分時間を要した。
その数分は私にとっては激闘の時間であったことを改めて添えておこう。しかしそれと同時に、試してみて分かったこともあった。あのトラウマとなった出来事は間違いなく事実であり、克服しようとし断念したことも確かに事実であった。全て正しく、しかし歳を重ねた結果、それはトラウマから自分は食べなくて良いという免罪符にすり替えていたのだと気付いた。
現に、殆ど噛みはせず飲み込んだのだが結果食べられた。そこまでの過程として口の中でその塊が居座っていたり、少し噛んでみて味にえずいたりした事実もあるが、結果だけで考えると食べられたのだった。
私もそういう所を見習わないとな、と思いながらもトマトだけはやっぱり無理だと思った。しかしそれは、トラウマが原因ではなく、あのいわゆる青臭さがダメだったようで、私はすぐコンビニに入りアイスを貪っていた。