生きるという行動は、常に選択に迫られていると思う。何を食べるか、何を話すか、何を買って何を思うか。大小様々な判断をして、選択して、時間を食べていく。その苦楽を享受するのが、修行であり軌跡であるのだと、そんなことを考え、それを文字に落とし込むというプロセスを選択する。
公私ともども慌ただしい。まだ師走を迎えてないはずなのに、あれよこれよと振り回し振り回されここまで来てしまった。落ち着くのは年明けか。見当などつかない今だが、こうなれば慌ただしさも人生のスパイスとして楽しむこととしよう。
言葉でつくりたい。衝動だけが先走り、その後姿を思考が棒立ちで眺めている。言葉を使わない日など無いのに、言葉で何かを紡がないと自我を保てないかのように、その衝動は突如襲いかかる。果たして、どれほどの人がこの衝動を抱え込んでいるのだろうか。衝動との付き合い方を、誰か教えてくれ。
寒くなるとアイスが食べたくなる。だが、夏の暑い日にアイスは要らない。かと言って暑いものを食べたくはならない。暑い日には喉越しのいいものを味わいたい。どうやら夏バテしているのは胃腸だけでなく、味蕾もバテているようだ。