負け犬だった私の「はたらくを自由に」してくれた【こんまり】【孫正義】多彩な経営者達が教えてくれたこと
数々のメンターたちに教わった「はたらくを自由に」してくれた言葉や本などを紹介します。ご覧頂いた方のご参考になれば幸いです。
今回は、はたらくを自由に、というコンテストの応募記事ということもあり、20時間ぐらい掛け、何度も書き直しました。
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自己紹介(箇条書きで赤裸々に)
私が「はたらくを自由に」できた変遷について(2020年2月29日現在)。
・33歳(3月で34歳)
・実家:創業94年の町工場を経営
・失敗続きで現実に向き合わず、悔しいという気持ちが起きない負け犬根性が染み付く
ー大学受験失敗、志望校に全部落ちる
ー青山学院大学の夜間部を受けて合格し、入学
・就職活動を大学4年の秋から再開するも、ほとんど募集なし
・2008年に部品加工業のムロコーポレーションに入社
・家業を継ぐための3年間の修行という目的で入社
・「3年で辞めるから、とっつきにくいことは向き合わなくていいや」という負け確定マインド
・結果「残念な努力を続ける勘違い」新卒社員として迷惑をかける
・ビジネス書の著者メンターの2年間に及ぶコーチングがきっかけでビジネス力向上
・仕事で結果を残し、少し恩返しする
・東証一部上場のコンサル会社へ転職
・数々の賞を受賞
ー2013年、同社の中途社員大賞
ー2014年、同社のブレイク大賞
ー2018年、同社のベストセミナー大賞
ー2019年、同社、士業支援部にて人を育てたで賞
・子ども2人(6歳と3歳)
・子どもや家族ともっと時間を過ごしたいと考えるようになる
・理想の働き方を模索し、2018年末からキャリア本を読み漁る
・色々な著名人にキャリアについて質問して回る
・環境を変えずに理想の働き方を目指すべく、色々チャレンジ
・2020年1月から「社内転職」をし、新規事業の立ち上げに参画
メンターから勧められた『孫家の遺伝子』から学んだこと
『孫家の遺伝子』は現在、絶版になっている。
著者はソフトバンク創業者・孫正義氏の弟、孫泰蔵氏。
主人公の泰蔵氏が孫家で、どのような影響を受けたかについて書かれている。
登場人物は
・自転車での焼酎の行商から年商100億円にまで事業を育てた父、孫三憲
・一人で起業し、一代で年商2兆7千億円(当時)にした兄、孫正義
・その家族の影響に感謝し、反発しながら自らも学生時にベンチャー企業を立ち上げる末っ子、孫泰蔵
などだ。
常に息子を「天才だ!」と褒め伸ばす父親の愛情と、努力しない事を許さない厳しい兄の影響は、泰蔵氏が望む望まないに関わらず、高い舞台に押し上げて行く。
そんな泰蔵氏には、久留米大学附設中学校・高等学校と生徒会長を務め上げるも、大学受験に二度失敗し、半ば投げやりになっている時期があった。
泰蔵氏に、厳しい兄は言う。
「お前は人生の負け犬だ」
この叱咤激励がきっかけで、泰蔵氏は奮起し、全国模試2位になり、見事、東京大学に合格。在学中にはYahoo!JAPAN立ち上げ参加を経験、それがきっかけで起業し、年商75億円の企業を率いることになる。
(上記、書籍の内容紹介の一部はhttps://bit.ly/2HORArwを参考にした)
メンターがこの本を私に勧めた意図は
「お前は今、人生の負け犬だということをいい加減、認識しろ」
「人は自分の現状を正しく認識し、変わりたいと思ったときから人生を変えることができる」
そんなメッセージをこの本から読み取れ、ということだと感じた。
心理学者の内藤 誼人氏によれば、そもそも人の自己評価は、客観評価よりも高くなるもの。「あなたの自動車の運転能力は?」「クラスであなたの人気は何位?」。そんな問いに、多くの人が自分は平均より上だと答える。
この現象を心理学用語では「平均以上効果」といい、ほとんどの人に共通して見られます。主観と客観の評価のギャップはおよそ20%といわれています。周囲の評価よりも「若干高め」に見積もり、小さな優越感によって自分を下支えしているところがあります。
当時の私は部品メーカーの営業。営業補助の女性は仕事ができ、社内でも厳しいと評判の人物。仕事ができなかった私は、その女性に怒られる毎日。
それでも当時の私は自己評価が高かった。
日々読書をし、土日に読書会やセミナーなどに参加している自分はイケテルと思っていた。
営業補助の女性に言われた、今でも覚えているセリフがある。
「富澤君って面白いから、近くにいるのはいいけど、一緒に仕事はしたくないタイプ」。
今でも覚えているぐらい強烈な一言だったが、負け犬根性が染み付いていた当時の残念な私は悔しさを感じなかった。
今思えば、単に向き合っていなかった。だから、何があっても、何を言われても素通りだった。それでは現実は変わらない。
そんな日常を変えてくれたのがメンターだった。
成長痛や筋肉痛と言われるように、成長には痛みが伴う。自分を否定してくれるという痛みが自分を成長させてくれるということを先日ある動画で聞いた。まさにそれが当時のメンターだった。
メンターは相当Sな方。徹底して否定された。ただ、否定するだけじゃなく、どうしてダメなのか、どうすればいいのか、ということを教えてくれたり、気づくように仕向けたり・・・人生を変えてくれた恩人だ。
このときの修業がなければ、転職ができたかどうかも怪しい。転職できたとしても結果を残すことはできなかったかもしれない。
このときの修業で地力がつき、それが発揮できたから、転職先で数々の賞の受賞、スピード出世ができた。
(メンターから教わったことは他にも沢山あるので、今後noteにシリーズで書いていきたいと思う)
東芝グループ会社代表まで駆け上がった人から「いい選択をした」と言われた転職先を選ぶ基準
前職の部品加工業の営業から東証一部上場の経営コンサル会社(メイン顧客が中小企業の経営者)に転職が決まった。
当時、メンターに引き合わせて頂いた、東芝のグループ会社の社長に転職が決まった報告をした際に言われたことがある。
「仕事が面白いかどうかは”経営の川上にいるかどうか”でほぼ決まる。中小企業の経営コンサルであれば、相手は社長、経営の川上だよね?いい選択をしたね。」
経営の川上だと、なぜ面白いか。それは「裁量」があるから。
「裁量」があるということは、自分がやりたいようにやれる。だから面白い。
余談だが、仕事における自由度は、次の公式で決まると私は考える。
仕事における自由度=職種×付き合うお客様×社風✕裁量
選んだ転職先はどの因子も”+”だった。
「こんまり」のプロデューサー土井英司氏は「裁量」という因子について、次のように言っている。
仕事を楽しむのに大切なことは「裁量」。「裁量」を得るためには「信用を築く」ことが一番大事。
この「裁量」を得るためには個人的には結果を出すこと(=信用を築くこと)、出世すること、だと思う。
東証一部上場コンサル会社を引っ張る執行役員に受けたコンサルティング
メンターのコーチングを受けて、変わることができた私は2012年1月から東証一部上場のコンサル会社に中途入社した。何事も「全力少年」の私は、仕事にのめり込んで、ワーカホリックに・・・。
一方で、幼少期に夫婦喧嘩が耐えず、離婚するしない、といった話が飛び交っていたことから小学生にして幸せな結婚をすることを決意、幸せな結婚をするための研究を続け、実践し、結婚相手に24歳で出逢い、26歳で入籍、27歳で長男が誕生、30歳で長女が誕生と家族は順調に増えていた。
しかし、ワーカホリックは変わらなかったため、長男一人の時は完全ワンオペ・・・。
長女が生まれてからも、そこまで変わらず、妻に苦労をかけ続ける日々・・・。(妻は逆流性食道炎や肺炎も経験・・・)
妻は我慢に我慢を重ねてくれていたが、ある休日、事件が起きた。
私が部下の結婚式で家を出ようとしていた朝、子どもが味噌汁をこぼした瞬間に妻が泣き叫んだのだ・・・。
後日、本人に聞いたところ、今日は夫がいるので、少しは解放されると思ったら、仕事の関係で今日もいないということが分かり、子供が味噌汁をこぼした瞬間に溜まっていたものがこみ上げてきたとのことだった・・・。
それまでは出産の立会いや子供の運動会など以外は、独身であるかのように仕事をしてしまっていた。父親して家族を支えなければいけないということに気づいた。
一方で仕事は順調そのもの。翌年から部下の人数が倍になる(コンサルタント25人)ことが決まっていた・・・。
(これは無理だ)
そう思い、執行役員に相談したところ、次のようなアドバイスをもらった。
「もちろん家族優先で仕事をしてもらっていい。むしろ、そうして欲しい。まずは何時に帰らなければならないといった、時間に蓋をすることがスタートだよ」
「制限した時間内で出来なかったことはこぼれてもいい」
「とみざわさんのグループのリーダーは大人だから大抵の事はなんとかしてくれるよ」
今まで自分で抱え込みすぎ、何にでも責任を感じて動きすぎだった、ということに気づかされた。
極端な話、自己研鑽の時間も含め、24時間仕事のことだけに時間を使ってもいいものだと思っていた。当然、幻想だった(笑)
この「時間に蓋をすることがスタート」という考え方は当時の私の働き方のステレオタイプを破壊してくれた言葉だった。
そんなこんなで働くスタイルが変わり、以前よりは自由に働けるようになった。
そう思った時に、今度は想定していなかった部下の離職が発生する・・・。
「こんまり」のプロデューサー土井英司氏に教わった言葉~5W1Hに”好きな”をつけると理想の仕事になる~
人間、物量やると「飽き」が生じる生き物。
8年ガムシャラにやってきて、お客様やメンバーに恵まれ、やり甲斐も楽しさもあったが、どこかで、そろそろ・・・と思う気持ちがあった。
(余談だが、懇意にしている経営者にキャリアの話をしていたら、その経営者は8年勤めた後に独立したことを聞いた。もしかしたら8年は一つの区切りなのかもしれない)
同時にキャリアの本を読んだり、セミナーを受けるたびに、30歳を過ぎて、自分の命である時間を使って、本当にやりたいことって、なんだろう・・・どんな仕事を来年からしようと模索していた。
そんなときに教えて頂いたのが「5W1Hに”好きな”をつけると理想の仕事になる」という言葉だ。
この言葉を初めて聞いたのは2019年2月8日。『やりたいことを全部やる!時間術』の著者・臼井由妃氏と、こんまりのプロデューサー土井英司氏による【三省堂書店名古屋本店】でのトークイベントだ。
場所は名古屋だったが、たまたま出張のタイミングと重なった。知ったのは前日だったが、土井氏に教えて頂いた故・クランボルツ教授の「計画された偶発性理論(プランド・ハップンスタンス・セオリー)」に基づき、そういう偶然にはできるだけ、のるようにしているので参加した。
そのイベントの最後の質疑応答で「理想の仕事の見つけ方」を私が質問した時に、土井氏が紹介してくださった言葉が「5W1Hに”好きな”をつけると理想の仕事になる」だった。
当時の私はこのフレーズを聞いて、ビリビリと電気が走った。
土井氏が最近出された書籍『「人生の勝率」の高め方 成功を約束する「選択」のレッスン』のあとがきにも、その言葉が出てくるので紹介したい。
ある有名な経営者が、こんな話をしていました。「人生を豊かにする秘訣は、5W1Hの頭に『好きな』と言う言葉をつけて、好きな人と好きなときに、好きな場所で好きなことを、好きなやり方ですることだ」(中略)人生の充実とは、どこまでいっても主観的なものです。だとすれば、それを他人に委ねてはいけません。
イベントで土井氏は更にアドバイスをくれた。
「5W1Hに”好きな”をつけると理想の仕事になる」つまり、もっと自分に都合良く働いてもいいと思います。
土井氏の言葉で、「はたらくを自由に」する選択ができるようになった。
ここで余談を1つだけ。
今回、はたらくを自由に、というコンテストの記事を書くことを決めて真っ先に書こうと思ったのは、「5W1Hに”好きな”をつけると理想の仕事になる」という言葉だ。キャリアに迷っているすべての人にこの言葉を届けたい、純粋にそう思った。それだけ、私もこの言葉に救われた。
この言葉を聞いて以来、キャリアに迷っている人には必ずこの言葉を伝えている。
『1分で話せ』の伊藤羊一氏から教わったこと
今回のコンテストに参加したのは、Yahoo!アカデミア責任者・伊藤羊一氏の『1分で話せ 世界のトップが絶賛した大事なことだけシンプルに伝える技術』を読んだからだ。
この本で私が一番心に残ったこと。
それは1分で話すためのテクニックではなく、下記の箇所だ。(以前のnoteから引用)
私にとって決定的だったのは、2011年、ソフトバンクの孫正義社長の発案で孫社長の後継者を育てるという「ソフトバンクアカデミア」の募集があったことです。特にソフトバンクにも孫社長にもこれといった興味があったわけではなかったのですが、選考は全てプレゼンにて行うとあり、「最終選考プレゼンは私が見ます」と孫社長が言っている。「あの有名なすごい経営者に会うことができるかもしれない」「それは面白そうだ」という軽い理由で応募したわけです。
どうして、ここが心に残ったのか、それは(おそらく)当時無名だった伊藤氏がベストセラー作家になったターニングポイントがコレだ、と思ったから。
「コンテストに出る」という目標があると、ヒトは頑張れる。賞をとるためにいかにブラッシュアップして臨むか、自然と努力する。その努力が伊藤氏のベストセラーに繋がったのだと本を読んで思った。
コンテストに出て入賞する事、それも伊藤氏にとっては「はたらくを自由」にしてくれたことだと思う。
そして「社内転職」「新規事業立ち上げに参画」という道を選ぶ
ここまで、ご紹介してきた「はたらくを自由に」してくれた言葉や本をもとに最終的に私が選んだのは「社内転職」をし、「新規事業」であるメディア事業の立ち上げに参画するという道だ。
船井総合研究所の創業者、舩井幸雄氏が生前最後に出版した『すべては「必要、必然、最善」』に次のような言葉が出てくる。
自分の使命を知ってからが本当の人生
今の会社に入って5年ぐらいしたときに、自分の使命とは何か?を考えさせられたことがある。
それは入社して初めて持った部下の昇進挨拶を聞いた時だった。
その部下も中途入社。昇格したタイミングで、改めて何のために今の会社に入ったかを考えてみたと言う。
(自分は何のためだろう)
真っ先に浮かんだのが、家業を継ぐのを断ったことだった。
2社目への転職が決まった後、親に転職すると伝えた。
家業に戻ってくると思っていた母親は驚いていた。
しばらくして、母親は土下座しながら、こう言った。
「こうちゃん・・・お願いだから戻ってきて」
母親は富澤家に嫁入りして以来、義父や義母の介護や相続などで本当に大変な想いをしてきた。
大変な想いをしてまで、守ってきたものを、息子に守って続けて欲しい。
その気持ちは20年以上近くにいて分かっていた。
だから、大学3年の時に就職活動を途中で辞めて、自分が情熱を持てるかどうか知るために6ヶ月間、実家の鉄工所で働いてみた。
最初に入社すると決めた会社も家業と同じ、部品加工業にした。
でも、3年8ヶ月働いてみて、自分が情熱を注ぎたいとは思わなかった。
だから、母親に土下座されても断った。
そんな自分がやらなければいけないこと。
それは自分が支援させて頂く企業を永続させること。
それ以来、プロフィールにその使命を入れた。
それから数年経ち、今回、社内転職する前に改めて自分の「使命」について考えた。
行き着いた答えは
人類の叡智を後世に残す「知的生産」を仕事にしよう。そのためにはメディア業界に携わりたい、ということだった。
約34年、成功している人、上手くいっていなくて、くすぶっている人を見てきた。
その原因は素直じゃないとか、時間の使い方を間違っているとか、色々あるけど、その根本は自分が直面している課題を解決する方法を知らない、調べていない、学ぼうとしていない、ということに尽きると思う。
ポンコツだった自分が、ある程度、結果を出してこれたのはメンターやお客様や上司や先輩や部下が導き、支えてくれたから。
セミナーや本で学び続けてきたから。
これらは全て、勉強したから。
だから、今度は悩みを抱える人に悩みを解決してくれる人類の叡智を届ける。
それを使命にすることにした。
その使命を全うできるのがメディアだと思った。
執行役員から頂いた選択肢の中にメディアがあったから選んだ。
そして、それは新規事業だった。
『一生食える普遍的スキルが身に付く新規事業の実践論』という本がある。
著者の麻生氏はリクルートに新卒入社し、新規事業を立ち上げ、社員数150人規模まで成長させた後、新規事業開発室長に就任。その後、独立し、新規事業開発の支援企業を創業。現在までに約2,000件の新規事業プロジェクトを0から生み出してきた実務家。
その麻生氏による『新規事業の実践論』の本を開くと、次のような本文の抜粋が書いてある。
スキルにも才能にも年齢にも性別にも職種にも出自にもよりません。すべてのサラリーマンは、必ず「社内起業家」として覚醒できます。それが、これまで私が経験してきた大量のケーススタディーから導かれた真実なのです。
「やりたいことはどうやって見つければいいんですか?」と聞かれることがたくさんあります。(中略)やりたいことがないのではなく単に「見てないし、知らない」だけです。逆に言えば、ゲンバにたくさん足を運べば、全ての人は必ず仕事人生を懸けるべきテーマに出会うことができるのです。
コンサル会社に転職して、特に1,2年目はコンサル先のお客様先であるゲンバに何度も足を運んだ。だから上記は物凄く腹落ちした。
本格的に新規事業にジョインして2ヶ月が経った。立ち上げの面白さは十二分に味わえている。もっと没頭したい。
最後までお読み頂き、有難うございました。
数々のメンターたちに教わった「はたらくを自由に」してくれた言葉や本。ご覧頂いた方のご参考になれば幸いです。
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今回の気づき、学びがきっかけで私の人生は変わりました。
そんな気づき、学びが多くの人に届き、プラスの影響があればその方に起これば嬉しいです。
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