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新生活が始まる
新生活が始まろうとするこの時期。
不安とともに希望や期待でいっばいな人も多いだろう。夢の実現に向けてあらゆる可能性に満ちた未来が開いている。
しかしフレッシュな新生活気分が続くのも長くはない。往々にして現実は退屈な毎日の繰り返しだ。
新生活への期待が大きい反面、慣れた頃には単調さに落胆することも多いだろう。
こんな話をするのは、何か忠告をしておこうということではなく、期待しすぎないように、ということでもない。
気の持ちようだということだ。
4月になって新たな生活が始まれば、初めて遭遇することや初めて出会う人が多い分だけ刺戟的で、カレンダーがスケジュールで埋まりはするけれども、だからといって生活が充実しているのとは違う。
ちょっとした錯覚なだけだ。
人は忙しくしていると充実しているように感じることがある。
心の声を聞く暇もないくらい慌ただしくしていれば、不都合なことに気付くこともなく、満たされた気分になるかもしれない。
でも満たされているのはスケジュール帳の空欄だけで、あなたの心とは直接の関係はない。
逆に言えば、ちょっとした錯覚を自分で作り出すことが出来さえすれば、充実した生活を過ごせるということでもある。
スケジュールが空欄だらけだからといって、心が満たされていることは幾らでもある。
同じ毎日の繰り返しの中で暮らせることこそが幸せだというのは、戦争によって国を追い出されるように逃げ惑う人々を見れば多少は感じることが出来る。
でもこの国で起きている戦争ではないから、他に何の不満もないとしても、ただ平凡な暮らし、単調な暮らしというだけで飽き飽きしてくるのが人間だ。
そもそも人生そのものが錯覚みたいなものだ。
どうせ錯覚するなら良い方に錯覚した方が何倍も良い。
だから、つまらない毎日に喜びを見出すような錯覚を出来るように心のトレーニングをすれば最強じゃないか。
と思うのは虫が良すぎるだろうか。
おわり