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想像力と不安

 人類文明が発展した理由の一つに言葉の発達がある。
 記憶することや記憶したことを利用して条件反射的に行動する事は人間以外の動物でも出来る。
 人間以外の生き物にも意識があると言われる。
 しかし、言葉を使って考えるのは人間だけだ。
 

 言葉は、人に何かを伝えるのにも、考えるのにも使える。
 私達のコミュニケーションから言葉を取り除いたら困ったことになるだろう。ジェスチャーゲームを思い出して欲しい。何の絵が書いてあるかを言葉を使わずに人に伝えるのは難儀だ。
 しかし、言葉に頼りすぎるのも厄介なことになる。

 日常生活に溢れる言葉の量は年々爆増している。
 新聞や書籍はもとより、メールやSNS、メッセージアプリ。現代のコミュニケーションで言葉を使う場面は増えている。
 テレビや動画サイトも同じだ。メールなどは書き言葉だが、テレビなどは話し言葉。その違いなだけだ。


 言葉がこれだけ多用されているということは、便利なコミュニケーションツールであるという証でもあるが、言葉が切り取れるのは現実の一部でしかないということを忘れてはいけない。
 つまり、言葉は鵜呑みにしてはいけない。

 私達が頭の中で思考を巡らせる時に言葉を使うのは、そこに言葉があったからだ。極論すれば考えるというのは言葉を使うということと同義だ。
 今どき、家を出る時に傘を持って行くかどうかを決める際、匂いや皮膚感覚で直感的に判断している人は皆無だろう。天気予報で夕方雨が降ると言っていた、帰りは夕方になる、だから傘を持って行こう。知らずしらず言葉で考えて行動を決めているはずだ。

 言葉を使うことで人は想像したものを言葉で伝える術を持った。同時に、言葉を連ねることで想像を促すことが出来るようになった。
 想像したものを言葉で表すのは想像以上に難しいが、言葉で想像することは簡単だ。特にこれほど言葉に頼った生活をしていると言葉の力は絶大で、言葉が真実を語っていると錯覚してしまう。

 あの野郎ムカつく、と感じるのと、「ムカつく!」と言葉にするのとでは、自分自身への影響力が違う。頭の中だけでつぶやいたとしても。
 だから、現実にはまだ起きていない事でも、頭の中で良くない言葉が堂々巡りし始めると、その想像力は不安となって襲ってくる。
 頭の中の言葉の無限ループを止めようがないと思ったら、頭の中から言葉を排除する必要がある。
 それには、「考えるな!」と考えても駄目だ。
 普段から頭の中を言葉から開放する訓練をしていれば良いが、そうでないのであれば、言葉を使わない行為に没頭すると良い。
 なるべく五感と向き合うようなことが良い。
 例えば楽器を弾くとか、絵を描くとか、陶芸をするとか、仏像を彫るとか。もっと身近なところでは、掃除や料理、洗い物も良い。
 注意すべきは、それらをする際に目からの情報、耳からの情報、指先からの情報、鼻からの情報など、感覚器からのダイレクトな情報を「感じる」ことに集中することだ。言葉を使わないイメージの世界に身を委ねることだ。
 どうしても言葉から離れられないとしても、頭に浮かんでくる言葉を追い出そうとするのではなく、目の前のことに集中することに注力する。
 
 現代人は頭でっかちになってしまっていて、思いの外、見えていないし、聞こえていない。
 リアルな世界は目の前にあるのに、メタな情報しか見ようとしない。それが言葉の利点でもあり欠点でもあるのだ。
 批評家でないのであれば、映画や小説や音楽や絵画を言葉で批評している場合ではない。

 つまり、もっと「感じろ!」ということだ。

おわり





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