人はなぜダイエットするのだろうか
ダイエットをしようという動機はまちまちだろう。薄着になる夏を前に準備しておきたい人、健康診断でメタボ認定された人、いい加減そろそろ何とかしないとヤバいと思った人、病気になって医者から命じられた人。
理由はまちまちでも、ダイエットしようとする人に共通するのは、ダイエットが良いことと思っているということだ。痩せている方が健康的だし、見映えが良いと思っている。
最も健康的に生活ができると統計的に認定された理想的な体重のことを標準体重と言い、例えば体重を身長の自乗で割った値(BMI)を用いて、日本ではそれが22の場合を理想体重と呼ぶ。理想体重のときに有病率が最も低くなるのだという。つまりBMIが22の日本人が高血圧などの特定の病気を持っている割合がいちばん低いということらしい(高血圧というある種の測定値の値をもって病気と言うのかどうかということはここでは問わないでおく)。
このBMIを用いた肥満の判定方法はかなり浸透していて、医療教育の賜物というのか、政府のプロパガンダの成功というのか、みな夢中になって少しでも標準的な体重に近づけようとしている。しかも、この事自体は悪い事ではない。
バイクは事故が多いから乗らないほうが良いと諭されたらバイク好きなあなたは直ぐに愛車を売るだろうか。むしろ、こう反論するのではないか。バイクの事故が多いのはあくまで統計の話であって、私個人とは直接関係ない、と。統計データを個別の事例に当てはめるのは必ずしも正しくないと思っているからだ。
だったらバイク乗りなら、友人にダイエットを勧められても、俺の場合は別だよ、と言うかと思えばそうでもない。なぜか健康の事になると統計データを自分事に当てはめようとしてしまう。
太ってたら早死にしますよ、なんて言われるとライザップという言葉が頭をよぎったり、急に筋トレを始めたり、それ系のサプリを飲み始めたり、食品のカロリーにやたら詳しくなったりする。糖質こそ良くないんだと言って米を食べずに鶏のササミばかり摂る人もいる。
健康の定義にもよるが、あなた個人にとっての適正体重というものが仮にあったとして、それを目指すというのならまだしも、万人の平均値のような値を持ち出して目標とするのは、料理人になると言って幕の内弁当工場に修行に行くようなものだ。
統計の結果はデータとして非常に有用でも、使い方を誤れば意味が無い。健康関連データを政策判断に利用するのは大いに有効でも、それと同じデータを特定個人の健康判断に無理矢理当て嵌めるのは判断を歪める可能性がある。
美容についてはもっと過敏で、雑誌に掲載された服が似合う身体を目指すのであれば理想体重を下回る必要がある。スラリと伸びた理想的な手脚や理想のくびれの基準は医療の常識すら周回遅れにする勢いで加速する。
美肌白肌どころかアンチエイジングとなれば、年齢という自然の摂理にも対抗しようというのだから、カワイイを目指すのも維持するのも大変なのだ。
私達は、他のことなら、そのデータは私個人とは別のことだよと思えることでも、とかく健康や美容となると思考停止になって平均値でしかない理想的な何かを追ってしまう。
死や美を盾に脅し洗脳しようとするビジネスに影響され過ぎているのではないか。ダイエットをしようかと思った人は、もう一度考え直してみても良い気がする。
おわり