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脳のI/O

 コンピュータの分野でI/O(アイオー)というと入出力のことを指す。
 コンピュータは何かを入力し、それを処理した後に出力する。入力するのも人なら、出力を利用するのも人。要するにコンピュータは人に使われるだけだ。

 コンピューターのこのような入出力と処理のモデルは人間のアナロジーだが、人の場合は入力と出力をすることそれ自体が営みの中心だ。
 食べ物を入力して排泄する、酸素を入力して二酸化炭素を吐く。そうやって摂取したエネルギー源を利用して筋肉を動かし力として出力する。
 そして、エネルギーは脳でも大量に使われる。脳では身体のあらゆる刺激を入力し、何らかの形で出力する。
 身体への入力が滞りなく出力されることで、人という生命体がその機能と存在を維持し続ける。人の中で処理したものの残骸がひとりの人間という形になっているとも言える。

 ところが、私達の最近の生活では入出力が偏りがちな気がしている。
 映画を見る、動画を見る、テレビを見る、本を読む、漫画を読む、ラジオを聞く、音楽を聞く。こういったことは全て入力だ。脳に入力されたこれらの情報は、同じだけのボリュームで出力されているだろうか。もしされていないとすれば、いつかパンクしてしまうはずだ。
 対面での会話ではたとえ発言していないときであっても入出力が同時並行で目まぐるしく行われるが、zoomなどの通話アプリでの会話では主に入力時々出力というように、情報の流れにはかなり制限が掛かる。通話アプリでの違和感はここにある。

 入出力バランスの問題は脳の安定や学習効果を上げるための重要なファクターと思っていて、私の場合、脳への情報の入出力がなるべくバランスするよう心がけている。いつからそんなことを意識し始めたのか覚えていないが、恐らく高校生くらいの頃だったと思う。
 何かを覚えるということだけを繰り返していると、気のせいかも知れないが行き詰まる感じがしてきて、それ以上入れることが出来ない気がしてくる。だから、一定程度入力したら、適宜覚えたものを吐き出さないといけないと考えていた。
 考えてみれば、脳が知識を溜め込む仕組みと、それを取り出す仕組みは全く別だ。取り出す練習をしておかないと、記憶された知識は脳の中にあっても取り出せなくなる。取り出せない知識は覚えていないのと同じだ。

 例えば英単語を覚える際に、覚えたものを適宜出力する方が記憶に残りやすいという実感は無いだろうか。つまり、覚えた単語を口に出して発音してみるとか、その単語を使って何か例文を作ってみるとか、実際に英会話で使用してみるとか。となれば、英語教育で重要なのは、覚えることに重点を置き過ぎず、出力する機会を多く持つのが大切ということになるだろう。

 そのことは英語教育のみならず、あらゆる学習過程で重要なことだ。
 それはいわゆる勉強と言われるものだけでなく、スポーツなどにも当てはまる。例えばスイングの基本通りのフォームを素振り1000回行って覚えたとしても、実際に玉を打ってみるという経験が無ければ上達しない。フォームを身体に覚え込ませるのが入力だとすれば、それを使って実際の運動を行うのが出力だろう。つまりここでも入力とセットとなる出力をきちんと行ってやることが大切ということだ。

 このように脳への入出力バランスを整えることは、脳のトライアンドエラーの為のフィードバックを適切に働かせるにもなり、こうしたトライアンドエラーの結構、私達は成長する。

 時にサブスクの動画配信サイトでドラマを見まくったりしていると、あー入力過多だ、出力しなきゃと言いながらnoteを書いたりするわけだが、それと同時に身体を動かしてエネルギーを開放してやらないと、入力したものがお腹の脂肪となって滞留するからコワい。

おわり

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