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思い通り

 人のものを奪うのに抵抗がない人がいる。
 自分以外のものの存在価値は自分のためにあると思う人がいる。
 本人にインタビューして問い詰めたわけではないので本心は分からないが、少なくともそう見えることがある。

 駅のホームで胸に包丁が刺さった状態で発見され亡くなった女性と、電車に当たって亡くなった男性。
 当人同士の事情があるにせよ、殺してやりたいと思うに至る衝動があったにせよ、踏み留まることなく実行に至るとき、その時の心境がどんなものなのか。普通の人から見れば理性を失っていると思えるに違いないが、予め凶器を複数用意していた事を考えれば計画性があり、理性が働いていたとも思える。

 たとえ恋人であれ夫婦であれ、そして親子であっても、他人ひとは思い通りにはいかない。普段はそのことを解っていても、自分事になると判らなくなる時があるのだろう。
 これまではそう思っていた。
 しかしある犯罪者が主人公のノンフィクション本を読んでいて、もしかしたら何の疑いもなく他人を思い通りに出来ると思っている人が世の中にはいるのではないかと思うに至った。言い方を変えれば、思い通りにする方法を知っている人がいて、それを罪悪感なく実行できる人がいる。

 考えてみれば、犯罪者でなくとも人を操る人と操られる人がいるように思う。単に与えられた役割というだけではなく、上に立って指示をするのに長けた人と、そういうのは苦手だが言われたことを忠実にこなすのが得意な人がいるのではないか。さらに言えば、一人の人がどちらかの特性だけを兼ね備えているのではなく、誰しも両方の特性を持っていて、その現れ方が違うだけと言えないだろうか。

 人が対象でなくても、思い通りにならないことがあると決して良い思いをしないのは、予想と違う結果が起きることが生存に関わることだからだろう。特に人間にとって、予測は行動方針を決める重要な手掛かりだ。その予測が間違っていたら気分が良いはずもない。

 だからと言って、普通はどこかで歯止めが働いて相手を殺すところまでは至らないだろう。
 そもそも人は思い通りにはならないと思っておくことだ。
 いや、こんな聖人みたいなことを言っている私も、いつ歯止めが無くなってしまうか分からない。我慢ならなくなって手元にあった包丁を、なんてことが無いとは言えない。

 そんなことを考えていたら自分が恐ろしくなってきた。こんなことを思うのは、きっと神様の思い通りなのだろう。

おわり


 

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