生命の起源のロマン
小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰った小惑星「リュウグウ」の粒子からウラシルが見つかったと言う。ウラシルとは生命の遺伝情報をつかさどるRNAに含まれる化学物質であり、これを発見した研究グループの教授曰く「地球での生命誕生の際には、地球外からきた物質が材料となった説を支持するもの」と。
宇宙空間を漂う小惑星にRNAが見つかるということは、地球上の生命が宇宙から来たのだというロマンが惹起されがちだ。
でも考えてみれば地球だって元々は小惑星だったのだから、生命材料は既に地球上にあったと言えないものなのか。
逆に、宇宙にも生命材料があるのだとしたら、地球上以外の場所で生命体が生まれてもおかしくない訳で、ロマンはロマンだ。
私達がどこから来たか、私達は何かという古来からの問に、現代では超越した存在を持ち出すまでもなく、地球上で起きた生命体の進化で説明が付くと思っている人も多いだろう。
私達の身体は炭素や水素や窒素などの原子が組み合わされて出来た有機化合物で構成されていると分かっている。しかしこれは、私達が有機化合物の積み木であるということではない。
身体を分解して調べると有機化合物が見つかる。しかしその有機化合物を混ぜ合わせれば人が合成出来る訳では無い。
生命体をつかさどる物質が原始の地球上や宇宙の小惑星上に豊富にあったとして、長い年月さえあれば自然と生命が出来上がってくるとは到底思えない。
生命が他のただの物質と異なるのは、自律的に自己複製する性質を持っていることだ。その辺にある例えば石ころが勝手に自己複製して増殖している様を想像すると気味が悪い。バッタの大量発生以上に気持ち悪い。その気持ち悪さは生命の本質かも知れない。
私達は生命体が勝手に成長し、勝手に動くことを当たり前と思っているが、家や電柱が勝手に動き回り出したら怖い。
生命体が物質の混ぜ合わせに過ぎないと言うのは、ある日家が喋りましたと言うのと同じくらい飛躍がある。
だから、幾ら生命の素となる物質を宇宙空間に見つけたとしても、私達の知は生命起源の謎には大して近付けていないと思った方が良い。
生命はロマンだけでは生まれないのだ。
おわり