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正常値

 血液検査の基準値は、正常値ではない。
 健康診断などの結果レポートに記載されたアレのことだ。基準値を少しでも外れると判定が下がり、問診でチクチクやられることもある。もちろん医師はあなたのためを思って言うのであって、いちいち反抗心を抱くのはお門違いも甚だしい。しかし基準値に収まってさえいれば良いということでもない。

 基準値とは、特定の慢性疾患を持たず日常生活に支障がない人のうち95%が入るという基準で見た場合の値のことだ。特定の慢性疾患を持たず日常生活に支障がない人でも5%の人は基準値から外れる。それだけのことだ。うがった見方をすれば、正常な人のうち5%を異常予備軍に振り向けるということか。

 逆に、健康診断でオールA判定だったからといって、健康で長生きすることが保証された訳では無いのだ。つまり、全くもって正常と胸を張れることではない。
 健康診断という名前が悪い。健康診断の目的は健康であることを診断するのではなく、隠れた不健康を炙り出すことにある。正常だと思っている人のうち5%の人をフィルタリングして、異常かどうかを調べる対象者としてリストアップするのだ(再検査対象者は、正常と思われながらも異常があるかも知れない人に認定される)。
 おそらく多くの人が勘違いしているのは、基準値から外れたら駄目だとか異常だとかいうことだ。そうではない。基準値にギリギリ入らない人というのは健康な人のうち外周部にいる人たちのことだ。基準値は篩分けするための目安として使われる値に過ぎない。

 健康のことに限らず、基準値を設けるとその境界線の周囲では色々と問題が起こる。その線のこっちと向こうが区切られることによって違いが強調され、こっち側とあっち側が出来る。そうなると、こっちは正常でこっちは異常という見方をされることも多い。
 しかしどこかで区切らないと話が始まらない。そういうものだ。
 そうした区切りの基準値自体は人々が思うほど重要な意味があるわけでは無い。問題は、人々が基準値に意味があると思い込んでしまうことにある。

 何の不具合も自覚症状も無いのに、あなたは基準値を超えているので病気です、ですからこの薬を飲み続けなければなりません、そうしないとこんな恐ろしいことになりますよ、となる。しかも、症状が出てからでは遅いと言われる。そうしたことが当たり前と思い過ぎて、変な話に聞こえないだろう。
 予防医療がいらないと言うつもりは無い。健康診断が不要な害悪とまでは言わない。ただ、その意味を皆が正しく理解せずに、結果に左右されるのは良いことではないと思うのだ。
 境界線を引くことで、その手前は病気ではなく、越えた途端に病気になるなんておかしい。実際にはグレーゾーンがあって、医療もグレーゾーンを前提としたものになっているのだが、患者(?)の側は病気であることを疑いなく難なく受け入れてしまう。そのことが問題だと思うのだ。

 どうすればよいか。
 
 何が正常かというのは、この社会にいる人の多くが持っている属性をどれだけ持っているかということにほかならない。みんなと同じ、を正常と呼んでいるだけなのだ。基準から外れるというのは多くの人と同じではないということを意味する。だから何だというのだ。元々、この世に同じ人はいないという前提では無かったか。統計的な異常を見つけるための一つの手段であったはずの基準値を、全てのことに反映させて判断や生き方に当てはめるのは間違っている。そう思うのだ。

 みんなから外れるのが不安という人はそれでいい。基準値からはみ出ないように努力すればいい。けれど、基準値から外れたら人ではないということでは全くないから、基準値内かどうかを気にしている間があったら、楽しんだ方がいい。そう思っている。

おわり


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