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映画(Netflix)『オールド・ダッド』

 年を取ってから子供が出来ると、時に大変な目に遭う。
 特にオールド・ダッドにとって、年の離れたママ友、パパ友と仲良くやって行くのは、想像通り大変なことだ。

 世代の違う人同士が普通の会話をすることがこんなにも難しいことなのだというのに気がつくのは大抵年を取ってからだ。若いうちは中年、老年の言う事に耳を貸さないか聞き流していればそれで済むのだが、年上ともなるとそういう訳には行かない場合が多い。何とかして年下世代ともコミュニケーションを取らなければならないシチュエーションがある。しかも、ちょっと口を滑らせればハラスメント呼ばわりされるのだから気が抜けない。

 昔に比べて今の社会は進化している。若い世代がそう思いたいのは良く分かる。データや証拠によって公平公正に判断される平等でクリーンで差別の無い社会が達成されつつあると実感しているのだろう。
 一方の上の世代はそんなこと露ほども信じていない人が多い。情報は自分の脚で稼いで、知恵は自分の頭で捻り出し、対面で説得に掛かれば大抵のことは何とかなる。酒の一つでも奢れば尚良い。そんな風に思っている(もちろんそんな風には思っていない紳士淑女も大勢いる)。
 ネットで検索した情報を参考にし、AIが秒で返した知恵をメールやチャットで送って解決。そうすれば記録も残るし、後で何か言われる心配もない。受け取ったボールは即座に返すことこそが出来るビジネス・パーソンのスキルだ。若い世代がそう思うのも無理はない(もちろん、そう思っていない若い世代がいるのは知っている)。

 世代間の隔絶はいつの時代にもあっただろうが、これほど情報化が進むと過去のそれとは比較にならないほど滑稽にすらなる。今の時代、オールド・ダッドは笑いものにすらならない生きた化石だ。臭いものでも見るように眉間に皺寄せて理解不能の表現で返される。その時の双方の様子が滑稽に映る。
 それでも逞しく生きていく。
 この映画はそんなオールド・ダッドたちへの応援歌だろう。

 この映画のシーンにも度々登場するが、子育て一つとっても世代間での価値観の違いは驚くほどで、洋の東西を問わずあることなんだと妙に納得させられる。どの国でもオールダーたちにとっては眼の前に異世界が広がっていくようになっているのだ。
 昔ならそろそろ引退という年齢のオールダーたちが、いまや定年退職の年齢が上がってバリバリ現役世代(でも給与は減っていく)とほだされて、労働世代の幅は広がるばかり。引退すべき時期に引退することも大切なんじゃないかと思ったりする。

 最初から最後まで笑い転げた私だが、もしかしたら若い人にとっては顔をしかめ続ける104分になるのだろう。笑って見られれば団欒にもなるのだが、微妙な空気が流れたらそのまま見続けるかどうかお互いに確認しあった方がいい。
 世代間の相互理解を促すためにコメディ仕立てにしてあるのであって、お互い勉強と思って見るような映画ではない。もし笑えない人がいたとしたら、この映画の監督・脚本・主演を務めたビル・バーが想定した以上に世代の間には深いクレバスが横たわっているということだ。
 もし家族や仲間と見ていて上映中断となったらば、オールダー達は後で続きを見れば良い。くれぐれもバレないように、こっそりと。

おわり

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