見出し画像

レコード演奏家

 かなり下火になったとは言えオーディオ機器に興味を持つ人は一定数いると信じている。
 音楽がすたれたということは無く、手軽に音楽が聞けるようになったという意味では昔よりも現在の方がオーディオに興味を持つ人が多くてもおかしくない。
 もっとも、多くの人が音楽を聞く時に使用しているのはスマホだろう。音楽の再生装置を総称してオーディオ機器と呼ぶのならスマホだってオーディオ機器に入ることになるけれども、趣味的な意味でのオーディオ機器というと最低限プレーヤーとアンプとスピーカーという別々の機器で構成された音楽再生装置たちを指すことが多い。少なくともオーディオを趣味にしている人から見れば、スマホは眼中にない。

 オーディオが趣味という人は往々にして、音楽を楽しむという観点から、メディアに収録された音を忠実に再現するという方向性に進んで行き、そのための再生装置を思案するようになって、気づかぬうちに音楽から離れて装置マニア的な趣味になってしまいがちだ。
 だから時々は当初の目的であった、音楽を聴く楽しみが得られているか再確認した方が良い。

 既に亡くなってしまったが、昔、オーディオ評論家で菅野沖彦すがのおきひこという人がいた。菅野は録音技師のようなこともしていた経歴を持ち、レコード制作会社を立ち上げるなどし、その後オーディオ評論家になった。
 その彼はオーディオを趣味とする人々のことを『レコード演奏家』と呼んだ。
 音楽そのものではない「楽譜」を音楽に昇華させるのが楽器の演奏家であるのに対し、これまた音楽そのものではない「レコード」に音楽の生命を与えるのがレコード演奏家というわけだ。
 私がこの菅野のレコード演奏家論を耳にしたのは20年以上前であるが、これを聞いた時私はオーディオという趣味性を上手く表現したものだなと関心したものだ。

 録音された音楽は、再生ボタンを押せば音が出てくる。それは誰でも出来るが、どんな再生装置や再生環境でも同じように音に命が吹き込まれて演奏家が意図した音楽が蘇るかというと、決してそうではないというのだ。
 実際、再生する機器の違いで違った音が聞こえるという体験は、イヤホンを変えただけでも体験出来るので、そういった経験がある人も多いだろう。
 それと同じように、スピーカーの違い、プレーヤーの違い、アンプの違い、はたまたそれらを接続するケーブルの違いによって、出てくる音は違ってくる。

 でも、菅野が言っていたのは、そうしたオーディオ機器の違いによる音の違いといった、言わば表面的なことではない。
 それぞれのオーディオ機器機器やリスニング環境(部屋)の違いを活かしながら、その人にとっての音楽を再生することに熱意を持っている人のことを『レコード演奏家』と呼んだのだ。
 彼は、同じレコード、同じCDでも、それを再生した時に再現される「音楽」がどうなのかに着目した。
 だから菅野は、全国のオーディオ演奏家を訪ねては評論をしていた。

 それはオーディオマニアが陥りがちな落とし穴についての戒めでもあった。つまり、音楽を聴きたかったはずなのにいつの間にか音楽ではなくて音や音質の追求になっていませんか、という問い掛けだ。
 もちろん、良い『楽器演奏』に良質な楽器が必要な様に、良い『レコード演奏』には音の良いオーディオ機器が必要ではある。しかし、追求するのはあくまでも音楽であるべきというわけだ。

 マンション住まいだと大きな音は出せないのでオーディオの趣味は実現し難いと諦めている人がいるとすれば、考え直してみて欲しい。
 趣味のオーディオというのは何も、大音量で再生することが目的ではない。もちろんそれも醍醐味の一つではあるし、楽器そのものの音量を再現しようとすればそれなりの音量が必要となることも事実だ。
 けれど菅野が言うように、あなたが『レコード演奏家』を志すのならば、必ずしも大音量は必要ない。
 むしろ良質なオーディオ機器は、音量が小さくても良質な音を出し、良質な音楽を奏でることが出来る。

 グラスを傾けながらオーディオ機器から流れる「音楽」にうっとりする夜は私にとって至極の時だ。

 Good music, Good life!

おわり

(我が家にはレコードはありません)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?