パドック公開①

 鍵をみっつ持っているんですけど、それぞれ母の家、祖父母の家、父の家の鍵で、母の家にはそのお父さんと猫もいて、ふたつめのには僕も住んでいます。父は僕の弟と暮らしていますが、僕の本当に近くに、歩いていける距離に家があり、彼のお母さんの作るご飯をだいたい毎日僕の弟に食べさせています。僕は仕事の日だと時間が合わないけど、食卓ではさらに父の弟の世帯とも一緒に囲むので、大所帯となり、祖母は本当にすごく働いています。

 祖母は月に何度か、起きてから食事の支度をするまでの間に、電車で二時間かけて彼女のお父さんのきょうだいの旦那さんの様子を見にいったり、入院している姉のぐあいを見にいったりしています。きょう僕も、祖母が「父がわりなの」と慕うおじさんのところに、僕の彼女と祖父と一緒に、はじめていってきて、そのおじさんは去年奥さんを亡くしてから、祖父母いわく気が抜けてしまって、今は老人ホームにいるし、今日はもとの住まいを引き払うための片付けする最後の日でした。僕はそこについてからこの詳しいことを知るようなかんじでただ漠然と手伝いに行くと思っていて、あなたともともとデートする日だったけどそういうことになったからごめんと言ったら、私も行くよといって彼女もついてきてくれました。おじさんは話で聞いていたよりもずっと元気で、いってよかったと思ったし、しゃれた理屈をつけて一万円をくれて、この一万円がなければ仕事に行く交通費もないような、きのう計算したらそういうかんじの一ヶ月ないし二ヶ月がやってくるので、本当にありがたいです。さいきんまで住んでいたおじさんたちのお家には、趣味のいい小物とかずっとぼんやり欲しかったリューターがあってもらっていいということだったので下品なくらいもらってきました。そこからお昼を食べに行く車のなか、店から老人ホームに向かう車のなかで買うだけだったメルカリの本人確認手続きに彼女の隣で半端に集中していたんですけど、彼女は運転席と助手席の祖父母の他愛のないやりとりを可愛いといったりして、ありがとうと、俺はすべてに感謝、みたいな、厳しさのない形だけの反省がしめる惚けたかんじでした。

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 祖母を筆頭に、くら寿司を食べたメンバーはミニストップが大好きで、そしてちょっとまぬけなかんじで、くら寿司のタブレットでデザートを見て「だったらアイスを買って行こうよ」とミニストップに寄りました。弟は足が痛くて車で待機していた祖父のぶんのアイスも持ってあげたので、両手にアイスを持ってアホみたいだと軽口をたたき車に乗って帰り道に、僕のケータイに僕が結構やらかしちゃってる仕事のミスの連絡があって、結構やらかしていたのでした。いっしょけんめい早口で喋ったりして謝り、そのままひるすぎに解散した彼女ともう一度話すために電話しました。

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 ですが、公営ギャンブルにしてもいちレースだけに賭けてもただの賭けになってしまい、ただの賭けをするしかない場合はかなり向いている人でないとそれに耐えられないと思っているので、負けたり勝ったりしながら、負けたり勝ったりがあるということに慣れたほうがいいかもしれないです。

(2024.1.28-29)

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