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ある中年男性の後悔
「ある中年男性」とは俺のことである。
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これを口に出すのはたぶん初めてだが,私は本当は学者になりたかった。研究者になりたかった。
しかしこの夢は大学1回生のとき早々に(こりゃダメだ……)と諦めてしまった。
本が読めなかったからである。レポート執筆用に書籍を読んでいても全然頭に入ってこなかった。(ああ,俺は学問に向いていないんだ……)と投げてしまった。
今の俺ならわかる。難しい文章は一読で理解できないのはあたりまえだということを。当時の俺はわかっていなかった。大学に入るまで普通に読めばわかる簡単なものしか読んでいなかったので,本なんて適当に読んだら理解できるものと誤解していた。
何回読んでもわからないものはわからない
このシンプルな事実を当時の俺はなぜか見落としていた。知らなかった。本を読んでも理解できない悩みを誰かに相談する勇気もなかった。読めない自分を認めるのが怖かったのだろう。
大学卒業後,研究者になった高校の同級生A君と久しぶりに再会して思い出話をしていたとき,彼はこんなことを言った。
「寺本(高校時代の担任)の現国の授業は酷かったよねえ。文章の読み方をなんも教えてくれんかった。浪人して船口さん(代ゼミの船口明先生)に初めて教えてもらった。あれがなかったら大学で論文を読めなかったから浪人して本当によかった」
これは衝撃だった。国語の授業で習った読解法を大学で文献を読む際に活用するという発想が俺にはまったくなかった。なぜか別物だと考えていた。
A君は代ゼミで船口先生に教わっていたが,私だって駿台で松本孝子先生から教わっていた。
そうか……。マジか……。そうだったのか……。現代文の授業で習ったことを活用すればよかったのか……。
2024年の俺から学生時代の俺にプレゼントができるのであれば,次の2冊を送りたい。
『難しい本を読むためには』
『東大現代文プレミアム』
皆さまからのお布施はありがたく頂戴いたします!