この世はどうしてもアナログ化したくて、人間はどうしてもデジタル化したい
この世はアナログだ。それは間違いないだろう。
アナログとは、最小単位がない、もしくは観測不能であることでよいだろう。デジタルは「1」、「2」など、くっきり分けることができるが、「アナログ」はくっきり別けることは出来ない。
例えば、音楽はデジタルだろう。
音楽を構成する「音」は、元来アナログだ。音の高さは波の周波数だ。低い音から高い音までなめらかに遷移する。
でも、音楽は、その音をデジタルに変換する。「ドレミ」に置き換えてしまうのだ。
本来であれば「ド」と「レ」の間にも無限に音があるはずだが、全部「捨て」だ。なんとか真ん中の音はシャープという名前で残してもらったが、ほとんど全部「捨て」だ。
なぜ捨てちゃうのだろう。もったいない。
多分これは、人に伝えられないからだろう。アナログのままだと、無限に音があるので、厳密に伝えられないし、再現もできない。そうすると音楽として共有するのが難しいため、無限にある音の種類を絞って、デジタルな形にしてしまうのだろう。
もっというと、人に伝えられてこそ初めて価値が生まれる。伝わらないものは一人で楽しむしかないので、価値がないのは分かりやすいところだ。つまり、アナログは無価値で、デジタルは価値がある、ともいえる。
さて、晴れて無限に続く音の種類をだいぶ絞ってデジタル化し、音楽に「価値」が生まれた!後はいい曲を作るだけだ!いろんな人間が無限にいろいろなメロディラインを作り出した。いろんな曲がありすぎて僕達はどれを聞いていいか分からないくらいだ。
あれ、おかしい、また無限が出てきた。デジタルな音で作り出した「曲」の種類が、今度は「アナログ」になってしまった。うーん価値を上げたい!よし、スローな曲は「バラード」ってことにして、アップテンポな曲は「ポップ」ってことにしよう!こぶしを利かしてる連中の曲は「演歌」として、ヨーヨー言ってる連中の曲は「ラップ」としよう!
「演歌」と「ラップ」の間は無限に曲の種類があるはずだが、全部「捨て」だ!はい、またデジタルになって価値が生まれた。
「ふう、でもでも、演歌の中にもいい曲とよくない曲があるよね。これも計測不能でアナログだよ!どの曲がいいって伝えられないよ!」
また、アナログが出てきた。。しょうがない、では、「DL数」でランキングにしてしまおう!はいデジタルに復帰!価値が戻った、あぶねー。
このように、この世は、アナログになっていくバイアスが常にかかっているようだ。そして、人間は、人類として共有するために頑張ってデジタルにする。
「この世」は頑張ってアナログ化して、「人間」はそれを頑張ってデジタルにする。人間がデジタルにしたものを、今度は「この世」がそれをアナログ化する。
この終わらない「この世」と「人間」のアナログデジタル戦争が、人類が生まれてからずっと繰り返されてきている。
[参考]