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「差別ではなく区別です」と言うか①
外国人排斥運動している人や、「女子競技に性転換の人出したらあかん」って訴求している人の文末に、「差別ではなく区別です!」という自分の意見へのフォローが記載されているのをよく見る。
僕も興味を持ったので"差別"か"区別"か調べてみたい。まずは差別の定義だ。
差別とは、特定の集団や属性を持つ個人に対して、正当な理由なく不当な扱いをすること
だそうだ。つまり、"区別"とは逆に、「正当な理由がある扱い」をすることなのだろう。
つまり、「差別ではなく区別です!」という言い方は、「正当です!」っていう意見をかっこよく言った表現と言うことになる。
確かに、「あってるもん!!」って言うだけだと子供っぽくて訴求するには弱い。「差別ではなく区別です!」って言いたくなっちゃう気持ちはわかる。
ただ、この「正しいか正しくないか」というのは、人による。
給食の時、子供が嫌いなものを全部食べ終わるまで遊ばせない先生がいたとして、「そんな可哀想な対応は正しくない!」という人もいれば、「子供の将来を真面目に考えている正しい対応だ」という人もいる。
死刑のある国があったとして、「凶悪犯は、遺族の悲しみを鑑みて正しい!」という人もいれば、「凶悪犯も人間。冤罪だってある。人権侵害で正しくない!」という人もいる。
例を挙げ始めたら枚挙にいとまがないほど「正しいか正しくないか」とはくっきり分けられるものではなく定性的なものだ。
なので、「こっちが正しい!」「いや正しくない!」と人々は意見をすり合わせて、多数決をして数の多い方を"民意"とするわけだ。
さてここで、「正しくない」と思っている人がいて、その人に対し「とにかく正しいから!以上!」と言ったとしたら、「おおお、正しいのか、じゃあ正しい!」って思うだろうか。どんだけ素直やねんって話だ。
なので、説得したい人は、正しい理由をこんこんと説明するはずなのだ。「こうで、ああで、だから正しいんだよ!」と言った具合だ。そうやって議論して民意は構築されていくはずだ。
立ち戻って、「差別ではなく区別です!」と言う人は、「正しいもん!」と言っているだけなので、この文句によって意見が擦りあうことは一生ない。なぜなら、「とにかく正しいから!以上!」と言って相手が「おおお、正しいのか、じゃあ正しい!」って思う人はいないからだ。
ということで、「差別ではなく区別です!」という訴求をする場合は、「なぜ区別だと思うのか」を添えるべきだろう。そして、差別だと思う人は、「なぜ差別だと思うのか」を添えるべきだ。
そうすれば、自分の訴求が受け入れてもらえる可能性が少し上がるだろう。
続きは以下
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